第九話 イウヴァルトの秘密
ガーランド城から王都までは片道13日もかかる。道中はレイがいろいろと相手をしてくれたおかげで私は退屈しなくて済んだけれど、それ以上に別の馬車に乗っているヴァルのことが気になって仕方がなかった。一人で何を考えこんでいるのだろう、あの使者に何を言われたのだろうかと、心配でもあった。
ひとまず、必要最低限の礼儀作法や振舞などは教えてもらったけれど、上手くできるかはわからない。付け焼き刃にしかならないのではないか、と私が心配してレイに訊ねてみたけれど。大丈夫、上手くできますよと励ましてきた。不安すぎる。
長い旅を経て、私たちは王都にたどり着いた。私はその広さに驚いてしまって、思わず声を失ってしまった。数十万人の人口が王都にいると聞かされて、私は目が廻りそうになってしまった。確かに綺麗な石造りの町が広がる王都の中を進むと、そこかしこに人の姿が途絶えることなく見られて喧騒が途絶えない。
「うわぁ……ここが王都……すごい場所……」
「王宮はもっと素晴らしい場所だと聞いておりますよ」
見るのも新しく、私は馬車の窓から外を眺めていた。あれはなに、それはなに、とレイに訊ねては教えてもらい、そのたびに私はため息をついていた。本当に自分が世間知らずだなぁと思い知らされる。
ふとヴァルが自分に告げた言葉を思い出す。職人や商人のもとで働けばいい、と言っていたけれど、こんなところに放り投げられていたら一日で路頭に迷う自信がある。本当にあの言葉を信じなくてよかったと思った。
「レイは王宮を見たことがある?」
「いいえ、私のような身分では近づくことも……」
「そうなんだ……」
少しだけレイにも緊張が見られる。やっぱり王宮に行くことはすごいことなんだ、と改めて思いなおす。姿勢を正して、整備された道を行く馬車の揺れに身を任せた。町の中を右に左に曲がっていって、大きな門の前までたどり着いた。ゴゴゴと門が開き、水路の上に橋がかけられる。
どうやら、門の向こうが王宮らしい。ガーランド城とは比べ物にならないほどの大きな城が目の前に広がった。いや、視界にも入らないほど巨大な城があった。
そしてなにより絢爛な庭に宮殿がいくつも作られている。それだけでもガーランド城並か、それ以上の大きさのものが建てられている。それをはるかに凌ぐ大きさの城が中央に建てられていた。
どれだけのお金や人手をかけて作られたのだろう。現実逃避にそんなことを考えてしまう。レイも呆気にとられているようだった。そんな私たちを乗せて、馬車は進んでいく。城のほうの門が開き、馬車が中に入っていく。
王宮は豪奢な飾りがされていて、私はもう一度目が廻りそうになった。それをレイが受け止めてくれたけれど、その動きはどこか硬かった。表情もカチコチに固まっている。私も同じだったけれど。
「奥様、参りましょう」
「うん。レイ、緊張している?」
「していません」
「しているでしょ」
「そういう奥様も」
レイと私はお互い見合い、そして再び城の屋上を見て、はあっとため息をつく。そうしていると、ヴァルが近づいてきた。顔の半分を覆う仮面から見える表情は仏頂面だったが、どこか呆れたようなものでもあった。
「何をしている。行くぞ」
「行くってどこへ?」
「応接間だ。ここからは歩く」
ヴァルはそう言って歩き出す。私はレイと顔を合わせ、慌てて追いかけていく。歩いていくと、奇異な目で見られているのがわかる。ちらりと私は辺りの使用人や王宮勤めの貴族たちを見てみた。そんな目で見なくてもいいじゃない、と憤然としそうになったけれど、レイが肘をぶつけて止めてくる。あくまで堂々としろということなのだろう。
私は胸を張って歩き始める。少し度胸がついてきたと思ってもいる。負けちゃいけないんだ、と堂々と歩いて行った。それはそれで視線が飛んでくるが、もう何も気にしないことにする。
