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06.貴実子への縁談

 渡り廊下の西側に位置するお茶の間に、人の気配がした。貴実子はお父さんのスリッパと客人のスリッパが揃えられているのを確認した。ただいま、と口にしようとも思った。だが、父と客人の笑い声が聞こえてきた。

 せっかくの大賑わいに水を差すのは申し訳ないと思い、ダイニングまで密やかに通り過ぎようと思った。

「貴実子ちゃん。貴実子ちゃんでしょ? お入りなさい」

 どこかで聞いたことのあるハスキーボイスが、茶の間からよく通る声を発した。

 障子を開けると、弾けんばかりのムチムチッとした二の腕の中年女性が、(はす)に構えこっちを見ていた。

「貴実子ちゃん。お変わりなく」

 と言いながら下座の空いている席をバンバン、と叩いた。

 何をか言わんや。突っ立ってないで座れ、と言うことらしい。

「何? 犬飼い始めたんだって?」

 そんなことで呼び止めたのか? そんなこと父から聞けばいいだろうに。仕事終わりで疲弊していた神経が、ヒリついた。

「えぇー。そうなんですよ」

 と合いの手を入れながら、「これ。私も頂戴します」とお茶受けの菓子に、手を伸ばした。血糖値が低いんだ。だから叔母の雑談にも神経に触るんだ。口角を上げながら正座して、煎餅をポリポリ食べて叔母と相対した。

 漸く平静に戻ってきた所で、叔母の無駄話も適当にあしらうようになっていった。

 心臓に毛の生えたような叔母の図太さは、和葉に時折みられた。

 彼女の妹である義母じゃなく、その姉の叔母に和葉は似た。隔世遺伝ではないのか? どうなんだ? と、この血の繋がりを何と表現するのか、父と叔母の談笑を朧げに聞いていた。

 そうするとやっと本題に入った。

「今日は貴実子ちゃんに、嬉しいお知らせを持ってきました」

 と叔母は、満を持して言った。

 世話焼きの叔母が貴実子の縁談を持って来た。

「妹が亡くなって荻原さんの家、面倒見る人がいなくなったわけでしょ。後ろ楯の。このまま放っておいたら、世間との溝は深くなるばかり。だから親戚筋として、ここは一言物申します」

 叔母は思い込みが激しく、自分の妄想をさも事実のように話を膨らませる。今回もそうだ。

「貴実子ちゃん『三十までには一人目は産んでおきたい』、って言ってたじゃない」

 と。誰かの話と私を勘違いしている。そんなこと一言も言った覚えない。義母の姉だった彼女は肝っ玉母ちゃんで、大きな湖の凪の水面のようなたおやかだった義母とは、血が繋がっていたとは到底思えない。まぁ、うちの四姉妹も個性はバラバラなので人のことを言えないが。

 貴実子は嘗ての失敗がまだ尾を引いている。入社して半年経ったぐらいだったか? 当時の配属先の年上のチーフとただならぬ関係にあった。チーフは既婚者で、要するに後ろ暗い、不倫だ。貴実子は本妻になろうなどと言う期待など持たず、上司も年上に恋心を抱く若い女子社員の血潮だと捉えている、と思っていた。

 それが終わっても何だか、恋愛、と聞くと腹ごなしが悪く、自分の中でももどかしい。

 叔母はマイペースでお見合い相手の釣書(つりがき)を広げようとした。そこを瞬時に、貴実子は押さえ付けた。

「叔母さん。私、今まだ結婚は──」

 と見開きを開けさせまいとした。

「どうして。まぁー、まずお相手の情報だけでも、ね」

 と貴実子を払い除けようとしたが、貴実子は更に力を加えた。

「見てしまっては、どちらにせよお返事しなければいけませんので」

 と言って目一杯力を入れると、叔母は緩んで釣書を引っ込めた。

「全くその意固地な所は誰に似たのかしら?」

 と憎まれ口で、父を双眸(そうぼう)で睨み付けた。だが、唐変木(とうへんぼく)とも言える父は全く意に介してないようだった。叔母は仕方なく写真を元に戻した。そうして、

