第十八話 ヴァルの異変
レザウント侯爵夫人の茶会から一カ月が経った。
あの時のことは当人たちだけの秘密、ということでレザウント侯爵夫人の面子を保つことにしたのだった。しかしながら、あれだけ大きな屋敷を立てて、あれだけの騒ぎになったのだから、どうしても漏れてしまったのだろう。レザウント侯爵夫人の悪行のあることないことが噂となって広まった。とはいえ、自業自得だろうとヴァルからも言われたので、特にどうすることもなかった。
レザウント侯爵からも抗議されることもなかった。とりあえず夫人を領地の屋敷で謹慎させることで事態の収束を計ろうとしていた。しばらくは顔を合わせる事はないだろう。
それも相まってか、「第三王子とその夫人は強かで誰隔てなく接してくれる人」なんてうわさも一緒に流れてしまった。つまりは「こいつらは手強いぞ」と言われたもの。
とりあえず、平穏な日々が戻ってくる……というわけにもいかなかった。
あれからも茶会やら夜会やら参加するように言われ、その度に気を引き締めていくしかなかった。少しでも気を許すことのできない日々が続き、さすがに私も疲れてきてしまった。
しかし、そういう機会も無駄ではなく、どういうことを考えているか、だとかヴァルのことをどう感じているのか、とか。いろんな情報が手に入った。
もちろん、隙あらば私たちを陥れようとする者たちもいたけれど、無難な対応をすることでそれは避ける事ができた。それにアレキサンドロス公爵家の人々も参加して、援護をしてくれたので孤立無援、というわけにはならなかった。
いま私は自室の寝台で横になり、枕に顔をうずめながら大きなため息をついていた。笑顔を保つのもさすがに疲れる。それにいつどこに罠が仕掛けられているかも、精神的に疲労がたまる一方だ。
「ああ~……癒しが欲しい」
本当にアレキサンドロス公爵家の人々には感謝もしなければ。教育を受けていなかったら、今頃社交場で恥をさらしてヴァルに迷惑をかけてしまっていたところだった。
ともかく、しっかりしなければ。こんな姿をさらけ出すわけにもいかない。私は起き上がり、パンッと顔を叩いてベッドから起き上がる。
社交場で分かったのは、ヴァルの呪いについて広まっていることと、それを忌避している人々が多いこと。それを解決するのには、やっぱり解呪の手立てをさがすしかないだろう。
しかしどうやって、ヴァルはどうして自分に呪いをつけたのだろう。まず、そこを知る必要があるのだけれども、私から訊ねにくい問題でもある。
「……ううん、それでも私が聞いてみなくちゃね」
私は部屋を出て、ヴァルがいるであろう私室へと向かう。ちゃんと彼も寝ているのだろうか、なんだか心配になってきた。お茶とクッキーでも持ってくればよかったかな、と思いながらも、部屋の前についてしまった。
「ヴァル、いる?」
扉をノックして、中の様子をうかがう。何も返事がない。
おかしいな……いつもならば、この時間に部屋にいることはわかっているのだけれども、寝ているのだろうか。それだったら邪魔になってしまうから、出直そう。出直したときには元気が出るクッキーなんかも持っていこう。
そう思った矢先だった。部屋の中からドタン、と大きな物音が聞こえてきた。尋常じゃないその音に私は咄嗟に気づき、部屋をもう一度ノックする。
「ヴァル! 大丈夫!?」
「どうかされましたか、奥様」
使用人の一人が不思議そうに、しかし尋常じゃない気配を感じたのか慌ててこちらに訊ねてきた。私は事情を簡単に早口で告げると、扉のノブに手を掛けた。しかし中からカギがかけられて開かない。
「予備のカギは!?」
「今お持ちいたします!」
使用人は走り出し、ウォレンスを呼んで部屋の鍵を持ってこさせた。ウォレンスも珍しく慌てた様子を見せて扉の鍵を開ける。私が扉のノブに手を掛けた瞬間、ゾッと嫌な予感を感じた。
「二人とも、離れていてちょうだい。私だけが入ります」
「しかし、奥様……」
「大丈夫。私にはとっておきの回復魔法があるのだから」
