【第一章】†ep.10 保留――そして…††
テラスに着くと、活気ある街のざわめきが遠くにも聞こえていた昼間とは、うって変わり、寝静まるのにはまだ少し早いのだが外は、その静けさを取り戻そうとしていた――。
――街の灯りもほとんどなく街灯が煌々と明かりを灯しているのが、少し先の街の方に見えるという以外は、何も闇を案内してくれる道標がない様に辺りは暗黒の世界。
そして、テラスから見える城から城門へと続く道を取り囲む芝生を照らす灯は少しだけだが、それでも一人の兵の人影が城門へと移動していく姿ははっきりと見える。
…見張りの交代だな―と、レティシアは思った。
テラスには、そこに寛ぐための椅子とテーブルが用意されており、そこに腰かけてレティシアはリュシファーにもその席を薦めた――。
そして、外の空気は少し夜で冷えていたにも拘らず、暑そうに手でパタパタと顔を仰ぐレティシアのその様子にリュシファーは、一枚のブランケットを膝の上にかけてから席に腰を下ろした。
「脚だけでも掛けとけ…身体は温まってても夜に外にいれば体はすぐ冷える……」
と、そう言ったかと思うと、リュシファーは煙草に火をつける。
先程の丁寧に取り繕った口調と違い、いつもの調子に戻っているリュシファーに、やはりこうじゃないと違和感がするんだよな…と、レティシアは密かに考えていた。
「――で? なんか俺に話でもあったんじゃないのか………?」
すぅーっと吸い、ふぅーっと白い煙を吐く間を開けて、目線は煙に向けたままでそれは言われた。
レティシアは正直何のことかと眉をしかめた。しかし、その言葉にレティシアは、少し申し訳ない様な気持ちになりこう言った。
「…お互いに湯上りだったから涼むのに丁度いいかって思って、声かけただけだ。とくに何かあるわけではなぃ…」
あまりに素直に言われたレティシアのその言葉に、拍子抜けしたリュシファーは、そのうち可笑しくなってきて冗談ぽく言った――。
「…お、お前なぁ~俺がそんなに暇に見えるか? ……まぁ、いいけどなぁ……」
「わーっ、何だ今のっ、なんか私がすっごく暇人みたいじゃないかっ。人がせっかく誘ってやったというのに私の事暇人だと思ってたって言ったっ」
「べ……別に、そうは言ってないっ」
そう言ったリュシファーの顔は、ぎこちなく苦笑を浮かべていたので不愉快になり、レティシアは絶対にそう思っていたに違いないと思い、『思ってたっ』『だから思ってないっ』の言い合いをリュシファーとした後に、この言葉を放り投げた。
「大体っ! 目付け役なんだから――、姫様の監視をするのはお前の仕事だっっ」
「……!」
一瞬、黙ったかと思うとリュシファーの口元は、にやっと微笑みを浮かべた。
その微笑みに見覚えのあったレティシアは、空気が変わり始めている事に動揺していた――。
「な…っ、なんだ?」
何とも言えない空気が辺りを包んでいる中、リュシファーは煙草を吸いながらも、レティシアに意地悪い視線を送って来てにやにやしている。
含みを持つように意味ありげな微笑みを浮かべ、あざ笑うかのように高い山から見下ろしている様だ。そして、そんな緊迫した空気を作るという事にかけてはこの男は天才に違いないとレティシアは思った。
そしてはっとした――。
そうだ…リュシファーは、今まさに物凄い策を思いついた天才的策士そのものだとレティシアは思った。
その策士の自信ありげな表情にレティシアは、妖しい黒い煙にでも巻かれている様な緊迫した空気が、既に辺りは支配されている様な気がして焦り始めていた――。
自分は何の策も持ち合わせておらず、額に汗を滲ませながら焦りを感じつつも、風の吹き荒れる中、黙って睨み合いをするシーンがすでにレティシアの脳裏には出来上がっていたのだった。
――また、もしかしたらこの精神的にダメージを与える様な空気こそが既にしかけられたこの男の罠なのでは……! と、馬鹿らしい事を考え始めていたその時――。
リュシファーは煙草の火を消し、こちらを見る。
“…天才策士と恐れられる男が…………今!
その頭上に光輝く快心の策を明るみにしようとしていたのだった………!!”
