第二十二話 呪いと魔法とまじないと
呪術師イダはヴァルの話を興味深そうに聞いた後、ただ首を横に振った。
「残念ながら、ワシにはその呪いを解く術がないね」
私は愕然として、それでもなお食い下がろうとする。しかしイダが私を杖で制してきて動くことすらできなかった。話を聞け、という風に見えるようにも思える。私は仕方なく引き下がり、ただ俯いた。
「術がないというのは、方法がないということなのでしょうか。それとも……」
「ふむ……呪術のことについて少し話そうじゃないか」
イダは杖で地面をたたく。するとイダの近くに炎の玉が浮かび上がった。イダはもう一度杖を叩くと、その炎は消え去ってしまう。
「古い時代、聖女が使える魔法と、ワシらが使える呪術は同じものじゃった。『まじない』という言葉があるのを知っておるかね?」
「まじない? なんかこう……子供がする幸せになるおまじないとか……?」
「子供が使う言葉だが、本質は外れていないのさ。何かをもたらすために、何かを代償とする。『まじない』はそういう風に使われていたのさ。誰かの傷を癒したければ、精霊にお願いするとか、自分の体に移す、とかね。それが体系的になっていったのが魔法さ」
「なる、ほど?」
なんとなくわかるような、しかし何かつかみきれない。私が首をかしげて見せると、イダはヒェヒェヒェと意地の悪い笑い声を出した。
「その小さい頭でよぉく理解しな」
「むっ……」
私は顔をしかめるが、イダは構わず言葉をつづけた。今度はヴァルの方を向く。
「さて続けるよ。魔法に対して、呪術は『まじない』の本質を受け継いだのさ。何かを失って、何かを得る。何かを触媒にして、何かを呼び出す。それは呪術を使う本人にしか願う事ができないことさ」
「つまり……ヴァルの呪いは、ヴァル自身が望んだからかかった、ってこと?」
「そうさね。この男が強い体を欲したから、その結果として呪いに蝕まれることになった」
「でも……っ!」
「娘、話は最後まで聞きな。せっかちは身を亡ぼすよ」
また咎められてしまった。私は恥ずかしそうにうつむく。ヴァルは静かに戸惑いも見せずに聞いているのに、私だけが慌ててしまってなんだか恥ずかしかった。
「しかしここでおかしなことがある。何かわかるかい?」
「……ヴァルはわかる?」
「……結果として呪いに蝕まれるのはわかった。しかしそれは結果であって、何かを代償にしたわけではない……?」
「そちらの男は頭が回るようだね、その通りだよ。呪術にも何かを触媒としなければ起こりえない。呪術を使うには強い思いと触媒が必要なのさ」
「……先ほどお使いになった呪術は何を触媒にしたのですか?」
「簡単さね。ここにいる精霊にお願いしたのさ、『炎をつけておくれ』とね。その代わりに餌を与えたというわけだね」
「ええっと……」
私は頭が混乱しそうになった。しかし、混乱の中、気になることが浮かび上がってきた。結果として体が蝕まれたとしたら、代償はなんなのだろう? それを昔のヴァルが知る由もなかったはず。なのに、なぜ自分が自分に呪いをかけたと思ったのだろう。
「ヴァル、呪いはどうしてついたの?」
「確か、本を読んで、だ」
「それだけ?」
「何が言いたい?」
「いや……頑丈な体が欲しい、力が欲しい、っていう強い思いがあるのはわかるよ? でも、本を読んだときにそう思うのかなって」
「……確かにその通り……だ」
ヴァルは何かを思い出したかのように目を見開く。まさか、とつぶやき、顔を横に振る。それを察したイダはにやりと笑いながら口を開く。
「大方、その本が呪いの元だろうねぇ。最初から仕組まれていたのさ。本を読んだとき、もしくは特定のページをめくった時、呪いがお前さんに移るように、ね」
「馬鹿な! そんな、エドガー兄さんがそんなことを……」
そうだ、エドガーに本を読ませてもらった、とヴァルはいつか言っていた。推測にすぎないけれど、エドガーは呪術のことを知っていたのでは? そうなると、すべての辻褄が合う。
