・父上、国家予算下さい
城に到着すると、普段はしないんだけどまっすぐに父上の政務室を訪ねた。
実の息子だからってそう簡単に通してもらえるものではないのだけど、たまたまその時は父上に余裕があったのか、中へと入れてもらえた。
「お前が手順を踏まぬとは珍しいな。よくぞ戻った、アリクよ」
「ごめんなさい、父上。どうしても僕と八草さんは、1秒でも早く用事を済ませてグリンリバーに戻らなきゃいけないんだ」
「その八草の顔が見えぬが?」
「八草さんはお姫様のご機嫌取り担当。つまり買い物をお願いしたんだ」
会話しながらも父上は書類と戦っていた。
その手が止まり、早く本題を言えと言いたそうな目で俺を見た。
「先日渡した計画書、精査してくれた?」
「それなのですが殿下、少し問題がございまして」
「え、もしかしてダメ……?」
「否。特別研究員コンラッド・コーエンのプレゼンテーション能力は、遺憾ながら壊滅的と言えよう」
その一言で納得がいった。
コンラッドさんは頭はいいけど、社交性は壊滅的であり絶望的だから。
「いくつか質問をしてもよろしいでしょうか、殿下」
「彼が何を言っているのか、大まかにはわかるのだ。必要なのは、後少しの補足だ」
「デンキとは、なんですか、殿下?」
「雷魔法と同じエネルギーだよ」
「ふむ。ならばなぜ、そのデンキを使う必要があるのだ?」
「他のエネルギーとの大きな差は、作りやすくて貯めやすいこと。さらにこの電気は、設備さえあれば瞬時に遠くへ運べるんだ」
父上とジェイナスはその説明に、そういうものかと納得した。
計画書そのものは精査してくれているようだから、確かに後は補足するだけだったみたいだ。
「では、べありんぐ、とはなんだ?」
「より効率的に車輪や歯車を回すための、機械パーツだよ。もしこれが普及すれば、馬車の速度が上がる上に、車軸の故障率も下げられる」
俺は父上の書斎にあった計画書を開いて、ベアリングについての図解を見てもらった。
だけどいかに父上とジェイナスが聡明でも、その重要性は読み切れなかったみたいだ。
たかが機械の1パーツの効率化。くらいにしか見ていなかった。
ロマンと機能美があふれる素晴らしい発明品なのに。
「お前が必要と言うのならば、必要なのだろう。して『でんち』というのは?」
「電気の力を貯める装置だよ。これがないと電化はできない」
「なるほど、ようやく見えてきたぞ。要するデンキは、特殊な性質を持った可燃油だな?」
「専門的に言うと違うけど、ざっくり言うとその通りかな……」
その方がイメージしやすいだろうし、今はそういうことにしておいた。
「デンカすれば、菜種や魚の油を使わずに辺りを照らし、薪なしで家を暖められるのだな? 可燃油の性質を持ったデンキの力で」
「うん、そう! だけど電気の普及には沢山の銅や、発電器と電池の工作費用が必要なんだ」
ジェイナスは計画書の最初の方にページを戻し、父上に俺が請求している合計予算と必要物資を提示した。
「諸侯に出資させるには甚だしく複雑な装置だ。やはり別の理由で金を募るしかあるまいな」
「ええ、瞬間移動する油など、信じる方がどうかしていますからね……」
盟友である父上とジェイナスはうなずき合うと、ジェイナスが引き出しから書類を取り出した。
父上はそこにサインを刻み、印を押すとそれをジェイナスを介して息子に渡した。
「いいの……?」
それは命令書だ。
グリンリバーに追加の予算と物資を運べという命令書で、そこには桁違いの数字が並んでいた。
自分が請求したとはいえ、一瞬頭の中が真っ白になるくらいにとんでもない金額だった。
「失敗すればカナン王家は破産だ。アリク・カナン、必ず計画を成功させよ」
「うん、約束するよ。この計画が実現すれば、アイギュストスの塩の需要は3倍、グリンリバーの鉄は2倍になるって。将来の税収もがっぽがっぽだよ」
父上の顔にはこうあった。
それは魅力的だが、こんな心臓に悪い投資をする必要が本当にあるのか? と。
「八草の買い物が終わるまでまだ十分にあろう。リドリーが離宮で首を長くしてお前を待っている。この父のためにも、ご機嫌を取っておいてくれ」
「ふふふ……わかったよ、父上」
なんだかカナちゃんに振り回される八草さんに似ているような気がして、俺は実の父親を笑ってしまった。
「笑い事ではないぞ、アリクよ……。公務を中止してアリクの様子を見に行くと、昨日は大騒ぎだったのだからな……っ」
「わかった。たっぷり母上に甘えておくよ」
「そうしてくれ……」
だって母上が忙しいのは俺のせいだから。
俺が塩と鉄産業を根付かせたから、多くの移民とビジネスがこの国に集まってきた。
それはつまるところ、父上たちを多忙にさせたり、文官を著しく不足させた。
「あ、そういえばだけど、麻薬の件は僕が協力しなくて大丈夫?」
「……ギルベルドだな?」
「ううん、父上たちの様子がおかしいから、調べたんだ。秘密にされると凄く気になるからね」
こうやってサラッと嘘を吐けるようになったのは、間違いなく父上たちの影響かな……。
「お前は開拓に集中すればよい。こういった些細な汚れ仕事は、父とギルベルドに任せておきなさい」
「些細ではないと思うけれど……。もし力が必要だったら声をかけてね」
麻薬の蔓延なんて見過ごせない。
それが俺のグリンリバーまで蝕んでいるなら、なおさらだ。
「汚れた世界だ。お前が関わるべきではない」
「……わかったよ、父上。確かに10歳になったばかりの我が子に、関わらせたい問題じゃないね」
俺は少し大きくなったこの身体で父上にお辞儀をして、母上の待つ離宮へと向かった。