「今時、お見合いって言うと古臭くて、固いものだって考えるけれど、そんな大袈裟なものじゃないの。もっと軽く考えていいのよ」

 と叔母は言ったが、慎重な貴実子は、

「お見合いに頑なになってる訳じゃないんです。只、急過ぎて気持ちの整理がつかないんです。一週間待って頂けませんか?」

 と言って、「一週間ね」と叔母を説得した。


 そんなことで叔母の説得には難儀した。

 そして彼女に何故お見合いに踏ん切れないのか? 何故結婚に後向きなのか彼女に断りを入れようと思案することで、自分の腹も座った。

 私は今の家族が好きなのだ。なんだかんだ反抗期みたいなのがあっても、一家団欒仲睦まじく暮らしているこの一家が好きなのだ。

 何よりもお父さんが好きなのだ。私はお父さんのためになりたいんだ。ありていに言ったらファザコンだ。嘗ての不倫相手の上司はダンディーな男の色香を放っていたが、今は父のような抹香(まっこう)臭いような穏やかさの方が落ち着く。雄雌(おすめす)の野生的な肉欲じゃなく、献身的に親鳥が雛に餌を捕らえてくるように、男女じゃない家族を柱に生きていきたいんだ。

 そのためには今は私の未来像なんて二の次、三の次。父の片腕になろう。そして妹達にそれなりの人並みの将来を築いてやろう。

 一週間後。叔母に説明することは難儀だろうと想像したが、はっきりと、

『今は結婚は考えられません』

 と電話した。叔母は、

『今決めなきゃいつ決めるの?』

 と反対に疑問を投げかけてきたが、

『叔母さん。時代は移ろうものですよ。家に入ることが女の幸せでもなくなれば、フェミニンなキャリアウーマンだって数多います。私は石橋を叩いて渡る慎重派です。行動力がないとも言えますが、逆を言えば、先走った人達を後方から退いて見ることが出来ます。私には全体像が手に取るように分かります。今の荻原家は義母さんが亡くなった後の家庭像を築く、過渡期にいます。今ことを起こすのは時期尚早です』

『貴実子ちゃん。そんな悠長なこと言ってると売れ残るわよ』

 と返す刀で応じたが、

『何が正解だった何て、死に際でもなければ分かりません。義母さんが大切にしていた家庭です。血は繋がってはいませんでしたが、私もその意志を受け継いだ一員です。もう私がいなくても大丈夫、と思える一家になったらその時は叔母さんよろしくお願いします。それまで待っていて下さい。勝手言ってすみません』

 そこまで言うと、叔母も渋々承服せざるを得なかった。そうして電話は切られた。

 これでいいんだ。貴実子は自分自身の選択に責任を持ち、自分を奮起させた。

 貴実子をしっかり者として一目置いている。父は叔母に断りを入れたことについては、貴実子に全く触れてこなかった。

 それは我が荻原家に於いて、私の産みの母。次に義母と愛したのは父自身。父親という肩書きに縛られず、恋愛をした。そんな父は、私が幾らかの恋愛遍歴を積んでいたことも知っていたから。だから父と長女と馴れ合わないプライバシーの線引きは、暗黙の了解としてあった。

 そう言ったことで、父と長女は言葉を交わさなくても分かり合える同士。似た者同士。だから、父は貴実子の意思を尊重する、とする。

 それにしても、下の妹達はてんでさっぱり。

 園美はマイペースでアイドルにときめく推し活の方に熱心だし、幸枝は人付き合いが苦手で、二次元の世界から脱皮していない。和葉はまだ幼児だ。

 今時の娘はこんなものなのか。私も年を重ねたのか、世代間のギャップを感じた。

 私はこの一件で、父の後方支援に徹することとした。

 元々表立つことは嫌いだ。表舞台に立って喝采も浴びるのも、反対に(けな)されることも、どちらも好かない。裏方でいい。私の援助で家族がそれで少しでも豊かになるならば。

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