なぜ自分の小説は、面白すぎるほど面白いのか?
小説投稿のあれこれをつぶやくエッセイ、今回も生成AIでの作文について語ります。
最近、毎週日曜日にエッセイをアップすることにしたのですが……ごめん! 課金ゲームにハマってます。
畑を耕す街づくりゲームで『タウンシップ』って言うんですが、有名なゲームみたいですね。
課金ゲームにハマるのは三度目です。あ、一応、今のところ過去も現在も無課金ユーザーでがんばってます。課金ゲームを無課金で楽しむためには、莫大な時間を費やすしかありません。
過去の経験で、私は学習したはずです。
いくらゲームで大金持ちになっても、私の懐には一銭も入ってこない。いや! 時間というかけがえのない財産を失うことにほかならない。
しかし過去の経験からして、二カ月ほどこの状態が続くと思われます。現在は十月に入ったところ。いやだなあ、年末をゲームで費やすなんて……でも私の脳はすっかりゲーム脳。
今、こうして文字を打っている間も頭の中は
「そろそろ、ジャガイモ収穫できるかな?」
「ピザは焼き上がりに時間かかるんだよねー」
「いつかタワーマンション建てるぞ!」
はい。重症です。
現在(2025年10月)連載中の異世界ファンタジー、物語は不幸のどん底まっしぐらです。あと一話で章の区切りがつき、来週から新章スタート……のはずです。
その新章も不幸の連続ですが、今、書けたのはこんなところです。
・謎のプロローグ
・ラスト三話、八千字ほど
すごーくざっくりとしたプロットはあるのですが、まだちゃんとした第一話が手つかずです。
こんな時に限って、ゲームにハマるんですよね。いや、こんな時だからこそゲームにハマるんだ。
ええ、もうゲームからは足を洗うつもりだったんですよ。
しかし、昨年末から、都会の文章教室に通うようになり、電車の中の暇つぶしに困っていました。
それこそ、自分の小説を書けばいいじゃんって感じですね。ええ、小説を書くときもありますが、そこまで気がのらず、お勉強系のアプリをダウンロードしたんです。
四字熟語のパズルゲームです。
小説を書かれる皆さんは、いろんな本を読んで四字熟語を勉強しているんでしょう。でもごめん。私、勉強好きじゃないのよ。
ボキャブラリー貧困の癖に小説を書こうとするから、いつも苦労してます。
なので、アプリで四字熟語を勉強したら、少しは賢い感じの文章が書けるんじゃないかと期待したのですが……やっぱ、いくらパズルになっても四字熟語わかんない。つまんない。おもしろくない~。
無料のゲームにケチをつけるわけじゃありませんが、私みたいな勉強苦手な人間には面白くないアプリでした。
無料のアプリだから、当然広告が入ります。その広告が、今ドハマりしている街づくりゲーム『タウンシップ』だったんです。
いや、まんまと敵の戦略にはめられました。
もちろん、四字熟語アプリはどっかへいっちゃいました。いや、アンインストールはしていないけど、すっかり忘れています。
さて、せっかくだからこの経験を小説執筆に生かそうと思いつつ、過去のエッセイを見返してみたら……はい、私、『あつまれ動物の森』にハマった話を書いてたじゃないか!
『あつ森』も『タウンシップ』も、街育成ゲーム……って言っていいよね?
これらのゲームの魅力は次の点でしょうか。」
●お手軽に小さな達成感が得られる。
●徐々にできることが増える。
●その積み重ねで大きな世界を作ることができる。
『あつ森』にハマったエッセイでも似たようなこと書きました。
繰り返しになりますが、これを仕事に応用したのが、ポモドーロテクニックという技です。
簡単に言うと、30分ごとに強制的に5分間休む。2時間経ったら30分の休憩を取るというものです。
作業が膨大でやる気が失せる仕事でこの技を使うと、すごくはかどる……かもしれません。実際、8時間集中するのは無理でも、30分だけならがんばれるもんね。
じゃあ私が「はかどります」と断言しないのは……本当に仕事やる気ない時って、ポモドーロテクニックを使おうという気持ちになれないのよ~!!!!!
