・鋼の夢 - こしとたま -
「アリク殿下、一つだけお願いが……」
「なあに、お兄さん?」
「トーマをあまりからかわないでやって下さい。彼はあれで精一杯なのですよ」
「ごめん、反応が面白いから、つい……」
「かわいいようで殿下は悪ガキですな。……おっと、この話は聞かなかったことにして下さい」
「わかったよ。お兄さん、いつもトーマと一緒に僕のことを守ってくれてありがとう」
「ははは、殿下はやはり人たらしでいらっしゃる」
工業区画の方に馬が通りを曲がると、昼間に見たような煙がまた立ち上っていた。
気になるので徒歩のトーマを走らせて急いでもらうと、作業場では俺が設計した高炉にもう火が入っていた。
炉に対して仰々しいほどに高い煙突が天にそびえていて、そこから水蒸気に見える白い煙が上がっている。
「後は様子見やな。このまま崩れたり、熱が漏れたりせえへんかったら、それで大成功や」
「もう、火を入れるところまで見たかったのに……」
「悪い悪い。せやけど急ぐんやろ? しばらくはうちに任せときぃ」
赤毛の大きなお姉さんがドーンと胸を叩いて、明るく豪快に笑った。
会ったその時は上手くやれるか心配だったけれど、アグニアさんは俺を特別扱いしないでいてくれる頼れる姐さんだ。
任せておけば安心。そんな気にさせる明るく頼もしい雰囲気がある。
「具体的にどれくらいかかりそう?」
東の空を見上げてみると、広くなだらかな山の彼方がほのかな桃色に染まり始めている。
「上手くいっても夜中やな。まっ、成功を祈っといてや」
「わかった。何か手伝えることがあったら声をかけてね」
「いいから王子様はおとなしく領主の仕事しいや。こっちは任せとき」
耐熱レンガは作れたけれど、高炉造りに失敗しましただなんて報告は父上にしたくない。
経済封鎖は国内経済を悪化させ、物資の欠乏を招き、王家の権威を危うくする。
せっかく政情が安定してきていたのに、国内諸侯の不満が高まれば政争の種が芽吹いてしまう。
「帰ろう、トーマ。今度は馬の前に乗せてくれる?」
「はっ、ご命令とあらば喜んで!」
俺は庭園のある木造の古いお屋敷に戻り、また工業区画の白い煙をうかがう生活に戻った。
そこから砂鉄の運送の指示や、木炭の買い付けを行って、いつでも製鉄に入れるようにあらゆる準備をして待った。
「殿下、今度は町長からの陳情です。ですがもう遅いですし、明日にさせますか……?」
「ううん、頼ってくれているのに追い返せないよ。応接間に通して」
「はっ。しかしこうなると、この屋敷に使用人を雇いたいところですね……。よもや近衛兵の方々に、夕飯を作ってもらうことになるとは……」
ここの管理をしていた使用人さんは、だいぶ前に引退してしまったそうだ。
それっきり前の代官さんは、1人でここで暮らしていたらしい。
それもあってこのお屋敷は、埃をかぶらせた部屋がいくつも余っていた。
町長さんは既に応接間へと通してあるそうだ。
さっと彼の陳情を聞いて、近衛兵さんたちと楽しい夕飯にしよう。
お腹を空かせながら廊下を早足で進んで、応接間に入った。
するとそこには、町長さんと一緒にあの娘さんも一緒にやってきていた。
「あ、アリク王子様ぁ……っ♪」
「これ、馴れ馴れしい態度はよしなさい、ターニャ」
「僕は別に気にしないよ。町長さん、ターニャさん、いらっしゃい」
ターニャさんは俺の気を引こうとこちらを見つめ、トーマはそんなターニャさんをまた鋭く睨んでいた。
こっちにやってきてからというもの、トーマには損な役回りばかりをさせてしまっている。
これがお目付役でもあるトーマの仕事とはいえ、嫌われ役を続けるのはきっと大変だろう。
「アリク殿下、明日王宮に戻られるそうですな。そこで、なのですが、建築していただきたい施設があるのです。よろしければどうでしょうか?」
「いいけど、何が必要なの?」
「はい、それは集合住宅です。最近、外からの労働者がことに増えましてな、現状、家が足りておりませぬ」
「それは困るね。わかった、予算を捻出するように父上へとお願いしてみるよ」
そう答えてこう思った。
アリク王子って、下々からすれば凄く便利な存在だなって。
普通の領主なら書類を揃えて、王宮の文官や父上たちに予算の用途を説明、説得をしなければいけないことも、僕を通せば簡単に通ってしまう。
コネって強い。
そりゃはびこるわけだと、実感した。
「ありがとう王子様っ! あ、それでねぇ、あたしからもぉ、お話があるんですけどぉ……♪」
「却下です」
「ちょ、ちょっとトーマ、ターニャさんはまだ何も言ってないよ?」
「ならば当ててご覧に入れましょう。ターニャ殿、この屋敷の使用人になりたいとおっしゃるのならば、お断りです。殿下には、指一本、触れさせません」
何を言うかと思えば、それってだいぶ君の妄想が入っていないかな、トーマ。
「凄い、なんでわかったの……っ? アリク様ぁ、お手が足りていないならぁ、あたしがぜひお屋敷のお手伝いをぉ……♪」
そう思ったんだけど、トーマの言う通りになっていた。
ターニャさんはその茶色い髪を手ぬぐいで覆って、家政婦に見立てて俺にウィンクを飛ばしてきた。
彼女の狙いは恐らくは、玉の輿なのだろう……。
「これターニャッ、殿下に色目を使うなと言うておろうっ!」
「そんなぁ……あたしはただぁ、アリク様をお仕えしたいだけなのにぃ……」
清々しいほどの下心を込めて、頼るような色瞳をターニャさんがアリク王子に送る。
ちょっとだけ、職員アリクを良いように利用して捨てたあの女、サーシャのことを思い出した……。
「お話はうかがいました、ではお下がり下さい。殿下、夕飯のお時間です、さあ食堂へどうぞ……!」
「気持ちはわかるけどちょっと恐いよ、トーマ……」
「さ、殿下は食堂に! 私はお二人を玄関までお見送りします! ギロッッ!!」
トーマは王子の小姓でありお目付役だ。
彼女の行いはその立場を考えれば正当で、ただ王子に近付く怪しい輩を遠ざけているに過ぎない。
俺はトーマに従って食堂に向かい、そこで家事をしてくれている近衛兵のお兄さんたちに温かく迎えられた。
「またトーマがキレ散らかしていたようですね、殿下」
「はは、今度は何があったんですー?」
「うん、それがね……」
応接間で起きた出来事を伝えると、お兄さんたちは俺を羨ましがりながらも、今度ばかりはトーマが正しいと肩を持った。
「殿下はおやさしいですからな、今後そういった輩はいくらでも現れるでしょう」
「リアンヌ様に嫌われたくなかったら、男らしく誘いを拒むべきです。浮気ってやつは、恐いですよ、殿下……」
今日は近衛兵のお兄さんたちとも、今まで以上に親しくなれた良い一日だった。
楽しい食事をしてベッドに横になると、高炉造りの報告を待ちたかったのに、8歳の身体はいともたやすく安眠の世界へと少年を引きずり込んでいた。
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