第十九話 受け入れる者たち
ヴァルは着替えを終えて私の部屋にやってきた。私が陽にあたろうと提案してバルコニーに出て、テーブルにクッキーやお茶を用意し、しばらくは二人でその味を楽しんでいた。ヴァルは意外と甘党らしく、茶にも大量に蜂蜜を入れる。私はあまりそういうのを入れないのだけれど、甘すぎないのだろうか。
「どうかしたか?」
「ううん、なんでも」
私はわざと笑みを作って意味のない含みを持たせる。ヴァルは首をかしげつつ、茶を口に含んだ。そして、ゆっくりとカップを置くと、ヴァルはゆっくりと口を開く。
「もう二十年も前だな」
ヴァルはここからもよく見える王宮を眺めて、懐かしむように言った。
「俺はまだ三つかそこら。エドガー、レオナルドに続いて生まれたが、体が弱くてな。すぐに咳き込み、二人のように駆けっこをすることもできなかった」
「ヴァルが病弱って……あまり想像できないな」
「そうか?」
「そうだよ。だって、男の人の中でも大柄な体して。私と初めて会った時なんかすごい鎧を着こんでいたじゃない」
そう言うと、ヴァルは少し苦笑した。風がゆっくりと私たちを撫でるように吹く。花びらも舞い、まるで思い出話に風の精霊が花を添えに来てくれたかのようだ。
「……まあそうなるまでに少し時間はかかったんだ。父上も言っていたが、正妻に嫌われていた俺は、オリオール伯爵の養子として迎えられた。自然豊かな領地でな、俺の体が少しでも癒されることを、今となっては父上が考えられていたのではないかと思う」
「愛されていたんだね」
ヴァルは頷いた。私は少しだけ微笑んだ。二年前の謁見の時も、二人は仲がよさそうだった。だからこそ、前回会った時の態度の変化が気になってもいた。
「公務の合間を縫ってな、こっそり俺に会いに来てくれたんだ。その時は本当にうれしくてな。父上、父上とまるでカルガモの子供のようについて回ったもんだ」
「ふふ、いい親子関係じゃない」
「ああ……だが、悔しくもあった。こんなにも良くしてくれている父上に、何も報いることができないのか、とな。だが、寝込むことも多かった俺には何もすることができなかった。父に甘えることぐらいしかできず、ただこうして」
ヴァルは外を眺める。再び風が吹いた。私には冷たい風だと感じられた。
「寝台の中から、外を眺める事ぐらいしかできなかった」
「……そうだったんだ」
ヴァルもまた、私と同じだったのだろう。もちろん、ひどい仕打ちを受けたわけではないのかもしれないが、それでも家の中で孤独だったのは、顔を見れば間違いなかった
「俺が十五の時、義理の父、オリオール伯爵に無理やりついていって、兄エドガーと再会したのはそんな時だったな。少しは体がよくなったから、王都の事も知りたいと言ってついて行ったんだ」
懐かしむようにヴァルは言う。私は黙って言葉を聞き続けた。
「俺の世話を兄エドガーがしてくれたんだ。その時、別荘に連れられて、いろんな本を読ませてもらった。その時は素直にうれしかったな、俺を弟として認めてくれているようだったから。だが……」
ヴァルの表情が一気に暗くなる。陽が雲に隠れ、あたりもどんよりとしてきたのは、彼の気持ちを表しているのだろうか。
「そこで出会った一冊の本。呪術の本を読んでしまったのがいけなかった」
「……呪術……呪いを専門とする系統の魔法……」
「そうだ。しかも誰でも使えるようなものだったと、兄は言っていた。俺は呪われる代わりに、体を強化する呪術に手を出してしまった。あの時、何かがささやいているような気がして、記憶も薄いんだが……」
「記憶がない?」
「そこまでではないんだが、気が付いたら俺は呪いを受けていた。体は軽くなったが、何も知らずに兄が大事にしていた猫に触れた瞬間、そいつは黒い靄に包まれ消えていった。それを見た兄は大層怒ったよ。なんてことをしでかしたんだ、ってな」
私は言葉を出せなかった。どんな言葉も彼にはふさわしくないと思い、黙り切ってしまう。
