・電気文明の白く眩き光 - 炎魔法(力技) -
それから2日後の約束の日、アグニアさんが硫黄を屋敷に届けてくれた。
蒸留は成功だ。わざわざ彼女に成否を確認しなくとも、不敵な顔と独特の臭いだけでわかった。
「うっ……?! ア、アグニア殿……っ、その……っ。お身体に、妙な臭いがこびり付いているようなのですが――ふぐっ?!」
トーマが鼻を曲げるのも当然だ。
これは硫黄の臭いだ。
卵の腐ったような、あの強烈な臭いがアグニアさんの全身に染み着いてしまっていた。
ちなみに政務室まで取り次ぎをしてくれたカナちゃんは、案内が終わると手早く逃げていった。
彼女は耳だけではなく、鼻もよかったから堪えかねたのだろう。
「なんやて、このーっ。せや、ハグしたろかー?」
「ご、ご勘弁を……っ、ひぃっ?!」
後ずさるトーマの背中を追い越して、俺はアグニアさんから香る希望の匂いをかいだ。
彼女はやり遂げた。
普通に……まあ、普通に臭かったけれど。
「そんなに臭うかー?」
「うん、洗濯と水浴びが必要かな。……あっ!?」
アグニアさんが腰にあった布袋から小瓶を取り出した。
その小瓶に詰められていたのは、トパーズのような薄黄色の結晶だ。
正しくそれこそ魔法の薬、硫黄だった。
これがあれば時代が変わる。
ルネサンス前期ほどの文明レベルしかないこの世界に、蒸気の時代をすっ飛ばして、電気の時代をもたらすことができる。
「フツーに毒やから、しっかり管理するんやで」
「うんっ、ありがとうアグニアさんっ!」
「で、どうするんや、これ?」
「天然ゴムと混ぜて、加熱する」
「せやったな。……けど、そんなんどこで習ったんや?」
「見つけた本に載ってたんだ」
アグニアさんは不可解な様子で俺を疑った。
でも俺はそれどころではない。
早速実験をしたくて、客人を残して政務室から飛び出した。
後ろから声が上がったけど、彼女たちが何を言っていたかはわからない。
自分の部屋に戻って天然ゴムのボールや、用意しておいた品々を取り、室内で実験するわけにもいかないので階段を駆け下りて屋敷を出た。
「なになにーっ、その顔なんか面白いことすんでしょーっ!? 私も混ぜてよぉーっ!」
「ああ、リアンヌッ、いいところに! ちょっとこれに火を点けてよ!」
うっかり火種を忘れてしまったことを思い出すと、ちょうどそこに歩く火種――もといリアンヌが現れた。
「えー、私炎魔法なんて使えないよー!?」
「はいこれ持って。それじゃ後よろしくっ」
用意しておいた干しワラと小さな薪と、その辺に落ちていた木の枝を彼女に渡す。
「え、まさか……これで、これに、火を点けろって言ってんのっ、アリクッ!? 原始人じゃないよ、私ーっ!」
「君が婚約者でよかった! さあ!」
さあ、摩擦熱で薪に火を点けて、リアンヌ・アイギュストス!
俺が期待の目をリアンヌに送ると、彼女は困惑を止めて、弾けるように明るく笑う。
「うんっ、いいよ! さすが合法ショタ!」
「はやくっ!」
「あはははっ、たまにかわいげあるよね、アリクって!」
無茶苦茶な要求だったけど、無茶苦茶なのは俺ではなくリアンヌのポテンシャルだ。
彼女は枝を両手にはさみ、枝の先を薪と、その上に乗せられた干し草に立てると、人間の限界をまた1つ吹き飛ばしてくれた。
「そいやそいやそいやーっ!! おぉぉぉーっ、私すっごぉーっっ?!」
3秒も経たずに煙が上がった。
干し草にそれが燃え移り、いや干し草の存在など無視して薪から火が上がりだす。
すぐにそれはオレンジ色の暖かな炎となっていった。
「なんやそれ……ムチャクチャにもほどがあるがあるやろ、お姫さん……」
そこにアグニアさんが現れた。
俺に追い付くにはタイミングが遅いし、きっと遠くから様子を見ていたのだろう。
彼女もまた火種そのもの、炎魔法使いだった。
「やればできるもんだねー! こんなことなら、冒険のときも普通にこうしてればよかった!」
「困っとるとこに顔出して、頼れる姉貴を気取る予定が台無しや。ははははっ、ホンマおもろいわーっ、お姫さん!」
「ふっふっふっ、これで私も炎魔法使いだーっ!」
「炎魔法(力技)やけどなーっ!」
この2人、明け透けでパワフルなところがそっくりだ。
それだけ気が合うのだろうなと、そう思いながら俺は薪で用意しておいた銅鍋を熱した。
そうしながら天然ゴムのボールをパイのように平たく伸ばして、鍋に張り付ける。
「あ、なんか臭っ! アリクおならしたー?」
「それはアグニアさんとこれの臭いだよ」
「あーっ、なにこれキレーッ、ちょうだ――くっ、くさぁっっ?!」
「ホンマおもろいなぁ。そら硫黄や」
硫黄の結晶を瓶から鍋に落として、そこらにあった石ころでそれを叩いた。
硬度の低い硫黄はただそれだけでボロボロに砕ける。
弾性ゴムのレシピはこれだけだ。
厨房で使われていた古い木ベラを取って、俺はゴムの調理を始めた。