第八話 王宮からの使者
「近隣の村への視察に向かう。お前もついてこい」
と、突然言われたのはあれから一週間が経った頃のこと。
結局あれ以来、私のこの気持ちがどうなのか、というのが分からず、妻としての役目も果たすことができず、ただ私はなんとなくの日々を送っていた。
そんな時、不意に私の部屋にヴァルが訪れた。扉を開くや否や、私のいるいないを気にしないでそう告げて扉を閉じる。
「もう、私がいなかったらどうするつもりだったのかしら」
私はぷくっと頬を膨らませた。レイはくすくすと笑うだけで何も言わない。まるで私だけが何もわかっていないみたいじゃないの、もう。
「では、服を変えましょう。少し動きやすい方がお好みですよね?」
「うん。お願いします」
レイが仕切って私の服を着替えさせるのも慣れてきたものだ。前だったら自分で着替える! って言っていたのだけれどもこれも下々の仕事ですと言われてしまえばそれまでだ。仕事を奪ってはいけないと思って、私はされるがまま服を着替えさせられ、比較的動きやすい藍色のスカートと白のブラウスに、首もとに赤いリボンをつけた姿になる。黒いブーツを履いて私はくるりと姿見の前で回ってみた。スカートが遅れて揺れる。
「お似合いです」
「ありがとう。レイが着せるの上手いからよ。さて、夫を待たせるわけにはいかないから、すぐに行かないと」
「そうですね。参りましょう」
すぐさま部屋を出て、門に向かうと、そこには一台の馬車が止まっていた。周りには兵士が槍を掲げて待っている。ヴァルは愛馬にまたがって先頭に立っていた。
レイに馬車の扉を開いてもらって座ると、すぐさまヴァルを乗せた馬が歩き出し、馬車も連れて動き出した。本当、ここに来た時とは違う扱いに戸惑うこともあるけれど、今は堂々としていなくちゃ。
暑い日差しの中、レイも兵士たちも隊列を乱さずに進んでいる。私は思わず扉を開けようとするも、レイがそれを視線で制してきた。ううん、まだまだ私も堂々としきれていないなぁ。
それからいくつかの村に回り、問題がないかを副隊長が訊ねていく。概ね魔物たちからの襲撃も抑えられているようで、あまり滞在はせず、すぐに次の村へと向かっていった。私も馬車の中から軽くお辞儀をするぐらいで何かの役目を果たしたわけでもない。
だけれど、一つの村……前線の砦にも近い場所で問題が発生した。どうやら魔物たちが襲撃をしてきて、多くの怪我人が出たらしい。ここで初めてヴァルが私のほうへと視線を送る。
「怪我人はどこですか?」
私は馬車を飛び出して声を張る。一瞬驚いた村人たちだったが、ヴァルが老人に馬の上から言う。
「私の妻だ。回復魔法を使える。怪我人を診てもらえ」
「お、おお……そんな奇跡が。こちらですじゃ」
戸惑いを見せていた老人は、歩いて大きな屋敷の方に向かっていった。私はヴァルに一度視線を送る。彼はただうなずいてみせるだけだ。私はすぐさまレイと一緒に屋敷の中へと入っていく。すると、そこには包帯を巻いて呻いている人や苦しそうに眠っている人もいた。
「魔物は毒を持っていたもので……解毒薬も足りず、まだ侵されている者もいますじゃ」
「わかりました。とりあえず一人ずつ、魔法を唱えていきます。怪我をしている人は動かず」
そうして、私は扉の傍で座り込んでいた兵士に対し魔法を唱える。兵士の苦悶の表情が和らぎ、信じられないような表情を浮かべて、体を動かした。どうやら治ってくれたようだ。
他の人々にも回復魔法を唱えていく。重々しかった空気がだんだんと喜びの声で包まれていく。半信半疑の表情だった老人も明らかに安堵の笑みを浮かべている。
私は次に毒に侵されている人のもとに歩み寄った。
「頑張ってください、今治しますから」
私はいつも以上に意識を集中させ、魔法を発動させる。毒を治療することは初めてだ。だけれど、怖がってはいられない。ヴァルが信じてくれたし、この場にいる人々も信じてくれている。私は、信じてくれている人々のためにも自分の力を使うんだ。
