・アグニアさんとベアリングシステムを試作しよう - プレス機 -
「ほんま、めんどくさいやっちゃ」
「庶子の僕と違って、兄上は正統な世継ぎだからね、仕方ないよ」
「なんや威厳ある兄って? やさしいにーちゃんの方はええに決まっとるやろ」
「そうだけど……。恐くないギルベルド・カナンなんて、かえって不気味だってば」
「あはははっ、それほんまやなー!」
そこにカナちゃんがやってきて、アグニアさんに新しいお茶と俺の分を入れてくれた。
ターニャさんは軒先で立ち尽くしている。
まさかこんなに早く兄上が去るとは予想もしていなかったみたいだ。
「おおきに。カナはいい嫁さんになるでー。アリクのなー」
「ぇ……!?」
兄上もアグニアさんも、場を引っかき回すのが趣味なのかな。
俺はカナちゃんが入れてくれたアイスティーを飲んで、一息をついた。
「いつもありがとう、カナちゃん」
「い、いえ……おつかえできて、うちは、それだけで、こうえいです……」
「それでアグニアさん、早速だけどさ」
「うわ、空気読めんところは兄貴と同じやな……っ!」
「うちは……っ、おつかえ、できるだけで、しあわせです……っ」
カナちゃんはさっきと同じようなことを再度自己主張して、俺よりちょっと小柄な体でパタパタと駆け足になって屋敷の中へと入っていった。
「兄上が読んだってことは、アグニアさんもこの計画書、読んだんだよね?」
「ま、暇やったしなー」
「僕、ベアリングシステムを作りたいんだ。協力してくれないかな?」
「ええで」
アグニアさんにしては静かで落ち着いた声だった。
彼女はテーブルに残された計画書を開き、ベアリングの項目を静かに見直した。
「アリクはホンマもんの天才や。輪っかの中に玉敷き詰めて、真ん中だけくるくる回るようにすんやろ?」
「そうっ、アグニアさんはわかるんだねっ!」
「構造そのものはブリキのカラクリみたいなもんや。せやけど、よくこないなもん、思い付くもんやなぁ……」
だってそれ、俺が考えたんじゃないから。
それに一番の問題は、こちらの技術力で果たしてベアリングシステムを実現できるのかってところだ。
「けどそうやなぁ……中に入れる玉、アオハガネを使うって計画書にはあるけど、無理や。おとなしくそこは鉄にしとき」
「ああ、やっぱり無理だと思う……?」
「当然や。バカみたいに硬くてなかなか溶けへんアレを、どうやってまんまるにするんや……」
うーん、アグニアさんがそう言うならダメか。
アオハガネ製ならベアリングシステムの弱点である、中の玉の破損をどうにかできるかなって、期待したんだけど。
「わかった、そこは鉄にする」
「そないな顔せんでもええて。うちらが作ったアオハガネは、プレス機に使えばええんや!」
ベアリングの球はプレス機を使って作る。
上下が半球の形になっているプレス機で、金属を潰して球体にする計画だ。
異常に硬くて熱に強いアオハガネならプレス機に最適だ。
しかしそのプレス機の型には、金属を圧縮して球体にできるだけの精度がいる。
どうやってそんな物を作ればいいんだって、研究書の草案段階では連日悩んだ。
だけどそれは宮廷の貴婦人たちに答えがあった。
何もプレス機に半球を彫らなくてもいい。
貴婦人たちが身に付けるあの丸い翡翠玉のように、最初から丸い物体を使って型を作ればいい。
だったら耐熱レンガで泥団子を作ればいい。
まん丸にして焼き固めた物を【原器】にして、それを使って上下が半球になったプレス機を鋳造する。
「僕たちが考えたこの研究書は机上の空論。現場の人間からすると、きっと穴がいくつもあるんだと思う」
「ええてええて。その穴を埋めるのがうちの仕事や」
それらの設計図が載った計画書を、俺はアグニアさんに差し出すと、彼女はドンッと自分の胸を叩いて受け取ってくれた。
「ほな、ちょいと作ってみるわー」
「え、でももう少し休憩した方がいいんじゃ……?」
「城でおとなしくすんのもう飽きたんや! あ、オカンのご懐妊おめでとなーっ!」
「オ、オカン……」
アグニアさんは東屋から立ち上がって、自分の仕事場である工業区画の方へと駆けて行った。
俺はその後ろ姿を心配な気持ちで見送った。
「お、遅くなりました、殿下……。何か困りごとでも……?」
「お帰り、トーマ。兄上が気を利かせてくれて助かったね」
「はっ、いかに人に恐れられようと、ギルベルト殿下は紳士です」
心配事はたくさんある。
だってあれは机上の空論なんだ。
何度も繰り返すようだけど、あの研究書にあるのは、今のところただの思い付きに過ぎない。
現実的にそれが実行できるとは限らない。
もしあれが非現実的な計画だったら、アグニアさんをたくさん悩ませてしまうだけになるかもしれない。
「上手くいくかなって、ちょっと不安になっただけ……」
「失敗しても、やり直せばいいのでは? 最初から上手くいくことなんてそうないですよ、殿下」
「うん……それもそうかもね」
偉大なる先人たちも、たくさんの失敗を繰り返して技術を打ち立てた。
最初から成功すると考えること自体が傲慢だった。