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第二十一話 呪術師

 リール男爵の領地には、大きな山があり、そのふもとに小さな村がいくつかあった。男爵は領民に親しまれているのか、畑の横を通りすれば農民たちが手を振ってくるし、見回りの兵士たちも笑みをこぼしながらリール男爵に接していた。

 藁葺き屋根の屋敷にたどり着くと、私たちはまず大歓迎を受けた。見たこともないような大きなパンに、果実の数々。狩人たちがとってきたという鹿の肉など、王都で見るような料理とはまた趣の違う料理がテーブルに広げられていた。

 リール男爵の夫人も、リリンと似ている顔をしていて、大人しげだけれど明るい人だった。彼らと過ごした日々は、ひと時の安息にもなって、私たちの心を癒してくれた。


 しかし、なごんでいる場合でもなった。到着日は夕暮れが近かっため一泊させてもらったが、次の日にはさっそく早朝に起きて呪術師がいるという山を登ることにした。

 先行しているリール男爵は山道ではなく、道なき道、獣道などをどんどん進んでいく。ヴァルもそれについて行った。私一人が息を切らしつつも、必死についていく。体力ありすぎるよね、二人とも。リール男爵はともかく、ヴァルが病弱だったという話、今更ながら本当だったのだろうか、と思うぐらいだ。


「大丈夫か」


 ヴァルが振り向いて私の方を向く。私は「大丈夫だよ」と肩で息をしながらも足を動かす。


「そういえば、お伝えし忘れてしまいましたが、呪術師は本当に性格が悪くて」


 と、リール男爵が言った矢先、突然私の体が浮き上がり、視界がさかさまになる。悲鳴を上げる暇もなく、私は茫然としてしまった。下には唖然としているヴァルと顔を押さえて首を横に振る男爵の姿が見える。


「……こうして、いやがらせのような罠を仕掛けて、自分に会いに来ようとするものを阻むのです」

「なるほどな。これは一筋縄ではいかなそうだ」

「いいから下してぇ! スカートが捲れちゃって……って、あなたたち、私の下着見てないよね!?」


 ヴァルと男爵は同時に目をそらした。くっそぉ、見たんだなぁ。もう仕方がない。ナイフを取り出して、足首に縛りついているツタを切ろうとする。意外と硬い。私はもがきながらも切り落とすと、地面に落ちていった。それを男爵が受け止め、ヴァルが支えてくれた。


「大丈夫か?」


 さすがのヴァルも心配そうな表情を浮かべている。私は頷いて、服についた葉っぱをはたく。


「この先、このような罠が大量にありますからな、気を付けましょう」

「……ええ、そうね」


 もうこんな目に遭わないようにしよう。と思ったのだけれど、この先もまた罠が待ち受けていた。もう幾つあったかわからない。突然降り落ちてくる丸太、泥が入った落とし穴。ツタを使って転ばされたり、また木の上に吊り上げられたり。降りたと思ったらそこにも罠が仕掛けられていたり。もうめちゃくちゃだった。しかし、こんな嫌がらせで私たちが挫けるわけがない。この程度の嫌がらせ、カラディア公爵家に居た頃にも味わっていたのだから。

 むしろ試されているのであればなおのこと進むしかなかった。道なき道をひたすらかき分けて、なんとか進んでいく。秋とはいえ、まだこの時期は暑さも残っている。

 私は近くの小川で顔を洗った後、私は空を見上げる。


「今どのぐらいですか?」

「まだまだ、半分もたどり着いていませんぞ。これからが厳しくなってきます」

「なるほど……」


 私ががっくりと肩を落とすと、ヴァルが水筒を渡してくれた。


「無理に来る必要もなかったんだぞ?」

「そうもいかないでしょう? ヴァル一人じゃ失礼なこと言っちゃうかもだもの」

「それはお前も同じだろう?」


 お互いに嫌味を言いあいながらも、再び山を進んでいく。罠もかいくぐりながら、時にはひっかかりながら。傷を癒し、泥をぬぐい、土を払い。私たちは進んでいく。

 そしてしばらくして、滝が見えてきた。と思った矢先に男爵は立ち止まる。


「あの滝の裏側に洞窟がありまして、そこをいつもねぐらとしています。しかし勘が良くてですな、このぐらいの距離からも感じ取れるらしく。私が行くとすぐに追い出されてしまいますので、あとはお二人で向かってもらえないでしょうか?」

