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第二十八話 エドガーの狂気

 王都の方へと向かうと、あたりは騒然としていて、誰もが時計台の屋根を見ている。

 そこには確かにエドガーの姿が見ることができた。その顔も以前の人の良さそうな笑顔はなくなり、ただ愉悦に歪んだ男の姿が見られる。私は思わず叫んだ。


「エドガー!」

「おや……お前のような者が私を呼び捨てにするとは何たる不敬なことか」


 演技かかった言葉遣いでエドガーは喋り、そして含み笑いをする。何がおかしい。何がおかしいんだ! 私は怒りが爆発しそうだった。

 そんな私の代わりに、ヴァルが叫ぶ。ヴァルもまた表情に怒りを見せていた。


「エドガー! もう逃げ場はないぞ! お前の謀も、すべて潰えた! 父上の呪いも解けた! もはや言い逃れはできんぞ!」


 しかし、ヴァルの言葉にも動揺することもなく、エドガーはやれやれと言った感じに首を横に振る。そして、口端をゆがませながら高々と叫んだ。


「おやおや……何か変だなぁと思ったら、何かの方法で解呪していたのか、まあいいや。父上ももう必要ないし、この国も必要ない。何も必要ないのだよ!」

「何を言っている……!」

「まだわからないか? まあ、もうお前が知る必要もない!」


 狂ったように笑うエドガー。私はもはや彼に正気などなく、恨みと怨念に憑りつかれた一人の哀れな男にしか見えなかった。怖かった。哀れだった。こんな男に、多くの人々が犠牲になったのだ。

 エドガーはひとしきり笑った後、なぜかうなだれた。


「本当は俺のはずだったんだ」


 うなだれて、ゆっくりと顔を上げる。今度は憎悪に満ちあふれた表情を浮かべていた。


「親の愛も、この国も、愚かな民も、愚かな下僕どもも! 全部、全部俺のものだったんだ! それをあのくそ親父は! お前にはその器量がないだと!? 耄碌するのもいい加減にしろよ!」


 もはや口調すらなりふり構わず叫び散らしていた。言っていることは子供じみているが、その言葉の中には狂気があふれかえっていた。誰しもが恐怖を以て彼を見つめている。誰も動くことができなかった。私も、ヴァルも。


「俺が、俺が長男だっ! 俺が継ぐにふさわしいんだ! 俺が、俺だけがいればよかったんだ! それを子供作りやがって、挙句の果てには庶子なんぞ作りやがって! 弟たちのほうが優れているだと!? ふざけるんじゃあない! 俺は最高の教育を受け、最高の器を持って生まれた! 俺より優秀なやつなどいない! ふさわしくないんだ、こんな奴らには! この国などに!」

「……だから殺したのか、レオナルド兄上を。そして呪ったのか、この俺を」

「ああ……そうさ。誤算だったのはお前が死ななかったことぐらいかなぁ。あの時はお前を殺すつもりでいたんだ……力が欲しいって言うから、俺が囁いてやって、あとは勝手に呪術の本を読んで、自分で呪われて死にました、ってね」

「……っ! なんて人……!」


 私は侮蔑の視線を送る。エドガーは首を傾げながらこっちを見てきた。


「それを、全部台無しだ。だから、もういらないんだよ。この国なんか。俺を必要としていないこの国なんか、滅んでしまえばいい。消えてしまえばいい。苦しんで苦しんで、最後は後悔すればいい」


 エドガーの表情が愉悦のものに切り替わった。ヴァルは何かを感じ取ったのか、控えていた兵士から弓矢を奪い取る。そして、それをエドガーに向けた。


「おやぁ、俺に弓を向けるのかぁ? 兄貴だろぉ? もっと敬えよぉ……!」


 その言葉にも惑わされず、ヴァルは矢を放った。その瞬間、エドガーの体に黒い靄が発生し、その矢を受け止めてしまう。


「ちっ……自分すら呪っていたか……!」


 ヴァルは舌打ちをしてにらみつける。エドガーはケラケラと壊れているかのように笑い始めた。もうこの人は、どこまで心が壊れてしまったのだろう。もはや見ているのもつらいほどだ。


「そう、それも必要なことなんだよ。何かわかるか? わかるかぁ? わからないよなぁ!

