・鋼の夢 - 殿下の仰せのままに -
トーマは護衛のために俺を馬車に乗せたがった。
だけど馬車に飽き飽きしていた俺は、また馬車室押し込められるなんて今日は嫌だったから、とある提案をしてみた。
「は、はぁぁぁ……っ。生きていて、良かっ、た……っっ」
「トーマ、空ばっかり見上げていないで前を向いてよ」
「はっ、申し訳ありません殿下! つい、感動のうれし涙が……っっ」
「気持ちはまあ、わかるよ……」
アリク王子はトワお姉さんの胴体に後ろから腕を回して、お姉さんが駆る馬の後ろに乗せてもらっていた。
アリク王子のようなかわいいショタ王子様を、馬の後ろに乗せて乗馬を楽しむだなんて、それは現代人目線から見てもちょっとしたロマンであり、人によっては感動的なエンターテイメントにすらなる。
「殿下は私の背が、お嫌ではありませんか……?」
「嫌なわけがないよ。僕をずっと守ってくれている人の背中だよ?」
トーマは男装のためにおじさん向けのコロンを付けている。
その匂いに混じって、少し乳臭いような女の子の匂いが少しだけ香っていた。
「うっ、む、胸が……っ。このままでは、昇天っ、して、しまう……っっ」
「でもあまり変なことばかり言っていると、グリンリバーのみんなに変な男の人だと思われるよ……?」
実際、トーマはちょっと変態臭いところがあるけれど……。
それはトーマの個性ということで……。
まあ、うん、そんなわけで俺たちはグリンリバーの町を楽しく巡っていった。
うら若い少年小姓と、その小姓が乗る馬の背にまたがる小さな王子様という構図は、領主の威厳とかよりも微笑ましさの方が圧倒的に勝った。
「なるほどね。こう双方の土地が低いと、橋を架けるにも結構大げさな物が必要になるね。それにその橋が水運を阻害するようなら、それこそ意味がない」
「殿下の仰せのままに……」
「それにあそこにある渡し船の稼ぎなくなるのも、地元としては困るのかもね」
川沿いにやってくると、材木を丸太船にしたものや、大型のカヌーが下ってゆく風景が見れた。
大きな川は水の流れもゆっくりで、その静かな流れと人々の営みを眺めていると、なんだか気持ちが落ち着くかのようだった。
「それに父上たちはさすがだね。この流れのゆるやかな川を使えば、南方に鉄を迅速に運べる。地勢学的に見ても、ここはもっと栄えても良い土地だよ」
「はっ、仰せのままに……」
「トーマ、次は町の南側にお願い」
「はっ! ああ……ずっと、ずっとこうしていたい……」
ショタコンのお姉さんと一緒に、グリンリバーの南に馬を歩ませた。
どうやら南は麦やブドウ畑が多いみたいだ。
川から南東に伸びてゆく水路の左右には、馬車が通れるくらいの農道が整備されていた。
良く言えば牧歌的。
悪く言えば現代人にはとても堪えられない農民生活がそこにある。
穴の空いた粗末な服で、ボロボロの農具を握って、毎日を泥まみれの肉体労働に費やして生きるだなんて、現代で生きていた自分にはとても堪えられそうもない。
奴隷農園暮らしを耐え抜いた職員アリクは凄かったんだなって、自分で自分に尊敬を覚えた。
「みんな大変そうだね。少しは楽をさせてあげられるといいんだけど……」
「は、仰せのままに……」
さらに進んでゆくと、道の向こうからボロボロの荷馬車がやってきた。
「見たところ余所者みてぇだが……あっ、もしやお前が噂の新しい代官様かっ!?」
「ああ、そうだ。こちらにおらせられるのが、カナン王国第二王子アリク様だ」
そういう仰々しい態度は止めて欲しいんだけど、俺たちの立場を考えれば仕方がなかった。
「かわいいな、女の子か?」
「失礼なっっ! 殿下は男の子にあらせられる!! というか私が王子と今言っただろうっ!!」
そこは田舎の人なんだから仕方ない。
それにどうやら見たところ、俺たちは一方通行の道を逆走していたようだった。
正しい道は、水路の反対側に走るあっちの道らしい。
「アリクです。至らないところがあるかもしれませんが、僕なりに代理領主の職務を精一杯がんばります。よろしければお力添えをお願いします」
「謙遜しねぇでくれ、アイギュストスの塩田の話は聞いてるよぉ! あの塩のおかげで、うちの家計は大助かりだって!」
農地の人たちは新領主アリクを温かく迎え入れてくれた。
