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・鉄と塩と人の業 - もう戻れない -

 兄上が俺を殺した男に処刑まがいの残酷行為を働き、賞賛と喝采の雨あられを受けたその翌日の深夜、俺はグリンリバーの川辺へ散歩に出かけた。


 近衛兵に気付かれないように抜け出すだけでも大変だった。

 だけどそこはリアンヌというお手本がいたから、その応用でどうにかなった。


 さすがに地下トンネルは掘れないけど、2階の寝室から警備の薄いところに出るくらいならそこまでは難しくない。

 出立した兄上の護衛のために、ちょうど警備が手薄になっていたのも幸いした。


 川辺でわざとらしく水を鳴らして川遊びをしていると、物陰から何者かが俺に襲いかかった。

 甘い香りのする何かを嗅がされた。


「やったぞ、八草……っ、これで俺たちは帰れる!」

「ああ、俺の言った通りになっただろ?」


 俺は川に流されかかって、その怪しい人に両手で水から抱き抱えられた。


「よかったなっ、これでお前の娘も救われるなっ!」

「ああ……。これでカナが……やっと……やっとだ……」


「それにしても間抜けな王子様だ。天才と聞いていたが、しょせんはガキだな。さあ行こう! 気付かれる前に海に出ちまえばこっちのもんだ!」

「あ、ああ……わかってる……」


 八草さんとガルム傭兵団の残党はアリク王子をさらった。

 その報を受ける母上や父上の苦悩を考えると、胸が凄く痛んだ。


 けどもう、やってしまったものは仕方ない。

 厳密に言えば眠り薬は毒ではないのか、俺を薬で眠らせようとした彼に変化はなかった。


 そうでなければこちらも困った。

 父上と母上には、兄上からのフォローが入るだろう。


 それとリアンヌに暴走されたら困るから、リアンヌにはもう手紙を送ってある。


 君と同じ手を使う、って。

 近衛兵さんに累が及ばないように、その手紙を父上に転送するように頼んだ。


「娘が助かるってのに、なんでそんなに暗い顔してんだよ、八草?」

「コイツにも親がいる……。俺はソイツを、しこたま不幸にする……。カナの幸せのためだけに……1人の子供と、その家族を苦しめるんだ、俺は……」


「別にいいだろ。今日までこの王子様は良い生活をしてきたんだからよー」

「……そうかもな。ところでお前の知り合いの武装商船、本当に急いでくれるんだろうな……?」


「こういうことになるとステリオスは羽振りが良い。後はこのお姫様を、あの小児性愛のホモ野郎のところにお届けするだけだ……」

「それでカナは救われる……。くっ、ちくしょう……最低だが、捕まえちまった以上はやるしかねぇ……」


 そう、これで俺は今回の大騒動の発端そのものである、危険な切れ者ステリオスと会える。

 かなりヤバいやつみたいだけど、俺はそいつと会わなければならない。


 成人するまで城に軟禁されることも覚悟の上で、今回の奇策のカードを切る。

 俺の狙いはステリオスとカナちゃんだ。


 アリク王子はただちにグリンリバーからアイギュストス領に運ばれ、その先の小屋に隠された。

 夜を明かして朝となり、昼となり、また夜となると海辺に小舟が現れて、俺はそれに乗せられた。


 月光の輝く夜の海に、中規模の帆船が微かに見えてきた。


「ヤクサさん、どれくらいであっちに着くのかな?」

「明後日の朝方くらいだ。本当に悪ぃな、王子様……」


「別にいいよ。カナちゃんのためなんでしょ?」

「そうだ。俺はカナのために、お前を最低のゲス野郎に売る……」


 既に父上と母上には、兄上から俺の悪巧みが明かされ、双方とも発狂している頃だろう。

 本当に成人するまで、城から出してもらえなくなるんだろうな……。


 たかが好奇心と同情。合理的視点に則っての敵の排除のために、自分の自由を犠牲にするなんて俺はどうかしている。

 でも、胸糞悪いオチは嫌だ……。


「身の安全は俺が保証する。あの変態野郎に引き渡して、カナを取り返すまではな……」


 ああ、父上より母上のお説教が怖いや……。

 でもこの戦いを早期に降着させ、カナちゃんを救い出すには、これこそがベストアンサーだった。



 ・



 もし失敗したら一生惨めな暮らしが待っている。

 そう考えるとさすがに船旅を楽しむ度胸はなかった。


 母国ではみんなが俺の誘拐に苦しんでいる。

 そう思うと出てくるのはうねる大海への感嘆より、重いため息の方だった。


 ヤクサさんは俺を守ってくれた。

 水夫が少しでも野卑なことを王子に言うと、彼は本気で怒ってくれた。


「俺に斬られなくなかったら、アリク殿下に謝りな。この子の名誉を汚すことは、俺が許さねぇ……」

「おいっ、そんなもん抜くなっ、冗談だってよ……っ?!」


「俺ぁよ、ガキを不幸にするやつはみんな死ねばいいと思ってんだ……次は斬るぜ」


 ヤクサさんはいつだって、仁義と娘の幸せの間で揺らいでいる人だった。

 そんな彼をカナちゃんごと破滅させるのは、やはりもったいないと感じた。


「ヤクサさん、よかったらゲームに付き合ってくれない?」

「おいおい、何を言い出す……。俺はお前を――」


「今僕と遊んでくれる人は、ヤクサさん以外に居ないんだ。お願い」


 ヤクサさんとソラマメを使ったリバーシで遊んでもらった。

 俺と遊んでいるとカナちゃんのことを思い出してしまうのか、彼は時折泣き出しそうなほどに悲しそうに海原の彼方を見つめた。


「アリク王子……確かにお前さんは神童だ。それもキレッキレッヤベェやつだよ、お前さんはよ……」

「ごめんね。でも次は勝たせてあげるから、もう1ゲーム」


「お前さんには敵わねぇな……」


 自分の人生と家族の幸せを掛け金にしたバクチは、子供好きのヤクサさんのおかげでどうにか続ける勇気が出そうだった。

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