愚かなお前たちに、わからないよなぁ!」

「何を言っている!」

「だったら教えてやる……これが、力だ!」


 エドガーは一冊の本を取り出し、それを掲げた。パタパタと開く。まずい、絶対にまずい。あれは何か起こそうとしている証拠だ。それも、とてつもなく危ないものを……!


「エドガーを止めてっ! 何か呼ぶつもりよ!」

「弓兵隊、あの男を撃て! もはやエドガー王子ではない! ただの狂人だ!」


 ヴァルは率先して弓を構える。弓兵隊も戸惑いながらも矢を放った。しかしその矢は靄に阻まれるだけだ。ヴァルは自らの呪いの矢で打ち抜こうとする。しかし、それすらもエドガーの呪いの靄ははじき返してしまった。


「アッハッハッハ……さすがはカラディア公爵家の兵士たちの呪怨を取り込んだだけはある……いいぞぉ、もっとだ、今度は私からの怨念も持っていけぇ……」


 私はひどい寒気を感じた。何かが、あの男から生み出されようとしている。それを止めなければいけない。でも、止まらない。ひどい怨念が、悔恨が、私の体に襲い掛かってくる。


「くっ……ならば……!」


 ヴァルは剣を抜き、素早く屋根に上ると時計台を目指す。時計台にいるエドガーは目を真っ赤に染めあげ、天に腕を掲げた。


「そして生まれるのだ、新しい悪魔として……!」


 その瞬間、黒い靄が彼を包み込み登っていく。靄は空中で丸く固まり始め、鼓動するかの様にドク、ドクと音を立てて巨大化していく。民衆は恐れおののき、悲鳴を上げて逃げ去っていく。兵士たちもどうしていいかわからないままだ。


「させるかぁ!」


 ヴァルが時計台に届いた。しかし黒い靄の隙間から見えたエドガーの表情は勝ち誇ったようにしている。ヴァルが剣を突いた。エドガーが後ろに飛び降りる。そして、全身が黒い靄となって繭の中へと溶け込んでいった。


「すべてが終わるんだ、これで」


 エドガーは消え去った。その代わりに現れたのは、黒い繭のようなもの。それは王都に糸を飛ばし、建物にくっつけると動きを止めた。しかし、空は赤く染まり、心臓の鼓動のような音が辺りに響き渡っている。

 エドガーの言葉が正しいのであれば、あれは悪魔が生まれる前の卵ともいえるものなのだろう。それを生み出すのに自らの体もささげたというのか。私は信じられなかった。どうして、そこまでする必要があるのか。何をそこまで恨んでいたのか。わからない。わからないが、もう知ることもできない。


「くっ、王都を好きにはさせない!」


 一人の弓兵が矢に火を点け、繭に打ち込もうとする。だがその瞬間、弓兵の体に繭から黒い糸の矢が飛んできて突き刺す。悲鳴を上げる間もなく、兵は黒い靄となって消え去ってしまった。


「う、うわあああ!」


 兵士たちが悲鳴を上げ、逃げ出してしまう。それと入れ替わるようにレイやイダたちがやってきた。レイたちも驚愕して繭を見つめる。


「なんてこと……」

「あれほどの悪魔を生み出すとは、まったくエドガーって男はとんでもないことをしでかしたね……!」


 ヴァルも悔しげな表情を浮かべてこちらに戻ってくる。そのヴァルの元へリール男爵やほかの貴族たちが集まった。


「いかがいたしますか……?」

「……ともかく、対策を講じなければいけないが……王都の国民は避難させよう。アレキサンドロス公爵家に早馬を出し、状況を伝えて、避難民を受け入れるように言ってくれ」

「はっ! リリン、お前が行け! 馬ならばお前に勝てる者はいない!」

「は、はい!」

「他のものはそこの酒場を借りて会議だ。幸い面子も揃っているようだからな……」

「王宮に戻らなくても……?」

「戻る暇などない。国王陛下には伝令を出す。今は……」


 ヴァルは苦々しく繭を見つめる。私もまた、その繭を見た。ドクドクと、少しずつ大きくなっているような気もする。


「あの怨念の塊をどうにかするしかあるまい」


 果たして策はあるのか。私たちにはわからなかった。


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