そういって、私は勢いよく扉を開けた。すると、いつか暗殺者を仕留めた黒い靄の槍が私に襲い掛かり、肩をかすめた。体には触れていないが、大きく吹き飛んでしまう。
「奥様っ!」
使用人が悲鳴を上げる。しかし私は駆け寄ろうとする二人を制し、ヴァルの部屋へと一人入っていった。
怖かった、というのはある。でも、恐れては駄目。私は灯一つもついていない真っ暗な部屋に入り、ゆっくりと寝台に近づいていく。
「来るな……」
か細いヴァルの声が聞こえてきた。暗闇に慣れ、黒い靄が包み込んでいる場所を特定することができた。その靄の中にはヴァルの姿もある。うずくまり、腕を抑えているようだった。
「……大丈夫よ、ヴァル。今そっちに行く」
「来るなと、言っている……っ! お前を、傷つけたくは……」
ヴァルは苦しそうな声で、それでも私を近づけないよう叫んでいた。苦しそうで、悲しそうで、渦巻いている。再び黒い靄が槍として形成されそうになるのを、ヴァルは必死に押さえつけていた。
「大丈夫よ、大丈夫。あなたは私を傷つけないし、私もあなたを怖がらない。大丈夫」
今思えば、これは半分私に言い聞かせていたようなものだった。まったく、情けない。情けないけれど、それが私なんだ。仕方がない。私はゆっくり、ゆっくりとヴァルに近づいていく。
そして黒い靄の近くまでたどり着いたとき、私は回復魔法を使う。すると抵抗するように靄が針を作り出して私の喉元にまで届きそうになった。ヴァルが靄をつかみ、必死に止めようとしている。
靄の針も、ヴァルを包み込んでいたものも、しばらくして体の中に戻っていった。私は大きく息を吐き、その場に腰を落としてしまう。
「ヴァル、大丈夫?」
「……それはこっちの台詞だ、馬鹿」
「誰が馬鹿よ! 一人で抱え込もうとしちゃってさ!」
「……すまない」
私はもはや呆れてため息をついてしまった。そのあと、笑みを浮かべる。ヴァルの表情は良く見えなかったが、申し訳なさそうな顔をしているようにも見えた。
「旦那様がそんな顔をしない」
「……むっ。しかしだな……ああ、気を付ける……」
「呪い、暴走しちゃうんだね」
「……最近頻度が高い。今日みたいな暴走は、呪いがかかった時に似ている」
「ねえ、なんで呪いをかけようと思ったの?」
私の問いに、ヴァルは黙り込んでしまった。私は立ち上がり、カーテンを開けて日差しを入れる。部屋が思った以上に荒れていることに気づいた。それほどあの暴走は激しかったのだろう。
「……夫婦だからってなんでも教えあうことはない。そうは思うけれど」
「…………」
沈黙を続けるヴァルに、私はゆっくりと近づいた。にこっと笑って、安心させようとする。
「私も力になりたいの」
「……力になりたい、か」
「そう」
「……わかった、少し長くなるぞ。お前の部屋で話そう。着替えていくから、先に戻っていろ」
「はい、わかりました」
私はヴァルを信じて立ち上がり、そのまま部屋から出た。部屋の外では多くの使用人やウォレンスが待ち受けていた。
「奥様、旦那様のご容態は……?」
「大丈夫。少し部屋が荒れてしまったから、申し訳ないのだけれど整理してくださる?」
「承知いたしました」
「しかし、呪いが……」
使用人の一人がそうつぶやきそうになったのを、もう一人がすぐにふさぐ。わかる、彼ら彼女らだって怖いはずだ。それを抑えて世話をしてくれている。
だからこう言うの。
「大丈夫、夫の呪いは私が解いてみせます。それまでは怖いこともあるでしょう。しかし、それでもなお私たちに仕えてくださるのであれば、ここに残ってください。無理には引き止めません」
私はそう言って自分の部屋へと戻ろうとする。
「奥様!」
ウォレンスの声が聞こえてきた。振り返ってみると、そこには全員が頭を下げている姿があった。
「皆」
「……我々使用人はいつでもあなた様方のお味方です。だからこそ、私たちにも力になれる事があれば、頼ってくださいませ……!」
「お願いいたします!」
さきほど口を滑らせてしまった使用人が必死に叫んだ。私は嬉しくて、ちょっと泣きそうになってしまった。
「ありがとう。これからもよろしく」
私はそう言ってその場を後にしていった。