・アグニアさんとベアリングシステムを試作しよう - カナちゃんと二人だけの政務 -
昨日は午前のうちに書類仕事が終わったのに、今日は昼過ぎまでずれ込むことになった。
昼前にアグニアさんとのやり取りで時間を取られたのもあるのだけど、もう1つの要因はトーマをリアンヌに取られちゃったことだ。
塩田開発を始めた頃から俺を補佐してくれていたトーマは、今では優秀な秘書役でもあった。
トーマは俺にとって隣に居て当たり前の存在で、居なくなると凄く困る頼れるお姉さんだった。
「トーマとリアンヌがいないと、なんだか物静かで寂しいね……」
「はい……うちも、そうおもいます……。トーマ様、いつも、気にかけて下さるので……」
「そうだね。あ、今日はカナちゃんをたくさんこきつかっちゃってごめんね」
「いえ……っ、う、うちは……アリク様とずっといっしょで、いられるだけで……とても、うれしいです……」
「よかった。でも遊びたくなったら言ってね。君はまだ、10歳の女の子なんだから」
トーマの代わりにカナちゃんを起用した。
護衛を付けておかないと兄上がうるさいし、近衛兵さんたちも納得しなかった。
カナちゃんは盲目ゆえにできる作業が限られるけど、自分の手が空くとお茶を入れてくれたり、自発的に動いてくれる優秀な侍女さんだった。
「アリク様、そろそろ、陳情のおじかんです……」
「あ、もうそんな時間なんだ」
「がんばりましょう。それがおわったら、お茶のおじかんですよ」
「やっぱり1人くらい、父上に文官を回してもらえばよかったかな……」
応接テーブルのソファから立つと、カナちゃんが政務室の扉を開けてくれた。
光の陰影くらいしかわからない目隠し越しのその目で、カナちゃんこの2階の廊下に出ると、エントランスホールの階段へと歩き出す。
俺はカナちゃんが階段に到達する前にその背を追い越して、カナちゃんの右手を取った。
「平気、なのですけど……。でも、お気もち、うれしいです……」
「僕の自己満足だよ。だってカナちゃんが階段を下りてゆくのを見ると、なんだかお尻がゾワゾワしてくるから……」
「ごしんぱい、おかけします……」
エントランスホールには陳情にやってきた市民が集まっていた。
これはすっごくゲスい思考なんだけど、盲目の娘に親切にする少年領主の姿は、人身掌握の上で非常に有効な演出となっている。
階段を下り切るとカナちゃんはお客様を深々とお辞儀をして、俺を謁見の間へと先に向かわせた。
そう、兄上は謁見の間だなんて、こんな大仰な部屋まで作らせていた。
いや、王家の権威を重要視する兄上からすれば、謁見の間はない方がおかしいものなのだろうか。
俺はささやかな金銀で飾りたてられた謁見の間へとやってくると、兄上が弟のために用意させた小さな黒檀のイスへと腰掛けた。
「ご領主様、このたびはお目通り感謝いたします。私は隣町で商売をしているしがない交易商にございます」
ここにくる人はみんな、アリク王子のことを代官ではなく領主と呼ぶ。
そのたびに俺は、自分は土地を任されている代官でしかないと訂正する。
これは兄上のせいだ。
代官代行では締まらないので、兄上は領主代行。つまり代官をここでは名乗っていた。
「……うん、悪くない話だね。1度取引をして、それから本契約するか考える。その頃には、木炭の相場ももしかしたら、少し変わっているかもしれないしね」
木炭の取引の仮契約を交わして、次の陳情者を謁見の間に呼んでもらった。
この1つ1つを承認するたびに、俺の書類仕事が増えてゆく。
「うん、悪くない話だね。取り引きしてから本契約を考えさせてくれるかな? グリンリバーに木炭を売ってくれてありがとう」
実際のところ陳情というよりも、グリンリバーが欲している物資にまつわる営業が大半だ。
俺は心の中で彼らに謝りながら、契約書を交わしていった。
もし俺の計画、殿下による電化というダジャレみたいな試みが成功すれば、木炭の相場が下落する。
彼らはその時、多少の損切りを迫られるだろう。
そんな感じで少しずる賢く立ち回りながら、応対を一件ずつ処理していった。
今日は昨日に増して来客が多く、やっと応対を終えて一息つけたのは、一般的な午後のお茶の時間が過ぎてしまった後のことだった。