・陰謀には陰謀で。保養地ブラウンウォーター
・アリク王子
ターゲットの名はテレジア・ブルフォード。
年齢41歳、性別女。
ブルフォード侯爵家の長女で、兄と弟を排除して今の地位に収まった。
娘はなんと7人おり、その全員が有力諸侯の元に嫁いでいる。
ブルフォード侯爵を中心とした派閥は、議会全体で3割の票を持つ。
彼らはたびたび父上たち王党派と対立している。
汚職に手を染めているが、彼女に罪の意識はない。
力ある者同士で手を携え、ただ相互利益を追求しているだけ。
ギルド職員アリクは、テレジア・ブルフォードという政治の怪物にはね飛ばされた哀れな被害者。
罪を着せるのに便利なやつがそこにいたから、ただ狙われただけ。
テレジア・ブルフォードは、ギルド職員アリクの名などもはや覚えてすらいないだろう。
俺の前世に濡れ衣を着せた無自覚の外道。
それが標的テレジア・ブルフォードだった。
「アリク、起きて。あれが保養地ブラウンウォーターよ」
「着いたの……?」
母の胸から身を起こして、窓の外へと顔を寄せた。
緑豊かな森の町に、湯煙がふわりと空にたなびいている。
温泉の色が褐色だからブラウンウォーター。安直な地名だった。
「トーマが来れなくて残念ね……」
「仕方ないよ」
小姓のトーマがいたら毒殺の成功率が下がってしまう。
それにトーマの本当の性別は女の子だから、温泉には近付けない。
「母上、これからちょっと驚くことがあるかもしれないけど、僕のことを信じて」
「ふふ、今度はなんの悪巧み?」
「ちょっとね……」
母上の胸に飛び込んで、これから始まる暗殺劇に立ち会う覚悟を決めた。
これはアリクの仇だ。
諸悪の根元を討ち取り、王家の地位を盤石にするための試練だ。
母上はきっと、今回ばかりは父上にガチでキレるだろう……。
その時は俺が両親の仲を取り持たないと……。
「最近のアリクはいつもに増して甘えん坊ね」
「ごめん……」
「母親冥利に尽きるわ」
母上と俺の馬車は、ブラウンウォーターで一番の高級宿、神の外庭亭へと進んでいった。
・
当然、顔を合わせるなり母上は固まった。
母上からすれば不幸な偶然で、夫の政敵と宿で居合わせてしまったのだから。
「なぁに、坊や……?」
「おばさん、名前なんだっけ……?」
「テレジアよ。テレジア・ブルフォード……きっと忘れられない名前になるわ……」
「ブルフォード侯爵! ここでもしアリクに手を出したらっ、ただでは済みませんよっ!!」
母上は俺を背中の後ろに隠し込んでかばってくれた。
ブルフォード侯爵はそれを見て、嬉々としたヤバい笑みを浮かべた。
俺は弱い庶子の王子を演じて、母の背中で震えて見せた。
そうしながら確信した。
この幽鬼みたいなアッシュブロンドのババァは、アリク王子を殺すつもりでここにいるんだって。
「安心なさい、外の世界のしがらみをここに持ち込むつもりはないわ」
「ッッ……私たちに近付かないで!! それ以上近付いたら人を呼びます!!」
後で母上が真実を知ったら、俺もこっぴどく怒られるんだろうな……。
「信用がないわねぇ……。それじゃ坊や、また後でね……」
「もう会いたくない」
「そう。きっと坊やの、望み通りになるわ」
ブルフォード侯爵が去ると、脱力した母上を支えることになった。
「大丈夫だよ、母上。部屋に行こうよ」
「ええ、そうね、アリク……」
目的のためなら身内も騙す。
王侯貴族って業が深いなって思った。
宿で一番のスィートルームの寝室に母上を支えて運んだ。
「じゃあ、お風呂行ってくるよ」
「待って、お母さんが少し休んでからでもいい……? 一緒に入りましょうね……」
「ぇ……や、やだよぉっ!?」
「ダメよ! あのおばさんはとても危ない人なのっ! 絶対に1人でなんて行かせないから!」
そうは言っても俺は暗殺されなければいけない。
隙を見せるのが俺の仕事だった。
「僕、もう8歳なんだけど……?」
「ええ、まだまだ一緒に入れるわね」
「は、入れないってばぁー……っ!」
「ブルフォード侯爵がいる間は諦めなさい。あの女は……あなたの生前の人生を……ううん、なんでもないわ」
その怪物を騙すには、頼りないリドリー王妃と、気弱なアリク王子が必要だ。
俺は母に真実を明かさずに――
「さ、お母さんと一緒にお風呂に入りましょ」
「母上……どうしても、そうしなきゃダメ……?」
「ダメ! 本当にあの女は危険なの……っ!」
子供らしく母と風呂に入ることになった。
アリク王子の黒歴史がまた1つ、これから刻まれることになるようだった。
・
おっぱい……おっぱい……おっぱい……おっぱい……はっ?!!
美しすぎる実母を持つ苦悩と煩悩から我に返ると、そこは豪華な夕飯の並ぶ客室だった。
敵対貴族同士が偶然居合わせることにこの宿は慣れているようで、気を使って食事を部屋に運んでくれた。
「どうしたの、アリク? アリクの好きなオレンジゼリーもあるわよ!」
「わ、わぁい……」
もしかしたらこの夕食に毒が盛られているかもしれない。
そう思うとちょっと手を付けるのがためらわれた。
でも俺と母上には毒は効かない。
旅行を行くときに、母上のスキルスロットにも毒反射スキルを仕込んでおいたから、心配は何もない。
「長旅で疲れてるの?」
「ううん、そういうわけでもないけど……」
毒を食らうまでが計画だと知れたら、後で怒られるんだろう、父上ともども……。
贅の尽くされた金箔入りのオレンジゼリーを口にした。
毒の味は……ない、と思う……。
「アリク、あーんっ♪」
「あ、あーん……」
「これも美味しいわっ、はい、あーんっ♪」
「は、母上、恥ずかしいよ……」
「誰も見てないわ」
そうとも限らないんだってば……。
俺たちは温泉宿での夕飯を楽しんだ。
楽しそうな母上の姿を見ていると、いつの間にか毒のことを忘れてしまっていた。
きっと今夜の食事に毒なんて入っていなかったんだ。
俺は母上と仲良く夕食を食べて、それからまた、お風呂に入って……同じベッドで寝た。
ストック数が限界に達しました。
明日より1日1話投稿に変更します。
書籍の改稿もしなければならないので、申し訳ありません!