「どうして追い出されてしまうんです?」

「契約でしてな。わしのねぐらにやってきたらお前の領地の世話はせんぞ、と」

「なるほどな。では、ここからは無関係の我々二人で進むしかないか」


 ヴァルはそう言って、男爵から荷物を受け取り、それを持って上り始める。私も男爵に礼をしながら、それについていった。

 ここから先、罠はなかったけれど、足場の悪い岩の道を歩くことになり、なんどか足を滑らせそうになった。それでもなんとか滝のもとまでたどり着き、裏側にある洞窟へと入ることができた。

 中は真っ暗で、冷え冷えとした空気がまとわりついてくるようだった。私は思わず身震いしてしまう。ヴァルがランタンに火を点けようとしたとき、奥から声が聞こえてきた。


「明かりをつけるんじゃないよ。そのまま進んできな」


 かすれてはいるが、しっかりとした老婆の声が奥の方から聞こえてくる。ヴァルと私は頷きあい、中へと入っていく。暗い洞窟の中、壁の感触だけを頼りに奥へ奥へ進む。一向に闇に目が慣れないのは、何かあるのだろうか。


「そこで止まりな」


 また老婆の声が聞こえてきた。先ほどより声がはっきりとしていて、距離が近いことがわかる。


「さて……呪われし子と魔法使いもどきが何しにきたんだい? ただ遊びに来ただけならば、わしの修行の邪魔になる。帰れ」

「遊びに来たわけではありません。私はイウヴァルト、この国の第三王子です。……あなたの言う通り、自ら呪いをかけ、その解呪を行えないかと思いやってきました」


 ヴァルがいつもの口調よりも丁寧な言葉遣いで声を掛ける。すると、奥から老婆のかすれた笑い声が響き渡ってきた。


「なるほど、自分でやっておきながら他人にその解呪を頼むとは、都合の良いことだね」

「仰る通りです。しかし、恥を承知でお頼み申し上げます」


 隣にいるはずのヴァルの体が跪いた。私もゆっくりと膝をつく。


「……そんなことをされて、わしが喜ぶと思うのかい? 礼など、わしにとっては無意味だ」

「では何を差し出せばよろしいでしょうか」

「その娘の命……と言ったらどうするかね?」


 ヴァルの体が反応する。私も予想外のことを言われて硬直してしまった。洞窟の空気が一層冷たく感じられる。それはもはや感覚ではなく、私の中の気持ちも凍えてきたのだろう。

 どうする、私は命を捧げることができるのか。いや、そんなことはしたくない。それに、愛している人を残したくはない。


「いやです」


 ヴァルのはっきりとした声が響き渡った。そして立ち上がり、引き返そうとする。


「行こう、アリエス。この交渉は決裂だ」

「でも、ヴァル」

「お前の命などささげられるわけがないだろうが」


 そうだけれども、ここまで来て何もせずに……というわけにはいかない。私はどうにか奥にいる呪術師に声を掛ける。


「命を捧げる事はできません。ですが、他のものでしたらなんでも、何でも捧げます。どうか、ヴァルに憑いた呪いを払ってもらえませんでしょうか?」

「なんでも、ねぇ」

「命以外でしたら」

「では、その魔法の才能はどうだい?」


 私は一瞬強張った。魔法を失う事、どうということもないことだと思っていた。

 思っていたのに、なぜこうも怖いのだろう。自分が自分でなくなってしまう気がしてしまう。私は胸に手を当てた。どうすればいい。でも、私は、ヴァルに呪いを解いてほしい。解いて、普通の人間となる。私も同じ何も価値のない人間になってもいいじゃないか。今さら何を迷う必要がある

 私は決断し、頷いて見せる。見えているんでしょう、この動きも


「……わかりました。お渡しします」


 静寂が包み込んだ。しばらくの間、誰もが動かなった。

 コツ、コツ、と杖を突く音が聞こえてくる。奥から、ボロボロの服を着た、小さな老婆が現れた。皺だらけの顔だが、目つきは鋭く、見るものを恐れさせそうな光を放っている。その老婆が、大きく笑った。


「面白いじゃないか! 普通の人間に戻ってもよいと?」

「はい。悔いはありません」

「なるほどね。面白い、実に面白いぞ」


 笑い終えると、呪術師は杖で地面を付いた。その瞬間、光が照らされ、その場にいる者たちを映し出す。これも呪術なのだろうか。

 呪術師はその場に座り込んだあと、私たちにも座れと、指で示す。ヴァルと私は地面に座った。冷たい岩場の感触が妙に感じられる。


「それじゃあ、話を聞こうじゃないか」


 呪術師はにやりと笑って、私たちを見つめた。


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