(注意)↑あくまでもレティシアの妄想の中の予告の声です。
――By作者。
「――いや、何……。“ほぉ~ぅ…”と――、思ってなぁ~」
その言葉通りに意地悪く目を細めたリュシファーは、レティシアを見た。
ぎくっとして視線が合ったリュシファーのその顔は、一層恐ろしく感じた。
それは夜で辺りが暗いからか…何を言われるか怖かったのか…、レティシアは引きつった笑みを浮かべてしまっている事に気づいていた。
「…そ、それは、どういう…意味だ?」
レティシアがかろうじて口から紡いだその言葉も、声が上ずってしまい少し途切れてしまっていた。…額には汗も滲み、そして、より一層緊迫した空気が辺りに流れている。
「――知りたいですか…?」
と、策士はレティシアを煽るように言った。
その言葉にレティシアはごくっと息を呑んだ。
…わざとその様に物静かな物言いで、精神的に追い詰めていくのがこの男の手口。
既に天才的な策士に姿を変えているリュシファーに頷くと、最高の策に耳を傾けた。
………………。
…その直後、レティシアは驚愕の表情の後に、安堵した様に息を吐く。
「なっ…なぁんだ~。そんなことかぁ。緊張して損したあ――お、脅かすなっ……もー」
そこまでレティシアが言った所で、リュシファーが呆れた様に首を横に振った――。
「ん? レティ、それは安心するところなのか………?」
リュシファーが言う通り、想像以上はましだったもののレティシアは慌てて否定する。
「――いや、ちっ、違う…それは駄目だっ」
「――だろう? …安心しろ、そんなに暇ではないからな……」
そう言ってリュシファーは笑い出した。
――リュシファーの答えというのは、
『大体、目付け役なんだから――』と言った私のその言葉に…
『じゃあ、俺がどこ行くにも監視してもいいんだな…?』ということだったのである。
予想通り嫌がっているレティシアの反応に、リュシファーが笑い出した様子を見て、つられてレティシアも笑い出していたのだった――――。
“そんな風に、教育係である者と笑い合うなんて思っても見なかった。
その後も、性格が悪いだとか言い合いをしては夜は更けていった――――。
悪い者と思ったり、そんなに悪い者でもないと思ったり――…
でも、きっと人間なんてそんなもんなのかなとも思った――。
いい時はいいヤツ――。悪い時は嫌なヤツ――。
きっと、そういう判断でいいんだと思う――。
ただ、リュシファーへの評価はころころと変わってしまうので、
よくわからない人物ではある事も確かだが―――。
そんなわけで―――リュシファーへの評価は『保留』にしようと思う。
――そんなことを思った、夜だった…。”
-レティシア 日記より-
―――――…
――そんな二人の様子を、遠く離れた廊下から密かに見ている者たちがあった。
「…ほぅ、レティシアはもう具合はいい様だな。あの者が側についておるのなら心配は無用か――にしても、うまくやっているようだな。今度の教育係は――」
「――はい。…おそらく勉学にお励みになられるかと――非の打ち所がない者を陛下が連れて参られたと、ミグ様に仰られていたと聞き及んでおりますじゃ……」
その言葉に二度頷いた後、陛下と呼ばれた声の主――エンブレミア王国国王エリックは厳しい目で――…。
またエンブレミアの白き虎眼と呼ばれた男レイモンドもまた同様にその目を光らせながら、その二人の様子を観察していた――。
レイモンドとエリックは、レティシアの具合の様子を部屋に見に来たのだが、マリアに湯冷ましにテラスへ来ている事を聞きつけて足をここまで運んだのである――。
とはいっても、テラスが見えるという場所ではあるが、二人には気付かれない程離れた廊下の通路を曲がったこの場に、その影を潜めていた。
そして、安堵の色もその目に浮かばせたエリックは、二人の様子をしばし無言で眺めていたのだが、途中、息を吐きながら考えていた――。
いつも怒鳴りつけているものの、我が娘が突発的に高熱に度々苛まれる事は、国務に追われる中、エリックは常に心配していたのである。
忙しく様子を見に行く事が出来ぬまま、エルトによりレティシアが回復したと報告は受けていたが、遠目からでも無事を確認しておきたいという親心であった。
レイモンドもまた、幼い頃より手を掛けさせられていたものの、レティシアは自分を“爺”と呼び怖れはしているがその存在感というのは大きく、孫の様に思っていたのである。無事で良かったという安堵の色は、この男にも伺えたのであった――。
エリックはそんなレイモンドに気付き、肩に手を置いて首を横に振りながら言った。
「――親というのは気苦労は耐えんな……レイモンドよ」
少し眉を上げて意外そうな表情を浮かべながらも頷いたレイモンドに、苦笑してからエリックは更に口を開いた。
「――とにかく…私の目に狂いはなかったようだな。……この様子だと――。“あの件”も――――…」
既にエリックのその目は、鋭く細められていた。
レイモンドも同様に目を細め意味ありげに沈黙した後、「左様で御座いますじゃ…」と答えた。
「…レイモンドよ――。あの者に、期待しておる……と伝えよ」
そう言ってテラスからその身をひるがえす様に背を向けると、エリックは歩みを進める。
「はい…仰せの通りに――」
エリックのその背に向かってゆっくりと直り、レイモンドは答えた。
「お前ももう休むといい―――」
歩みを一度止めたかと思うと、そう一言言い残したエリックが歩みを進め、姿を消していくのを、レイモンドは黙って頷くとその後姿が見えなくなるまで目で追っていた。
全て見届けた後、今度はゆっくりとテラスの方に向き直り、息を潜めるほどの静寂にその耳を傾けていた――。
しばらくしてから、最後に重い息をゆっくりと吐き、静かにその場から立ち去っていった宰相大臣レイモンドと、エンブレミア王国国王エリックとの―――。
何やら不穏なやりとりなど、
二人は全く気付いていなかったのだった――。
―――そんなレティシアに……
暗雲の影が忍び寄ろうとしていたのは――、
それから5ヶ月後の事であった―――――…
――――…
………
†第二章 忍びよる暗雲の影へつづく†
第一章がやっと完結です。
お疲れ様でした。背景とかキャラとかを色々と説明しなければ進めないので、色々と長くなってしまいました。今回は少し、おふざけ回でもあります。すみません。
なんだかんだリュシファーとは馬が合わないようですが、たまには悪くもない時もあります。新しい教育係リュシファーに対するレティシアの評価はまだ保留という感じで終わりにしました。一方で、何やら怪しい動きも最後に見えましたが、それは2章でやっと色々と展開が進みます。第一章まで読んでいただきありがとうございました。では、第二章でまたお会いしましょう。月葉りんごでした。