「強靭な体と、黒い靄をある程度操れる代わりに、俺は誰にも肌を触れられない体になってしまった。それからは兄とも疎遠となって、知っての通りの関係になった。十八歳の時に、俺はガーランド城を与えられる代わりに、魔物との戦いを行って国を守ることを命じられた。その時の兄に掛けられた言葉は今でも思い出せるよ」
ヴァルは自嘲気味に笑って見せる。目をつぶり、ゆっくりと背もたれに体を預けると、ゆっくりと口を開いた。
「呪われた体ならば、魔物のようだ。魔物同士戦えるならば、光栄だろう? とな」
「……ひどい、そんなことを」
「……俺の性格が捻じ曲がるのも時間の問題だった。暗黒騎士と呼ばれ、部下には恐れられ、誰一人として俺を俺として見てくれるものはいなかった。つい二年前まではな」
「二年前……って」
「お前だよ、アリエス」
真剣な表情を浮かべ、ヴァルは私を見つめる。私はカップを置き、静かに見つめた。
「呪いを受けた俺を受け入れてくれたのは、アリエス、お前だけだ。お前をずっと守っていこう……そう思ったんだ」
「……そんなの、違うよ」
「違くないよ」
「違う!」
私は立ち上がった。そして、ヴァルのことをまっすぐと見つめる。目に熱いものが感じられてきた。泣いているのかな、わからない。それでも私は伝えなければならなかった。
「ガーランド城の兵士の皆も、国王陛下も、ここにいる人たちだって、呪いとか関係なしに、あなたが好きだから、あなたが心配だから、ずぅっと一緒にいたんだよ! 私はね、そんな皆のことも好き。そして、あなたも大好きなの! でもそれを否定するつもり!?」
「アリエス……」
「それだったら拒んでいたのはヴァル、あなたの方よ! みんなを遠ざけていたのは、遠ざかろうとしたのはあなただったんだわ!」
「……そうか、そうだったのか……」
「だからヴァル。悲しいことは言わないで。私もわかっているし、みんなもわかっている。だから、自分が世界に嫌われているだなんて思わないで。たとえあなたを嫌う人がいても、私たちはあなたを愛します」
そう言うと、ヴァルは俯いた。興奮してしまった、と思い私は静かに座り込む。私たちはしばらく言葉もなくお茶を飲んでいたけれど、不意にヴァルが私を見つめて言った。
「……それでもアリエス。俺はお前を愛している。お前がいなければ、俺はずっと殻に閉じこもっていたままだろう……だから、ありがとう。それだけは言わせてくれ」
「……うん……私も、ありがとう。受け入れてくれて」
「お前に比べれば、俺などまだまだ甘ちゃんだ。なにせ戦場に何も持たずにやってきたんだからな」
「もう、そんな昔話はいいじゃない!」
「二年しか経ってないんだぞ?」
「それでも!」
私はプイっと顔をそらした。ヴァルの笑い声が聞こえてくる。不器用だけれど、心の底から笑えているような声だった。だから私も笑い出す。もう大丈夫なんだ。だから、これからのことを考えよう。
「呪いを解く方法を考えないと。私たちが先に進むには、それが必要だよ」
「……過去の俺との決別、でもあるな……。しかしどうするか。お前の魔法でも癒しきれないものだ。相当の強い術がかかっていると思う」
「そうだよね……。せめて呪術に詳しい人がいればいいのだけれども」
「そんなの……どこにいるんだ?」
「失礼いたします」
と、私たちが話し合っているさなか、レイが部屋に入ってきた。レイには私の部屋の鍵を渡しておいてあったから、何かあればここに来てくれることになっていた。
レイは恭しく辞儀をすると、バルコニーまで歩いてきた。
「リール男爵がご息女をお連れになって面会を希望されてらっしゃいます。いつかのお礼をさせてほしいと」
「それは待たせるわけにはいかないな。今回の話はひとまず終わりだ、面会の準備をしよう」
「わかった」
私たちはそれぞれ動き出し、リール男爵を迎える準備を行う。しかし、彼との出会いが、まさかあんなことになろうとは思いもしなかった。