・アグニアさんとベアリングシステムを試作しよう - 兄、帰る -
昨晩は楽しかった。
みんなでまたあのボードゲームの続きをして、ゲームのバランスが取られるように意見を出し合った。
長時間遊びたい人のために、ハンマーとコインを生み出す開拓地を作れる仕様を計画したり、内政勝利のルールと施設を検討した。
コストの重い特定の建物が建てば勝利ってルールでやってみたんだけど、これがとても難しい。
勝利条件が複数あるのは面白いんだけど、シンプルさに欠けてルールを覚えにくい。
人々にこれを普及させるならば、勝利条件は1つで十分かもしれない。
そんなとても楽しい夜を過ごしたその翌日、屋敷にある2人組がやってきた。
ただその時は俺もリアンヌもトーマも、土台の工事に加わっていて、屋敷の主の不在を知ったその2人組は、建設現場まで馬で足を運ぶことになっていた。
「お前たちは……何を、やっているのだ……」
「ギ、ギルベルド様っ!?」
「あっ、アリクのお兄さんに鍛冶屋さんだ! 何ってっ、もちっ、肉体労働っ!」
その2人組は兄上とアグニアさんだ。
泥まみれになって働く王子と公女と、それを野放しにするトーマの姿に、兄上は見るからにあきれ果てていた。
けどアグニアさんの方は正反対かな。
馬の後ろで兄上の背中に抱きつきながら、俺たちに笑っていた。
「この王子様と公女様、将来大物になるで」
「ふんっ、既にどちらも大物過ぎて、両家とも頭を抱えて困り果てているわ……っ」
「ギルはちっちゃいなぁ……っ」
「人前で恥ずかしい呼び方をするな! アリクよ、我らは屋敷で待つ! それとその格好はもう止めろ、お前の権威に関わる!」
兄上はアグニアさんと馬上で言い合いをしながら、土台の建設現場を去っていった。
不思議だけど、ここグリンリバーでは兄上はそんなに恐れられていないみたいだった。
「じゃ、ここはアリクの分までがんばっとくから、行ってらっしゃいっ!」
「たぶん、そう言うと思ってたよ……」
「だって戻ってもアリクのお兄さんにお説教されそうだもん」
「そうかもね。でも僕は兄上のお説教は嫌いじゃないよ」
「あっ、わかる! 私もお父様のお説教、嫌いじゃないもん!」
「……うん、そう。それは聞かなかったことにしておくよ」
トーマと一緒に領主の屋敷に戻った。
庭までやってくると、そこには冷たい井戸水をくんだ大タライが用意されていた。
「ギルベルド様♪ があちらの東屋でお待ちです。トーマ様は馬小屋で肌を清めるようにとのご命令です」
「さすがは兄上、顔は恐いけど紳士だね」
「ギルベルド様は素敵です! アリク様不在の間、グリンリバーのために身を粉にして働いて下さったのです! 私っ、そのお姿に……」
うう、胸がちょっと痛い……。
1年前までのターニャさんは俺の方にちやほやしてくれていたのに……。
遠い東屋に目を送ると、カナちゃんがお茶菓子か何かを運んでいる。
兄上はこちらに向いていて、腕を組んで弟を待っているようだった。
「アリク様、お手伝いしましょうか?」
「い、いいっ、いいよっ! 自分でできるからっ、ターニャさんは兄上たちをお願いっ!」
冷たい井戸水で肌を清めるとくしゃみが出た。
やわらかな綿のタオルで肌を拭い、いつもの正装に袖を通すと、兄上の待つ東屋を訪ねた。
・
兄上の目の前に立つと、兄上は東屋のテーブルを拳で叩いた。
「まったく、お前という男はどこまで現場主義なのだ! アリク、お前はお前がやるべき仕事をやればいいのだ! お前の知恵は、現場での労働の何百倍もの価値を――」
「ギル、ちっちゃいことばっか言っとると、かわいい弟に嫌われるで」
「ニアッ、兄弟の会話に口をはさむな! ……あ、いや、アグニアッ!」
「ギールッ♪ そないつまらんこと言いに戻ったんやないやろー?」
まるで怒りっぽい旦那さんと、それに慣れっこの奥さんみたいだ。
「何かあるの?」
そう聞くと、兄上はまだまだ言い足りなそうながら口を閉ざして、テーブルにある冊子を静かに置いた。
それは俺が父上に提出したあの計画書だった。
「写本が済んだので原本を渡しにきた」
「あんなぁ、うちに持たせりゃええのに、自分で渡すゆーて聞かんのや」
「アグニア、お前は黙っていろ」
「あんま頑固オヤジやっとると、ハゲるでー?」
兄上が恐い顔でおでこを抱えた。
兄上にここまで傍若無人になれるのは、やっぱりアグニアさんだけだ……。
「アリクよ、俺もその計画書に一通り目を通した。研究員コンラッドの解説も踏まえてな」
「ええ……っ?」
それは……コンラッドさん、災難だったな……。
失神せずにちゃんと職務を全うできたならいいんだけど……。
「あの兄ちゃんなー! ギルを一目見るなり、真っ青になってひっくり返ってまった!」
「出会い頭に失神されたのは俺も初めてだ」
その光景が目に浮かぶようだった。
「しかし非常に面白い計画だった」
「え、本当……?」
「ああ、もしこの計画書の内容が現実のものとなれば、俺たちのグリンリバーはいつか、王都の繁栄を凌駕することだろう」
「いや、それは大げさだと思うけど……わぁっ!?」
俺は席の向かいに座っていたのだけど、突然兄上の大きな手が俺の肩を力強く叩いた。
「お前ならば不可能ではない。我ら兄弟で、いつかこの地を新たな都にしてしまおう」
「ははは……兄上らしくもない熱さだね。でも、それは僕もいい考えだと思うっ! 一緒にがんばろうね、兄上っ!」
「うむ、我らの新しい弟にいつか見せつけてやろうではないか」
「ぁ……」
兄上は母上の懐妊のこと、知ってたんだ……。
でも兄上は2人目の庶子のことを、心から喜んでくれているのかな……。
「お前は俺をなんだと思っている。腹違いと言えど、弟の誕生を喜ばぬ兄がいるか」
「よかった……。でも、妹かもしれないよ……?」
「いや弟だ。弟に決まっている! 女では剣を教えられん!」
根拠なんてなんにもないけど凄い自信だった。
ところが兄上は立ち上がり、東屋を数歩離れた。
「では俺は帰る。例の件を追わなければならぬからな」
「結局、理由を付けて、うちの送り迎えをしてくれたってわけや」
「黙れ。せめて弟の前では、俺は威厳ある兄でいたいのだ。ではまた会おう、アグニア、アリク」
兄上はつかつかと早足で厩舎に入っていって、アグニアさんに流し目を一瞬だけ送ると、あの凄く早い馬で屋敷を出ていった。