これじゃ過去のエッセイの焼き直しじゃん。
ということで、もう一言。
私、4年間もウェブ小説を書いて、ようやく自分の小説の根本的な問題に気がつきました。
世間様に公開して「読んで」「読んで」と騒いでいる割には、読者のために書いていない気がしてきました。
私は自分の妄想を形にするため、小説という手段を取っています。
最初にウェブに出した小説は、年下理系男子とのイチャベタを書きたい! その一念で書き上げました。
そこを出発点として、年下理系男子の専門ジャンルや、なぜ彼がヒロインに惹かれるのか? どうやってヒロインとヒーローを会わせるか? すんなり結ばれちゃつまらないからトラブル入れよう……そんな風に話を組み立てました。
我ながら気に入ってます。よく書けたなと思ってます。
小説を書き上げたときの達成感って、パズルや難しい数学の問題を解けたときの気持ちに似ていません? 違うかな?
そこで最近、不安になってきました。
もしかして私の小説って、パズルを解いたプロセスや証明問題の回答をそのまんま見せているのではないか?
私自身は、私が書いた小説を本気で面白いと思っています。何度も読み返し、いや~よくこんな展開思いついたな~って陶酔しております。
でもこの自己陶酔、私が書いた物語そのものが優れているからというより、作者だから面白く感じるのでは? と、冷静に考えるようになりました。
他人が書いた数学のノートなんてチンプンカンプンで無意味な記号の羅列です。面白くもなんともありません。
しかし、自分のノートは違います。ノートを見直し「おお! 我ながらエレガントな回答思いついたじゃん!」って、自己陶酔に浸れます。
パズルを解けたときはすごく気持ちいい。でも、他人がパズルを解いた過程を見せてもらっても、面白くもなんともない。
自分の小説が面白いのは、「そうそう! この展開に苦労したんだ!」と、過去の執筆の楽しい体験を思い出すからではないか? そんな気がするのです。
多くの人がそうだと思いますが、私も他人の小説を読むときは、作者の苦労なんて考えません。ジェットコースターに乗って、物語の展開を純粋に楽しみます。
物語の論理的整合性なんて気にせず、気持ちよくさせてくれるかがすべて――ウェブ小説を書いて四年経ち、ようやく私は基本に気がついたのです。
もしかすると『あつまれ動物の森』や『タウンシップ』が小説の目指す姿ではないかと。
情報は小出しにする。主人公は絶えず小さな達成感を味わう。いつの間にか大きな仕事を達成している。
ただ、ゲームは自分が体験するからそれでいいが、主人公が成功しているだけでは、物語にならない。成功している主人公が、終盤に挫折を味わう。そこから立ち直ると大きな謎が明かされる……そんな物語を目指すべきなんだろうなあ。
でも、今連載中の物語を変えるつもりはないんです。作者の立場をいいことに、じゃんじゃか憂鬱な展開にしていますが、そこはもう、私のわがままを優先させたいんです。
今の連載が終わるのは、半年ぐらいかかりそうです。そしてもうひとつ、中断中の物語があります。話が広がりすぎたので、さらに一年ぐらいかかりそうです。
ということで、来年、じゃなくて再来年になったら、『あつ森』みたいな物語に挑戦……できるかなあ?
いや自分、もっと壮絶な鬱々展開に突き進み、宇宙が滅びるレベルの物語を喜々として書いてるかもしれません。
ということで最後に宣伝。
鬱々展開が大好きな方、現在連載中の異世界恋愛ファンタジー『彼女の前世がニホンジン? 2 聖妃二千年の愛』がお勧めです。
ご満足いただけること間違いなし! ……たぶん。




