第二十五話 怨念に憑りつかれた男
私とレイ、リリンは三人でエドガー王子の別荘を訪れていた。かの場所に、呪いの元となるものがあるのではないかと考えたのだった。別荘は不気味なほど静かで、誰も住んでいないんじゃないかと思うほどだ。
「なんだか怖いですね、アリエス様」
「レイもそう思う? リリンは大丈夫?」
「だだだ、大丈夫です……いや怖いです」
どっちなんだ、と私は苦笑しつつも、私が一歩踏み出す。いまだ姿を見せないエドガーが何を企んでいるのか、またどんな罠が仕掛けられているかもわからない。慎重に歩いてゆき、別荘の扉の前までやってきた。ここまで兵士も使用人の姿、いや気配すらも感じられなかった。
「本当に、ここがエドガー王子の別荘?」
「ええ……そのはずですが」
私が扉に手を触れようとした瞬間、その手をレイが抑える。自分が開ける、と目で語っていた。
「レイ」
そんなに心配しなくても、という言葉を出す前に予想されていたのか、レイが真剣なまなざしで見つめてきた。
「あなたはもう次期王妃なのです。危険なことは、我らがやります」
「では……」
レイが扉に手を掛ける。そして勢いよく開くと、そこには真っ暗な空間が広がっていた。カーテンで窓は締め切られていて、明かりの一つも付いていない。念のため持ってきたランタンの光で照らすと、冷たい空気がまとい始めてくるような気がして、私たちは身震いをした。
「行こう……みんな固まって動くよ」
「はい……リリンも離れないように。私が先行します」
「はいっ」
三人で別荘を歩き回る。まるで打ち捨てられたようで、中に入っても人の気配は全く感じられなかった。扉には鍵がつけられていなくて、どこにでも入ることができた。部屋は荒らされている気配はなく、つい数日前まで人が暮らしていたかのような痕跡もあった。
まるで突然消えてしまったかのような、そんな気がして、私は再び身震いしてしまう。エドガー王子は何をしたのだろう。それを考えると恐ろしい気がしてきた。
地下に向かう。地下からはさらに冷たい空気が流れてきて、凍えそうな気持ちになってしまう。それでも私たちはゆっくりと下っていく。
辺りをうかがうと、そこにはワイン蔵やら食料が保存されていた。しかし食料は腐っていて、臭いが漂ってくる。埃もたまっていて掃除された形跡もなかった。
「ここにいた人々はどこへ行ったのでしょうか……?」
「わからない……一斉に逃げ出したのか……それとも……何かが起こった?」
「何かって、なんでしょうか……?」
「わからない……でもこの不気味さは異常よね……」
私たちは一旦地下から出ようとした。その時、レイが何かに気づいて立ち止まる。
「レイ?」
「なんか、ここから空気の流れが……」
「どこ?」
レイは壁に手を掛けようとした、その時だった。
「その壁に触れるんじゃないよ!」
突然誰かの声が聞こえてきて、私たちは身構えた。しかしこれは聞いたことのある声だ。私はランタンを上の方に掲げると、そこには見覚えのある老婆が立っていた。
「イダ!?」
「あんたに名前で呼ばれる筋合いはないよ」
相変わらずの偏屈さを見せながらも、呪術師イダはレイの近くまでやってくる。光をつけ、壁を照らす。すると壁の隙間に光が入り込む。どうやら仕掛け壁になっているようだけれど、触れていけないというのはどういう事だろう。
「そこで待っていな」
イダは杖を掲げ、扉に何かを念じる。すると壁から黒い靄が現れ、どこかへと飛んで行ってしまった。壁にも呪いをかけられることもできるなんて、やっぱり恐ろしいものだ。
「これでよし……まったく、素人娘が何も警戒もせず近づくなんて。命知らずだねぇ」
「イダ、どうしてここに?」
「わしがどこに現れようが何を調べようが関係ないだろう? まあ、同じことを調べようとしているのは確かみたいだけれどね」
イダはそう言って杖で壁を押し、隠し通路に入っていく。私たちもあわてて追いかけた。私は通路を歩きながら、レイとリリンにイダのことを説明していく。イダが呪術師であることを知り、少し警戒を見せるレイとリリンだったけれど、私が警戒の必要はないと言うと、少しは落ち着いてくれた。
そのまま奥の部屋へとたどり着くと、そこはおぞましい雰囲気で包まれていた。何かの文字が赤いインクで壁や地面に書かれ、本棚にも続いていた。本にもタイトルはなく、黒い表紙なのが並んでいる。