そうして応接間に通された。赤いカーペットには黄金の刺繍が施され、椅子もつややかな光を反射している。飾られている肖像画には一人の老人が描かれていたが、これが王様の姿なのだろうか。どこかヴァルにも雰囲気が似ているような、そんな気がした。それ以外の調度品も高価そうなものばかりで、触れてみたいような、しかし触れてはいけないような気がして、落ち着かない。
「大人しく待っていろ」
と言うのはヴァルだ。彼はこういうのに慣れているのか、全く動じる事なく、すでに椅子に座っている。苛立っているようにも見えるけれど、どうしたのだろうか? 私はレイに引かれた椅子に座り、大人しく待つことにする。
しばらく待っていると、一人の男性の使用人がやってきた。彼もまた黒い装束を身にまとい、当たり前だが、清潔に保たれた姿をしている。
「お待たせいたしました。ご案内いたします」
そう言うと、ヴァルが立ち上がる。私もあわてて立ち上がった。そうして案内されていくと、城を上へ上へと昇っていく。窓をちらっと見ると、そこから王都を眺めることができた。
一室にたどり着く。両開きのドアを使用人がそれぞれ開くと、そこには大きな部屋が待っていた。豪奢なシャンデリアに煌びやかなカーペット。どこから取り寄せたのかわからない珍しい形の装飾品が置かれていた。
「やあ、ヴァル! 君を待っていたよ」
とヴァルに親しげな言葉遣いで近づいてきたのは、黄金の様な金色の髪をしたやせた男だった。やせた、と言ってもすらりとしているだけで、病的なわけではない。ヴァルは表情を変えず、ただ恭しく頭を下げた。
「お久しぶりです、エドガー王子」
「やだなぁ、久しぶりの再会なのに冷たいじゃないか。いつもの通り……」
「王子」
「……はいはい、わかったよ」
この方がエドガー第一王子? 私は驚いて声を上げそうになった。それをきっかけにエドガー王子の視線がこちらに向けられる。一瞬、なにか蔑むような色を見た気がするが、すぐに好青年の表情に戻る。
「ああ、君がヴァルの妻だね。噂はかねがね」
「……あのお初にお目にかかります。イウヴァルト様の妻となりましたアリエスと申します」
「うん、知っているよ。君のお姉さんから話は聞いている」
エドガー王子はニコニコと笑っている。その笑みの奥に何か得体のしれないものがある気がして怖かった。
「姉から、ですか」
なんとか口を開いてみせる。
「そうだね。ヴァルと結んだのも、彼女だからね……ヴェイラはそろそろ父上の部屋から出てくるはずだけれど」
その言葉を聞いて、心臓が大きく鳴った。ここにあの姉がいる。恐ろしくて仕方がなかった。震えが止まらなくなる。そうなっていると、ヴァルが私の手を握ってくれた。手袋越しだけれど、温かみを感じられた。
「大丈夫だ、堂々としていろ」
「でも……」
「俺がついている」
そうつぶやいてくれた彼の顔は一瞬やさしかった。いつもの仏頂面ではない。無理にでも浮かべてくれて、嬉しかった。
どうやらこの場には他にも一人、白髪の男……彼も貴族だろうかが居合わせていた。彼と目が合うと、お辞儀をしてきたので、私も軽く会釈をする。
突然、奥の扉が開かれる。するとそこには金色のドレスを着た私と同じ髪色の女性……姉ヴェイラの姿があった。ヴェイラは私を見るや否やすぐに詰め寄ってきて、私の体をつかんできた。
「なんであんたが生きているのよ……っ!」
衝撃的な一言だった。私はどう答えていいかわからず、ただ茫然としている。すると、ヴァルが私を引き寄せて姉と引き離して逆ににらみつける。
「私の妻に何か?」
「……! あ、あなた! 聖女の私に向かってなんて態度を! エドガー、この男が!」
「まあまあ、せっかくの弟の帰還だ。父上の部屋の前で喧嘩をすることもないだろう?」
弟? どういうことだろう?
「……エドガー王子」
「だってそうだろう? イウヴァルト第三王子。父上がお待ちだ。久々に会ってくると良い」
そう告げるエドガー王子の目には、明らかに憎悪が宿っていた。私は訳が分からなくて、ただ唖然としているだけだった。