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03.通院

 もう一歩。後もう一歩、という所まで来た。嘗て義母さんが存命だった頃の荻原家の安らかな家庭まで。

 今の荻原家は安らかの一歩手前。(しず)やかといった所だ。ひっそりとしているが、明るさがない。相対的に観て義母さんの存命と死後では、この差がある。

 四女の再生は一家に明かりを灯したが、小さいからこその感受性を持ち合わせている。母を失った悲しみは私達以上に、心に風穴を開けたようだった。上三人は四女に期待を掛けたが、一家再生の決定打、とまでには結局至らなかった。

 長女の貴実子は考えていた。何かいい、これ、と言う契機はないものか、と?

 父さんの胃癌手術後の一ヶ月検診に運転手として同行し、幼児の和葉だけ連れ立ってワゴン車で病院に向かう。

 父さんは体力が落ち込んで、継続的に目を覚ましていることはなく、助手席で眠りこけている。後部座席の和葉は童心ではらはらと落ちる綿雪に好奇の目が注がれ、じっと車窓を見入っている。私は雪道に警戒し、集中しているから周りに気を配れない。

 全く持って静かだ。義母さんが存命の時は父さんはサービス精神旺盛で、お喋りで場の空気を和ませてくれていたが、その父が患ったのだ。ここにねあかの園美でもいれば座持ちとして盛り上げてくれるのだろが、今は受験勉強で留守番だ。

 あの太っちょでもいてくれたらな、と普段は疎ましくも思う次女の存在に、今はありがたみをひしひし感じていた。

「あっ。ワンワンだ! 前にワンワンがいる」

 車窓を食い入るように眺めていた和葉が声を上げた。犬がいたようだ。

「ワンワン。お散歩してる。雪なのにお散歩してる。偉いねー」

 車内は遮音で窓でも開けなければ、声は届かないのだが、そんなこと知る由もない和葉は、車内で声を上げる。

「ワンワン可愛い。ワンワン可愛い」

 スタッドレスタイヤは装着していて、雪は地面に落ちるとともに溶けて湿っているだけだったが、貴実子は万全を期して、徐行運転をしている。そのため、散歩中の犬との差はそう変わらないようだ。

「ワンワン! ワンワン! ワンワン! ワンワン!」

 気分屋の和葉は犬の存在にテンションが上がり、歌う様に拍子を取り出した。一気に車内の空気が温くなりかけたので、貴実子は、占めたものだ、と思い和葉に話掛けた。

「和葉。犬、何匹?」

「一匹!」

 和葉は即座に答えた。

「何犬?」

「何犬て、なーに?」

 貴実子は相手は幼児だということを度外視して質問したので、和葉には伝わらなかったようだ。噛み砕いて改めていう。

「ほら。柴犬だとか、チワワだとか……。犬の種類よ」

「分かんない」

 長女と末っ子で親子程の歳の差が離れて噛み合わないのだが、車内の空気は良くなって来ていた。

「じゃあ。何色?」

「茶色。黒っぽい茶色」

 貴実子は思い巡らせた。

「焦茶かな?」

「そう。焦茶」

 貴実子は再び思い巡らせた。焦茶の犬か? ラブラドールかな? とりあえず聞いてみた。

「和葉。ラブラドール・レトリバー?」

「ラブラドールってなーに?」

 貴実子は噛み合わない会話に嘆きを少しばかり覚えたが、そんなことよりピンと、気付きがあった。「ラブラドール今度教えるね」と言って、話を切り替えた。ルームミラーを覗いて、和葉が車窓に釘付けなのを確認した。

「和葉。犬かわいい?」

「うん。かわいい」

「どこがかわいい?」

「しっぽをブンブン振っている所」

「犬。欲しい?」

「うん。欲しい」

「犬。飼いたい?」

「うん。飼いたい」

 そうすると和葉が聞いて来た。

「犬。飼えるの?」

「待って。お父さんに聞いてみるから」

 として、貴実子は「父さん。お父さん」と、お父さんに声を掛けて起こした。

 お父さんは浅い眠りだったのかすぐに応じた。

「あ。もう着いた?」

「いえ、後、もう少し。それよりお父さん、窓の外見て」

 お父さんは(おぼろ)げだったが、言われるまま窓の外を見た。お父さんはなんのことか分からないようだったので、細かく言った。「下。下」

 お父さんは覗き込んだ。

「犬がいるでしょ? 犬」

「犬? あー。もう通り過ぎたね。ラブかな。いたね」

 貴実子は寝息を立てていた父をいいことに、勝手なことを言い出した。

「お父さん。和葉がね。犬飼いたい。どうしても飼いたいって」

「ラブかい? ラブラドールじゃ和葉じゃ、大きくないかい?」

「どうなのかな? ラブラドールって訳じゃないんだろうけど。犬、飼いたいって」

「犬かぁー。上三人はもう大きいから、手が掛からないけど。お義母さん亡くなって。和葉の面倒、お父さんが見ないとダメだからねー。正直──」

「和葉が面倒見るって言ってます!」

 何かお父さんは最後言い掛けたがそれを(さえぎ)って、貴実子は言った。ホラを。

「…………」

 お父さんはそれを聞いて何と返そうか逡巡しているようだった。貴実子は続けた。

「お父さんも若くないし。手術もして、体力も落ちているようだし。和葉。今は義母さんのこととお父さんのことで大人しいですけど。亡くなる前。凄かったじゃない。元気! もうお父さんじゃ、手に負えないと思う。そんな病み上がりじゃ」

 雪が止んだ。貴実子はアクセルを吹かした。

「けれど。子犬だったら。和葉のエネルギーに負けず劣らず。いいんじゃないかな? 発散出来て」

 車が滞りなく進み始めた。

「和葉の面倒は犬に任せて。犬の面倒を和葉が見ることで、和葉の成長にも繋がるし。私は和葉の『飼いたい』って意見に一票入れるわ」

 前の車両がスピードに乗って行った。

「基本的に和葉に犬のことは、面倒見てもらって。お父さんはその監督係。お父さんのリハビリにも丁度良い。お金の心配なら要りません。私、少しですけど蓄えあるんで」

 そう言って快調に飛ばした。

「じゃあ。帰って園美と幸枝に相談して。前向きに検討してもうってことで……。貴実子どうだろう?」

「ハイ。良いと思います。その方向で話を進めましょう」

 曇天から青空に開けてきた。

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