「う、ぐ……うぅ……」
最初は苦痛の表情を浮かべていたその人も、だんだんと安らいだような表情を浮かべていった。ただ、汗はまだ掻いている。毒が出ていっていないのも自分でも感じられた。だから、私はひたすら魔法をかけ続ける。お願い、治って。その気持ちをこめて、さらに魔法を強めた。
「……こ、ここは……俺……」
すると、毒で失っていた意識を取り戻し、男性は寝台から起き上がった。どうやら完治できたようだ。私は汗をぬぐいながら、喜びの笑みを浮かべてレイの方を向いた。レイはしゃがみこみ、私の手を握る。
「お疲れ様です。本当に、貴方はすごい方です」
「ありがとう……初めてのことだから、気持ちが強すぎちゃった。少し疲れちゃったみたい」
そう言って、レイに体を預ける。彼女は驚いて私の体を抱きしめてくれた。
「まさに聖女様じゃ……」
老人がそう言ったのが聞こえた。それにつられて、あたりから「聖女様」という呼び名が聞こえてくる。恥ずかしさで、顔が赤くなっているのがわかる。
でも、私にもできることがあった。役立たずじゃないんだ。よかった、と少し涙を浮かべる。城で兵士を癒したときも、この時も、私の居場所を見つけられたような気がして、私の生きる意味を見つけ出せた気がして、嬉しかった。
「さあ、奥様、戻りましょう。旦那様がお待ちになられてます」
「うん。それでは皆さま、無理をなさらず」
「聖女様ぁ!」
「ありがとうございましたぁ!」
私たちは歓声を浴びながら、屋敷から出ていく。そして馬から降りて待っていたヴァルのもとへと歩み寄った。
「旦那様、成功でございます」
レイが私に代わって報告をしてくれた。ヴァルはただ頷いて馬に乗り込む。
「……無理をさせてすまなかった」
その一言が聞こえて、私は顔を赤らめてしまう。私は「これぐらい大丈夫ですよ」と強がってみようとしたけれど、少し足取りを早くしてしまって転びそうになった。その手をヴァルが握って支えてくれる。
「あ、ありがとう」
「……当然のことをしたまでだ」
ヴァルはそう言ってそっぽを向いている。手を放し、私は今度こそ馬車へと入っていった。
村を離れて行っても、村からは「聖女様万歳!」という歓声が聞こえてくる。私はその声を背に受けながら、次の村へと向かっていった。
そして問題なく視察は終わり、私たちは城に戻ってくる。
「閣下!」
と、その時、門番が慌ただしくヴァルのほうへと駆け寄ってくる。ヴァルに何かを伝えると、彼は下馬して、私の方へと歩み寄ってくる。扉を開けて、彼は言った。
「王宮からの使いだ。お前もついてこい」
「王宮から……?」
私は首をかしげながらも、開かれたままの扉から飛び降りて、ヴァルの後を追う。執務室へとたどり着くと、そこには軍服に身をまとい、厳格な目つきをしている初老の男が執務机の近くで立っていた。ヴァルのことを見つけると、その目つきを幾分和らげ、近づいてくる。
「これはこれはイウヴァルト閣下。ご壮健のようでなによりです」
「前置きはいい。用件を話せ」
「そのような振舞では生きていけませんぞ?」
軍服の男は柔らかい声を出すも、その声には苛立ちが感じられた。あまり良い人ではないようだ。
「王宮からの使者たる私を、こんな辺境までわざわざ向かった私を、一時間も待たせた私を、労いの言葉一つもなしに邪険に扱う気でしょうか?」
「……では、疲れぬようその口をふさいでやろうか?」
そう言って、ヴァルは剣に手をかけようとした。軍服の男は「おおっと」とわざとらしく言い、お辞儀をした。
「これは失礼を、イウヴァルト閣下?」
「……それで、用件は?」
「はい。王宮からの要請です。一度戻ってくること、あと娶った妻を連れてくること。それが国王陛下よりの御命令でございます」
そう言った男の視線がこちらに向けられた。嫌な目だ、と私は思わず顔をしかめてしまった。