次から次へと馬の前に人が集まってきて、中には収穫したてのニンジンをくれる人もいた。
「お止め下さい殿下っ、用水路で洗っただけの野菜なんて汚いですよっ!?」
「そうかな? お城に届いた野菜の方が、色々な人の手に触れていて、よっぽど汚いと思うけれど」
トーマの主張を遮って、穫れたてのニンジンをかじると農地の人たちはとても喜んでいた。
・
町の東部はなだらかな上り坂になっていた。
豊かな林野が山の彼方まで続いていて、民は植林や伐採などの山仕事に精を出していた。
植林は白い樺の木が多くて、植林業から発展した果樹園もちらほらと見かけた。
「これだけ林業が発展していれば木炭にも困らないね。ただ、炭焼き小屋をもっと増やすように命じないといけないかな」
「はい、殿下の仰せのままに……」
北部はグリンリバーにやってきた際に視察してある。
あちらも郊外は林業で、その他には陸運業に従事する人たちもちらほらと目立った。
南方は水運でいいけれど、北部は陸運の方が効率的なのだろう。
「トーマ、最後にあそこの岩山に行ってみたい」
「は、仰せのままに……。何やら、騒がしいようですが……」
「それは僕たちがやってきたからだろうね」
木々のまばらな岩山に寄ってみると、そこにはたくさんの人たちが集まっていた。
人々はモッコを使ってあちこちから砂を担いできて、中央にある木製のコンテナに移していた。
並べられたコンテナの上では、磁石を使った地道な砂鉄収集が行われている。
言うは簡単、行うは難し。
砂鉄の収集と選別は大変な重労働だった。
城で書類や役人を右から左へと動かしているだけでは、現場の苦労なんてやっぱりわからないんだって、あらためて実感した。
「もしや、そちらの方は……?」
「砂鉄採集ご苦労。察しの通り、こちらが新領主のアリク殿下にあらせられる。殿下は諸君の働きぶりの視察に参られた」
と、まだ11歳の小姓に言われても、威厳とか威光とかは相手も感じられなかっただろう。
「こいつはどうも、俺は現場監督のしがないオヤジでございます。といっても、俺にもよくわかんねぇんですがね……。この黒い砂が、本当に鉄に化けたりするんですかねぇ……?」
返答をするために、俺は馬を降りて壷に集積されていた砂鉄を見下ろした。
「うん、提出されたサンプル通りだね。後はこれを溶かして、浮いてきた不純物を取り除いて、木炭で炭素を還元すれば、鉄製品として売り出せると思う」
「ははぁ~、偉い人ってのは……若い頃からすげぇもんなんだなぁ……。俺には全然わかんね!」
壁があるとすれば、炉の温度が鉄と不純物を溶かせるだけ上がるかどうかだ。
その不純物と鉄を上手く分離できるかどうかも、問題になる。
この砂鉄にどんな不純物が混じっているかは、まだまだ未知数だった。
「ありがとう。実験のためにもう少しだけ集めてくれる?」
「へいっ、たんまり日当が貰えるんで、喜んで!」
「そう。これからもみんなの働き口が増えるよう、僕なりにがんばるね」
見るべきところは見終わったので、俺とトーマは砂鉄の山を降りて町長邸に引き返した。
馬の後ろに乗るのは飽きたので、帰りは前の方に乗せてもらった。
「で、殿下の……殿下の、髪の、か、かほりが……っ、あ、ああああ……」
3つ上のお姉さんに背中を抱かれて馬に揺られるのは、今のアリク王子だからこそ楽しめるちょっとした特権だった。
リアンヌとの楽しい日々もそうだけど、大人になったらこういうのは楽しみ切れなくなってしまう。
立場、軋轢、経験が人の感受性を鈍らせてしまう。
「はぁ、はぁ……はぁぁ……っ」
そう考えると、耳元に響くトーマの変態的な呼吸も十分に許せた。
「申し訳ありません……申し訳ありません、リドリー様っ、リアンヌ様……っっ」
ショタ王子としてちやほやされるのも、きっとあと数年のことだ。
無条件で人が俺に笑顔をくれるのも、今だけの特権だ。
なら今のうちに飽きるほどにこれを楽しんでおこうと思った。
俺は手綱を握るトーマの手に触れ、親愛と乗馬の楽しさを表情にしてトーマお姉さんへと振り返った。
「トーマ、また僕を馬に乗せてね」
「はっっ、喜んでっっ!!」
今だけの特権だけど、トーマの見開かれ血走った目が……ちょっと怖かった……。
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