・四重苦の少女と今際の青年
それから約半年が過ぎると、また新しい事件が起きた。
リドリーという新入りの女の子がやって来て、その子が監視の男に目を付けられた。
「ええい、またお前か157番! このグズの無能の穀潰しが!」
リドリーは病弱で、目が悪く、頭が鈍い上に、何に付けても運のない子だった。
見るからに不健康な青白い顔色に、皮がむけるほどに荒れた肌、ホウキの先のように痛んだ茶色い髪は、女性としての魅力があるとは言えなかった。
「お、お許しを……アウッッ?!! い、痛……っ、あうっ、あ、ああああっっ?!!」
年齢はまだ14か15くらいに見えた。
そんな子が見張りのサディストに、鞭を振るわれる現場に俺は居合わせてしまった。
「生きていてもお前に希望などない……。死んでしまえ……死ねば楽になるぞ、157番……」
監視の名前は、確か……ラドムといったはずだ。
通称は拷問官ラドム。
ラドムには多くの奴隷が暴力で苦しめられていた。
サディストにとって、農園の監視役は理想の天職なのだろう。
その異常者とリドリーの間に、口無しのアリクは入り込んだ。
他のことには目をつぶれても、子供に暴力を振るうことだけは許せなかったのだと思う。
「なんだ、129番? ハハハハッ、悔しいなら何か言ってみろっ、この口無しが!」
「ぅ……ぅぅ……ぁ、ぁぁ……っっ!」
「ぅ、ぅぅ、ぁぁ~! ギャハハハッ、何言ってるかわかんねーよっ!!」
両手を左右に広げて彼女をかばい、止めろと主張した。
レスター様や冒険者たちが俺を助けてくれる分だけ、誰かを助けてやりたかった。
「気に入らねぇな……。テメェこそ、生きててもしょうがねぇ社会のゴミだろ……?」
胸を張り、左右に首を振る。
2年半後の俺には、恵まれた未来が待っている。
俺はこんなやつとは違う。
「喋れないって大変だよなぁ……? 奴隷仲間には飯を横取りにされ、陰口を言われても反論すら出来ねぇ。惨めだねぇ……」
事実だった。
俺は奴隷農園でも最底辺だった。
奴隷たちには見下す相手が必要だったのだろう。
相手が口無しのアリクならば、きつい反論が返ってくることもない。
「それにお前、実は冤罪だったんだってなぁ……?」
それにうなずくと、監視はまた俺を笑い飛ばした。
しかしそれが突然にキレて、狂ったように鞭を振り回すとは、さすがに想像もしていなかった。
「や、止めて……っ、アリクさん、悪くないっ! やるなら、私に……っ」
「やぁぁぁだよっ、ブァァァーカッッ!!」
俺の意識が飛ぶまで、拷問官ラドムは暴力を止めなかった。
激しい怒りが胸の中で沸き起こるが、生まれつき小柄で太れない俺には、到底敵うような相手ではなかった。
・
医者が言うには、傷口から悪い風が入ったせいらしい。
俺は医務室に運ばれ、ただ死を待つだけの肉の塊となった。
激しい痛みと高熱が病人をさいなめた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、アリク様……私のせいで、こんなことに……」
リドリーは労働が終わると付きっ切りで看病をしてくれた。
身体が弱いのに、働きながら無理をしてくれた。
「ぅ……ぁ……」
「アリク様……? あっ、起きては、ダメ……ッ」
俺は辺りを見回した。
おかしい……と思った。
自分に名前が2つあることに気付いた。
死の間際にあるというのに、酷く冷めた目で自分自身を見下ろす自分に気付いた。
なんて弱く頼りない男なのだろうと、アリクの人生を振り返った。
「急にどうしたんですか、アリク様……?」
それから記憶の糸をたぐり寄せるように、アリクの人生よりもさらに古い過去を追想した。
俺はあの日、就職活動の帰りに電車に乗った。
そこまではしっかりと覚えている。
だがその後の俺は、どこで何をしていたのだろう……。
なぜ俺は今、アリクとしての人生を生きているのだろう……。
「ぅ、ぁ……ぅ……っ」
