セミ三郎の恋
その後のセミ之介か?
奴もみんなと同じさ。どんなセミも地上に出てからは七日間って与えられた時間には限りがある。一度土の上に落ちてからは、もうレースなんてしてないらしい。いや、できなかったんだ。すぐに真っ直ぐ飛ぶこともできなくなってな。あれだけモテたのに、女セミと一緒にならないまま、動けなくなったらしいぜ。レースに一生をささげたセミだ。
「おい!セミ之介! もうくたばっちまったのか?」
ふー。俺もあんまりレースに出て活躍しなかったけど、運よく俺を気に入ってくれた女ゼミと一緒になってよ、あの木に子どもを遺せたよ。
最近は夕方からは大分寒くなって、鳴く声もろくに出ねえし、たまに出ても途切れ途切れで、みっともねえ。
夜になると鈴虫やコオロギの奴やらが煩くて適わねえ。あいつらの鳴き声はどうも悲しくていけねえよ。ただ聞いてるだけで切なくなる。
俺たちがみんな元気で入道雲と暑いお天道様とがある空を飛び回ってた頃はもう来ないんだって、あいつらの鳴き声を聞いてると分かるんだ。
俺たちにはもうあの時代は二度と来ないんだってな。
「おい! セミ・・・セ・・・ミ子~」
そら見ろ…女房の名もろくに呼べねえ。女房の名はセミ子って言うんだ。昨日の夕方見たっきりだ。羽の艶も無くなってたな…萎れちまった花びらみたいな羽を重そうに背負って土の上を歩いてたよ。後ろから声を掛けようと思ったんだけどやめたんだ…
息が切れてきたぜ。もうこうして喚いてる俺以外、誰の声も聞こえない。秋の声にかき消されちまってるのか?
セミ子、覚えてるか?俺たちが土から這い出してきた夜のこと。土の上の夜は真っ暗だって聞いてたけど、出てみたら一面白い電燈に照らされていた。
まだ目がはっきり見えない俺は、とにかく早く木に登りたかったからさっさと邪魔な皮を脱ぎ捨てて一思いに木に登っちまおうと思って、まだ力の入らない手で木に手を掛けた。
そしたら隣の木の根元から出てきたばかりのお前を見つけたんだ。お前はしばらくじっとしていて、幹にしっかりと爪を立てて、ゆっくりと丁寧に最後の皮を脱ぎ始めた。
ゆっくり皮を破って出てきたお前は真っ白でさ、羽の周りだけが光に照らされて薄い青緑色に光ってた。
霧の中にいるようなぼんやりとした視界の中で、お前はそりゃーそりゃー綺麗だったぜ。木の影からこっそり見たお前は白い柔らかくぼんやりとした光に包まれてた。
羽が柔らかそうに少しだけ力なく震えてた。俺もまだ痺れて動かない脚を一所懸命動かして、そっちまで言って声を掛けたな。
「いやー思ったより、上の世界は大変ですね。静かに根っこから樹液を吸っていれば良かった土の中とは勝手が違う」
「足が痺れて動かないわ」
「ちょっと土の中に長くいすぎましたかね?」
「・・・仕方ないのよ、きっと。土の中に七年って決められてるから」
「そうですね。今さら長いの短いの言っても始まりませんしね」
「そうね…とにかく、夜が明ける前に木に登りましょう」
俺たち一緒にあの木に登ったよな。
「どうぞ、お先に。俺は後から登ります」
「え、いいの?」
「はい。レディーファーストですよ」
「あははは。私は後からでいいわ」
「それじゃあ一緒に登りませんか?」
「あ、いいわね。そうしましょ」
枝にぶつかって落っこちないように、上を見ながら、そして時々お前を見て木を登った。セミ子、お前の横顔、白くてきれいだった。小さい真ん円の目もかわいかった。
俺はさ、セミ代に気があるような振りしてたけど、本当はあの時からお前に決めてたんだ。
お前がセミ之介やセミ雄に憧れてたのは勿論知ってたさ。でも、もうそんなことはいいんだ。
「俺、だんだん、足が動くようになって来ましたよ」
「やっぱり、あなたも?わたしもよ。温かい風が湿った体を乾かしてくれるわね。土の中より木の上の方がずっと気持ちが良いものね」
「そうですね。なんだか、ワクワクしますね」
「本当ね。わたしね、こうして木に登るのをずっと楽しみに土の中で待ってたのよ」
「やっぱり、あんたもですか? 俺もです。随分長い間待たされた気がしますよ。隣の方が去年上がって行かれた時は、我慢できなくなって一緒に上がって行こうとしてしまいました。でも、その方が懸命に止められたんです」
「あら、あなたせっかちなのね。ふふ」
「隣の方が、『決まりだから』って。『七年土の中にいるのが決まりだから絶対に駄目だ』って」
「ふふ。それはその方のおっしゃる通りだわ。わたしは逆に、今年も見送って来年にしてもいいかなって思ったくらいだけど。もう一年下で体力を蓄えてからいこうかしらってね。でも隣の方に『決まりだから』って言われてね。観念して上がって来たの。わたしたちは七年って決められてるのよ」
セミ子は、俺がセミ之介とのレースに負けたときも、温かく慰めてくれたんだ。
「速いだけが一番じゃないって」その時、俺はお前にプロポーズしたんだったな。
せっかちな俺とのんびり屋のお前、俺たちの子どもはきっとちょうど七年できっちり出てくるさ。
俺たちがそろって地上に出てきたあの日、木の中腹まで来た俺たちは、そこで止まって朝焼けを拝んだ。
拝みながら、二人で吸った樹液の味、セミ子、覚えてるか?仄赤い陽に照らされたお前の体は、もうすっかりセミ色に変わっていてきらきら艶々と、茶色に輝いていた。
「どうしたの? 急に黙って・・・・・・」
「いや、別に・・・・・・あ、失礼、お名前は?」
「わたしはセミ子・・・」
「セミ子さんっすね! よろしくお願いします。俺、セミ三郎と申します」
完




