表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1/271

・言語能力を失った者に人権はない

 その晩、残業続きで夕食もまだだった俺は、職場の階段を踏み外した。

 バインダーの山を抱えて足下が見えなくなっているのに、無理をして1階に下りようとしたのが悪かった。


 前回りに転げ落ちた俺は、階段の角に全身を激しく打ち付けた上に、最後は床に頭を強く打ち付けることになった。


「おいっ、何やってんだよ、この残業代泥棒っ!」


 そこは冒険者ギルド・サザンクロスの本部だった。

 2階が事務室で、1階が斡旋所をかねた酒場になっていた。


 ギルドマスターのギムレットがその時、足で俺の身体を揺すってきたのを覚えている。

 頭を打った途端に、なぜか全身から痛みが引いていったことも。


「おい、聞いてんのかよ、アリク! てめぇご主人様の言うことが聞けねぇのかよっ! さっさと立たねぇとクビにすんぞ! ――ん?」

「どうした、ギムレット?」


 その当時、下にはまだ冒険者たちが残っていた。

 大半の連中は俺の醜態を笑い飛ばした。


 遅い時間まで酒場に残るような冒険者は、誰も彼もガラが悪くて苦手だった……。


「……この野郎、頭から血ぃ流してピクリともしねぇな……」

「それ、まずいだろ! おい、アリクッ、しっかりしろ!」


「ほっとけほっとけ、そのうち起き上がるだろ」

「はぁ!? アリクはお前の部下だろうがっっ!!」


 俺はすぐに立ち上がって、仕事に戻らなくはならない。

 少しでも早く終わらせて、速やかに帰宅しなければまた残業代泥棒と呼ばれる。


 だけど身体が全く動かなくなっていた。

 そんな俺を、ベテラン冒険者のレスター様が医者のところへと運ぼうとしてくれた。


 彼の身体は、貧相で小柄な俺とは正反対だった。

 彼は大きな背中で俺を抱えて街に出ると、治療を渋る町医者を叩き起こしてくれた。


「やれやれ……迷惑な患者だ……」

「いいから治療しろ! アリクが死んだらどうする!」


「しかしレスター様、うちは無償では――」

「彼には世話になっている。俺が払う」


 真っ暗闇で何も見えない世界で、動かない舌で俺はレスター様に感謝した。

 しかし恩返しは無理かもしれないと、その時は思った。


 痛覚すら失っていた俺は、これから訪れる死の覚悟を決めなければならなかった。



 ・



 あれほどの重傷を負ったのに、俺は一命を取り留めた。

 たが深刻な後遺症が残ることになった。


「ごめんね、アリク。私、新しい彼氏が出来たの」

「ぅ……ぁ……」


「ギムレット様の息子さん、覚えてる? 私、彼と付き合うことになったの」

「ぅ、ぅぅ……」


「だからお見舞いにはもう来れない。さよなら、アリク」

「っ……ぁ、ぁぁぁぁ……」


 言語能力を失った。

 恋人のサーシャは、そんな俺に愛想を尽かして別の男に乗り換えた。


 俺がギムレット様に紹介したから、彼女はギルドの職員になれた。

 だのに彼女は、俺を踏み台にして出世していった。


 赤毛のサーシャはどこか清々とした表情で、ベッドの俺を見下ろしていた。

 その顔が突然に嬉しそうな笑みを浮かべたかと思えば、彼女は振り返らずに病室から去っていった。


「よう、さっきサーシャとすれ違ったが、なんか良いことあったのか?」

「……ぅ……ぁ」


 レスター様は暇を見つけては看病に来てくれた。

 あの町医者のところから、国営の大病院に俺を移してくれた。


 筆談で彼に事情を伝えると、心を痛めてくれた。


「地獄に堕ちろ、あのクソ女っ!!」

「は、は……」


「気にするな、アリク、女なんていくらでもいる。身体が癒えたらまた見つけりゃいい」


 彼の力になりたいと思った。

 彼のためにギルドに戻り、花形である彼を支援したい。


「待ってるぜ、アリク。お前は優秀なギルド職員だ、早く傷を治して帰って来い。でないと、こっちは困る……」


 俺は大きくうなずき、彼に微笑んだ。

 職場でマスターとサーシャと顔を合わせるのは辛いが、彼のために仕事に戻りたい。


 当時、そう思った。



 ・




 約1ヶ月間の療養を終えると、俺は職場に戻った。

 言語能力を失った俺は再査定され、給料を以前の7割に削られてしまった。