「やれやれ……ここまでとはねぇ」
イダがあきれたように言い放つ。私たちは何が何だか分からず、困惑していた。イダはボロボロの帽子を深くかぶりなおしながら私たちの方を向く。
「怨念だよ。ここに渦巻いているのは。それも一年や二年どころじゃない。何十年とため込んだものが漂っているんだ」
「怨念って……」
「さて、何に怨念を抱いていたかは、今から調べないとね。その前に……」
イダは周りを見渡す。杖を掲げ、本の一つ一つを調べていくと、私たちを見て頷いた。とりあえず問題はなさそうだ、ということなのだろう。
「問題ないよ。ここまでやって来られるとは思っていなかったようだね。エドガーという男も存外甘いと見える」
「……じゃあ、この部屋を調べてみよう」
そう言って、レイとリリンを見る。二人も不安そうだけれど、しっかりとうなずいてくれた。ここに一人でやってきていたら恐ろしかっただろう。だから二人がいることが心強い。
ひとまず私は本棚から一冊取り出す。それは日記のようだけれど、書き散らしたのか、恐ろしいほど汚い字で書かれている。かろうじて読めたのは。
『レオナルド……邪魔だ……この国は私のもの……誰にも渡さない』
レオナルドと言う名前と、その人物に対する怨みだ。レオナルドといえば若くして亡くなった第二王子の名前がそうだったが……。
更にページをめくってみても、レオナルドのことへの恨みや、父からの寵愛を受けられないことへの嫉妬、ヴァルへの恨み言などが書かれていた。
あの笑顔の奥で、どれだけの黒い渦が巻いていたことなのだろう。もしかしたら、姉に対しても愛しておらず、ただの傀儡としていたのではないだろうか。そう考えると、私は急に姉のことが哀れに思えてくる。
「アリエス様」
そう思っていると、レイが私を呼んだ。私とリリン、そして少し遅れてイダも近づいてくる。レイは一つだけ置かれている机に置いて広げて見せる。
「呪いの掛け方という本のようです。それに、肉体に作用する呪いのことも書かれているようでした」
「それが、ヴァルに呪いをかけたもの……?」
「それだけではありません。呪いを移す方法など、詳細に書かれています」
「こりゃあ、お抱えの呪術師でもいたに違いないねぇ。こんなに外に出して、愚かなことだよ、まったく」
イダがあきれたように言う。私は、なぜここまでしてヴァルやレオナルド王子、ジェームズ国王や姉を呪っていったのだろうか。その気持ちが理解できなかった。いや、多分この気持ちはあのエドガー王子にしかわからないのだろう。
「これは……」
レイがページを捲っていくと、そこに書かれていたのは『悪魔召喚』と書かれていたものだった。それには生贄を捧げる事で、悪魔を呼び出すことができるという、とんでもないことだった。
悪魔、それは魔物よりも高等の生物で、過去にも呼び出されたらしく、国が亡ぶほどの被害を出したこともあるという歴史が残されていたのをアレキサンドロス公爵の家の本で読んだことがある。しかし、ほとんどはおとぎ話だったような気がするけれど事実だったとしたら。
「恐ろしいことになる……!」
「そうだねぇ、こいつは危険なものに手を出したもんだ」
イダもいつもの偏屈さを失くして、真剣なまなざしで本を眺めている。すると、リリンが青ざめた顔で言った。
「もしかして……この家の人々がいないのって……」
「……っ!」
リリンの言葉を聞いて、その場にいた全員がハッとする。もし、その悪魔召喚の実験をここで行ったとしたら……? ここの人々が生贄にささげられたとしたら? ここには悪魔がいるのではないだろうか。
「すぐに出よう!」
「そうにも行かないみたいだよ」
イダが杖を構える。黒い靄が集まり、醜悪な顔をした翼をもつ何かが生まれた。私たちを威嚇すように吠える。そしてゆっくりと私たちの方へと近づこうとする。
イダは杖を掲げ炎の玉を生み出し悪魔に打ち込む。しかし悪魔は呪術をものともせず、にやりと笑って近づいてきた。そして腕を振り上げてきた。
「ヴァル……っ!」
私は目をつぶる。すると、聞くに堪えない悲鳴が上がった。私は目を開けると、悪魔の体に剣が突き刺さっていた。





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