「さて、そこからはお前さんの家族の話だ、ワシには関係ないね。しかし、この通りであるならば、呪いを解けるのはただ一人」
「エドガーのみ……」
「そう、呪術をかけた当人が解くか、死ぬか……ああ、もう一つあるね。『まじない』をするのさ。『この呪いを解いてください』とね」
「でも『まじない』は」
「誰にも使うことができない、失われた力さ」
私はへたりと、体の力を失くしてしまう。ヴァルもまた無表情だけれど、その奥にあるのは失望だ。様々な事実が一瞬で暴かれ、そして戸惑っているのだろう。私だって、同じ立場だったらそう思うはず。
「……エドガーを問い詰めるしかない。そうだよ、呪いが解けないわけじゃない、呪った本人がいるのだから、それを……」
「あの兄が認めると思うか? 証拠もない、俺たちの推測だ。味方は増えたとはいえ、兄の力はまだまだ大きい。……それに俺自身が望んだことでもあったんだ。それを……ぐっ……!」
突如、ヴァルの体が震えだした。何かを抑え込むようにその場にしゃがみこむ。
「ヴァル!」
「小娘、離れていな!」
私がとっさに近づこうとしたのをイダが止める。ヴァルの体から黒い靄が噴き出し、槍を形成し始めた。私たちを刺そうとしている。
「なるほど、こいつは相当上等なものみたいだね。しかし……」
イダが杖を差し向ける。すると黒い靄が動きを止め、少しずつだけれど霧散していこうとしている。だけれど、抵抗するように靄が増えようとしていた。
「言う事を聞きな!」
イダがその一言を言った瞬間、黒い靄がヴァルの体に戻っていった。私はすぐさま回復魔法を使って彼を癒す。
「……すまない」
「大丈夫だよ。それよりも、ヴァルの体の方が……」
「ああ……気を緩めてしまったらしい。申し訳ない、イダ殿……助かった」
「いいよ。久々に上等の呪いというものをみた。こいつは相当の恨みを抱えている。そんな臭いがしたよ」
まったくと言っていいほど動じていない。イダはヒェヒェヒェと笑い声をあげた。
「それに……なるほど? これは少しわしのほうでも調べてみる必要があるねぇ」
「……?」
「こちらの話さね。さて、そろそろ帰ってもらおうか。わしの修行の邪魔なんでね」
そう言ってイダは光を消し、洞窟の奥へと向かおうとする。私たちも納得しきれないままだったけれど、仕方なく引き返そうとした。
その背中に、イダの声が聞こえてきた。
「さっきの呪いの臭いだけれどねぇ、似たような臭いが最近臭くて仕方がないのさ。そう、王宮の方から臭いが漂ってくるんだよ」
「……それは俺の呪いではなく?」
「同じものではないねぇ」
「……っ!」
ヴァルは突然走り出した。私はすぐに追いかける。あの老人の笑い声が聞こえるようで、なんだか嫌だったけれど、それよりもヴァルの様子がおかしいのが気になる。何を感じとったのだろうか。すぐさま男爵のもとへと戻り、彼は叫んだ。
「リール男爵! 俺たちが戻るまでに王宮へ出立する準備をしろ! アリエス、急げ!」
「い、急げって言われても……」
「では私が担いでいきましょう! 失礼!」
「わわわわ!」
リール男爵は私を担いで、山道を駆け下りていった。ちょちょ、怖い怖い! なんかすごい速度で駆け下りている! ヴァルも後ろを走っているけれど、追いつけない。どんだけ早いんだ。
あっという間にリール男爵の屋敷に戻ると、私はベンチに座らされて、慌ただしく男爵は中に入って準備を始めた。ヴァルもしばらくして息を切らしながら追いついてきた。
「ヴァル、大丈夫?」
「ああ、俺よりも無事じゃない人がいるからな。すぐに戻らなければならないだろう」
「それって……」
私にもなんとなく察することができた。この人をこんなにも動かせる人は、一人しかいない。
「父上のお体が危ない! すぐさま王宮に乗り込むぞ!」





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