「とにかく、寝て下さい……っ! 死んでしまいます……」
そう、俺はアリク。今は可哀想なアリクだった。
アリクは善人で、かばう価値があるとは思えない弱い奴隷、リドリーをかばった。
愚かなことにアリクはそのせいで、命を失おうとしている。
好ましくは思うけれど、まったくバカなやつだった……。
俺はアリクを寝かせようとするリドリーを拒み、ポケットからとあるお守りを取り出した。
このアリクという男は言わば、自覚のない天才だった。
だからこそ冒険者たちはアリクを高く買い、助け、労役後の道まで作ってくれた。
しかしレスターとの夢は、この瀕死の身体ではもう叶いそうもない。
じきにアリクは死ぬだろう。
抗生物質のない時代に、重度の感染症にかかってしまったのだから。
「な、なんですか、アリク様……? ぁ……っ!?」
ギルド職員はスキルアップやレベルアップを職務の1つにしてる。
実はこれそのものが特殊な才能で、レスターは特にアリクのスキルアップの技能を高く買っていた。
俺が知る限り、アリクはスキルアップの儀式で1度も失敗したことがない。
そしてスキルアップには貴重な素材と、ギルドへの手数料が必要になる。
アリクは武勇にこそ恵まれなかったが、もっと社会的に成功するべき才能を持っていた。
だが人が良過ぎた。
己を過小評価し過ぎていた。
恋人のサーシャには踏み台に利用され、捨てられた。
それでもアリクはサーシャを憎まなかったが……俺はそうは思わない。
サーシャはクソ女だ。あんなやつ死ねばいい。
俺はアリクの力を奴隷のリドリーに使った。
「ぁぁ……なんだか、急に気分がとても、良くなってきました……。私に何を、したんですか、アリク様……?」
この世界の人間は、固有スキルという物を持っている。
RPGでよくあるアレだ。
リドリーの固有スキルは【奴隷】だった。
俺はそれをお守りにしていた低級スキルストーンを使い、ランクアップさせた。
すると彼女の固有はスキルは【奴隷】から【侍女】に変わった。
スキルの名称が変わり大幅強化されることは、まれにあることだった。
いや、だが彼女は妙だった。
ステータスウィンドウを開いて、変化した固有スキルの詳細を確かめようとすると、彼女の固有スキルはなんと6つもあった。
通常は1人に1つしかないというのにだ。
【侍女】【虚弱】【不幸】【弱視】【愚鈍】【空白】
酷いマイナスの固有スキルを彼女は4つも持っていた。
それに運命的なものを感じた。
「あの……でももう、横になった方が……え……?!」
『どうせ死ぬのだから』と、アリクが俺に言った。
俺はアリクと合意の上で、彼女から【虚弱】【不幸】【弱視】【愚鈍】のスキルを奪い取った。
「ぇ…………。目が、目が……急に……。アリク様っ、わ、私に、何をしたのですか……!?」
さらに自分自身から【ギルド職員】のスキルを抜き取り、彼女のスキルスロットに移した。
【虚弱】【不幸】【弱視】【愚鈍】のスキルを受け取った俺は、その通りになった。
けどもういい。
何もせずに死ぬよりはいい。
「し……あ……せ……な、ぇ……」
「アリク様っ!? アリク様っ、しっかりして下さい、アリク様!!」
死にかけの感染症の人間が、【虚弱】スキルを得たらどうなるのか?
【愚鈍】スキルのせいでもう何もわからない。
だが、まあ、いいだろう……。
来世は本当に存在した。
死は怖くない。
何も成さずに人生から退場することの方が恐ろしい。
レスター……。
ああ、レスター様への恩義を返せなかったのが、ただ1つの心残りだ……。
「アリク様っ、死なないで、アリク様ぁ……っ!!」
俺は己の死因が列車事故であったこと思い出しながら、覚醒早々にまたもや死んだ。
リドリーの人生に、どうか希望がありますように。
―― ギルド職員アリクの人生、終わり ――
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