富岡八幡 ―― 恵比須様と八幡様
初出:カクヨム https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16818023211805408890
小さな紙片がテーブルの端っこにこんもりとなっている。
その小山を、家人が両手で覆い隠すようにしながら、この中から一枚を引くように僕に言う。
何でも、次の日どこに行くかを占うための籤だという。
果して僕が引き当てた紙には「富岡」の文字があった。
これは「富岡八幡宮」を指しているのだそうな。
富岡八幡と言えば、東京深川の神社が有名で、僕たち二人組も何度かお詣りに行ったことがあるが、この籤が示す富岡とは、かのお宮のことではない。
横浜の京急富岡駅の近くにある富岡八幡宮のことである。こちらのお宮にも、僕たちは何度かお詣りをしている。
そもそも、深川の八幡様の本家筋に当たるのが、こちらのお宮であり由緒も古い。
八幡の名が冠されてはいるけれども、もともとは、鎌倉から鬼門の方角に当たる当地に、源頼朝が摂津の西宮から戎神を勧請したのが起だという。今でも「浜の恵比寿様」と一般に称されることも多い。ちなみに、西宮の恵比須様は、新年の十日戎に行われる開門神事で福男選びがあり、毎年これが全国的に報道されて有名になっている。
当初は頼朝によって戎神が祀られた当社だが、創建から三十数年後の安貞元年には、八幡神が合祀され、社名にも「八幡」の文字が入ったと言われる。何でも、八幡大神が富岡の地に顕現遊ばし、自身を祀るよう沙汰されたとする伝承もある。
要するに、このお宮、八幡様であると同時に恵比須様でもあるという、実におめでたい神社である。
戎神はもともと海洋に関係の深い神様であるが、こちらの神社の立地も海辺にごく近く、木々の茂った小高い丘の上にある。応長の大津波の際には、この鎮守の杜山が盾となって付近の集落を守ったとの逸話もあり、「波除八幡」とも言われる。
夏越の祓の時期には、青茅で拵えた舟に罪穢を載せて海に流す、珍しい祇園舟の神事が行われており、僕と家人も十年程前、その大祭の日に参詣し茅舟の祓に立ち会って、茅の輪のお守りを頂戴する機会を得た。
ただ、その後、ここ数年は特に理由はないものの足が遠のいており、長らくご無沙汰が続いていた。冒頭に書いたように、紙片の山から「富岡」の籤を僕が引いたのは、そろそろ挨拶に来るようにとの神様の思召しかも知れぬ。
籤の翌日、何年かぶりに京急富岡駅で下車した。ここから十五分ほど歩けば神社に到る。
表参道の入口、朱塗の鳥居の下には一対の狛犬。鳥居をくぐって石段の上の境内にも更に一対。いずれもなかなかに個性的で見応えのある面魂である。調べたところ、石段下のものは天保年間、境内のものは大正年間の作らしい。海辺のためか、或いは関東大震災の影響も幾許かあるのか、石造りの彫像にいささかの風化や破損が見られる。しかるに、またそれも味わいである。
境内は落葉や塵埃が実に丁寧に掃き清められている印象で、まさに神宿る場にふさわしく、清浄たる雰囲気が心地よい。
狛犬を過ぎて手水を使い、ご本殿に敬礼した後は、右手の末社にもそれぞれ礼拝する。こちらは、熊野権現、稲荷明神、祖霊社となっている。
一通りお詣りを済ませたところで、八幡様と恵比須様、それぞれの御朱印を頂いた。朱印帖にご記入いただくのではなく、あらかじめ用意された紙を頂戴する方式である。
平日の参詣であったが、僕たち以外にも参拝者が少なくなかった。年が改まって半月にもならぬので、初詣の方もあるのかも知れない。
境内の周囲の鎮守の杜では、小鳥たちがさかんに鳴き交わしている。山雀の声がするように思い姿を探すが見当たらない。そうしているうちに、僕の足許近くに青鵐が二羽やって来てくれた。非常に可愛らしい。家人はこの鳥を目にするのは初めてだという。僕も、実際に見たのは何年振りだろうか。
久しぶりにやって来た僕たちを歓迎するために、神様がお遣わしになったものだろうか。そう考えると、しみじみ嬉しくありがたい。
さて、参拝の後は、直会が付物であるが、こちらについては稿を改めてご報告することといたしたい。
<了>