 それでも俺は恩人のために、ギルドの仕事に打ち込んだ。


「お、アリクか! 帰って来てくれよかった!」

「レスターさんに聞いたぜ、喋れなくなっちまったんだって? ああ、無理すんなって!」

「サーシャはダメだ。あのアマ、貴重な素材をまた台無しにしやがった!」


 『ぅ』とか『ぁ』としか答えられない俺を、冒険者たちが歓迎してくれた。

 当人のサーシャは仕事を比較されて、かなり不機嫌だった。


「調子に乗らないことね。私がギムレット義父様にちょっと吹き込めば、あなたなんていつだってクビに出来るんだから、忘れないで?」


 逆恨みまでされた。

 それでも俺はレスター様や、頼ってくれる冒険者たちのために働いた。


「あ、私今日は食事の約束だから、残りの仕事お願い。それじゃあね」


 サーシャが俺に残業を押し付けて、恋人と高級レストランに出かけても、恩人のために身を粉にして働いた。


 だが世の中にいるのは、言語能力を失った者に善意を向ける人ばかりではなかった。

 ギルドに戻って2ヶ月ほどが経ったある日、大事件が起きた。



 ・



「口無しのアリクだな? 補助金の不正流用の疑いでお前を逮捕する。3分以内に身支度を済ませろ」


 そう、当時の俺は格好の身代わり人形だった。

 筆談でしか自己弁護が出来ないやつに、誰かがあらぬ罪を擦り付けた。


 俺は逮捕され、裁判で裁かれることになった。

 口が利けなければ、糾弾する検事に反論すら出来なかった。


 筆談は全て無視された。

 キルゴールという名の検事は、口無しのアリクを死罪にすべしと求刑した。


「被告アリクに3年間の労役を命じる。汚職は死罪であるが、この件には疑わしい部分が多い」


 だが裁判長は俺に同情をしてくれた。

 障害を抱える者に罪を擦り付けることは、司法の世界では珍しくもないのかもしれない。


 裁判が終わるとただちに競売が行われ、俺は郊外の奴隷農園で強制労働させられることになった。



 ・



 奴隷農園暮らしは、一言で表現すれば抑圧の日々だった。

 監視たちが奴隷に目を光らせ、必要とあらば脅しや鞭を振るった。


 しかし皮肉なことに、ギルドで働いていた頃よりは労働時間が短く、責任もなく気楽なものだった。


 1日にたった11時間働くだけで仕事から解放してもらえるなんて、奴隷も悪くない。


「ん……この前渡した服はどうした? と……ら……れ……取られただとぉっっ?!」


 親しい冒険者たちや、レスター様がたまに訪ねて来てくれた。

 誰も俺が汚職に加わったなんて信じていなかった。


 筆談で差し入れの服を奪われた事実を伝えると、自分のことのようにレスター様は怒った。

 ただそれだけで救われた。


「頭に来たぜ……。世の中の連中、お前のことをなんだと思ってやがんだ!! 言葉が喋れないからって、やりたい放題かよぉっ!!」


 言語能力を失うことは、死よりも恐ろしい。

 当時の俺は、悪人たちからすれば格好のカモだった。


「アリク……あと3年だけ我慢しろ……。お前の【ギルド職員スキル】を重宝する冒険者は多い……。お、そうだ……!」


 レスター様は何かを思い付いた。

 拳で手のひらを叩いて、俺の耳元に口を寄せた。


「3年経ったら俺たちと一緒に独立しよう! サザンクロス・ギルドはもうダメだ!」


 その誘いに俺は乗った。

 3年我慢した先に希望があるなら、それに乗らないわけがなかった。




もしよろしければ、画面下部より【ブックマーク】と【評価☆☆☆☆☆】をいただけると嬉しいです。

なろうでは不利な転生ジャンルですが、やっぱりこのジャンルが好きなので始めてみました。

どうかご支援下さい。


本日は5話、明日、明後日は3話、以降1話投稿で続けてゆきます。

8万字でスッキリできるオチまで楽しめます。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 感想とブクマ失礼します いきなりアリクには辛い展開が続きますね サザンクロス・ギルドを出て独立した先にどんな物語が待っているのか楽しみです [一言] これからの活動を応援しています
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