第十四話 王都、そして国王の異変
久々の王都はどこか暗い印象を受けた。人々の往来も、建物も二年前と何も変わっていないはずなのに、どうしてか人々の気持ちは重く、並ぶ店には活気がない。そういえば、道の汚れも目立つし、初めて来たときに比べて馬車の揺れも激しいような気がする。
それだけ整備が行き届いていないのだろうか。それとも放置されているのだろうか。どちらにしろ、王国の状態が良くないというのは肌に感じるほどわかった。
王都を抜け城門を抜けるとそこだけは以前と変わらない城の姿があった。私はなんとなくほっとした気持ちでそれを見る。馬車がエントランスまでたどり着き、私たちは降りて王宮の中に入っていった。
王宮での視線もこれまた変わらないままだった。しかし私たちは堂々と歩き、時折ごきげんようと声を掛け、礼節をわきまえた振舞をしてみせた。そうしていれば、相手も引き下がらざるを得ない。こちらが礼を尽くしているのに、仮にも同等の人間が礼を見せないのは失礼だからだと皆思っているからだ。私も教育を受けてそのことを知った。
「ふっ……」
「どうかしたの?」
そんな私を見て、ヴァルが不意に笑みを浮かべた。私は隣に並んで訊ねて見せると、彼は胸のあたりを叩いて見せた。
「二年前と度胸が違う。強い女になったものだ」
「これでもとーってもしごかれましたからね」
「そうしてくれと頼んだのは俺だったな」
その言葉を聞いて、私はムッとヴァルの方を見つめる。ヴァルは小さく笑い、言葉を返してきた。
「そうでなければ、再び王宮に上がることなんぞできなかっただろう?」
「そりゃどうも。あなたのためならばなんでもしますよっと」
「嫌味か?」
「それがわかるぐらいにはなったんですね」
私もまたにやりと意地悪く笑って見せる。ヴァルは少し呆気にとられていたが、すぐに大笑いし始めた。私もつられて笑い出してしまう。辺りの使用人たちがぎょっとしていて、すぐにレイが後ろから咎めてきた。
「お二人とも、はしたないですよ」
「ああ、すまない。レイもきょろきょろしなくなったな」
「レイも教育受けていたもんね」
「いや、その……はい。恥ずかしながら」
レイは言葉を窄めながら、恥ずかしそうに顔を赤らめる。私はその表情を見て笑みを浮かべた。大丈夫、この三人なら、大丈夫なんだ。だから、進もう。
私たちは案内を受け、ジェームズ国王のいる寝室へと向かった。あれから二年が経つけれど、また体を壊されたと聞いていたから心配でたまらなかった。私は駆けだしそうになる気持ちを抑えて、ヴァルとともに寝室へと入っていった。
寝台にはジェームズ国王が寝かされていた。以前は起き上がるほどの元気があったようだけれど、今はもう痩せこけていて、あの時のような覇気が感じられない。なにがあったのか、と思っていると、ヴァルがジェームズ国王の寝台の傍まで歩み寄り、膝をついた。
「二年ぶりでございます、父上」
「……私を父と呼ぶようになったか……」
「はい」
ジェームズ国王は弱弱しい声で答え、こちらの方を向いてくる。私もヴァルの後ろで控えるように膝をつき、頭を下げた。ジェームズ国王はせき込みつつもフフ、と笑った。
「そうか、お前が……私を……」
ジェームズ国王は体をベッドに預けたまま、天蓋を眺める。しばらくの間、私たちは言葉を交わさず、お互いに黙っていた。無理に話しても国王の体に障ると思ったからだ。おそらくヴァルも同じ思いだろう。
小さく呼吸をするジェームズ国王の胸が上下する。そして再びこちらを向いて微笑んでくださった。
「二年の間で、お前たちは強くなったようだな……。以前だったら、この私を見たら慌てふためいておっただろうに」
「……内心では心配でなりません」
「わかっておる。子供の心など、親にはお見通しよ……。しかし、それでもこうして冷静でいられる……ふふ、この年になってやっと親らしい喜びを感じることができた」
「父上……」
ヴァルが少しだけ寂しそうな声を出す。今まで冷たかっただけの彼にどこか温かみがともったような、そんな気がしていた。
「二年前は、まだ余所余所しいところがあった。それがどうだ、今は私のことを父と認めてくれている。どれだけそれが嬉しいことか……」
「父上、あまりお話しになられるとお体に……」
「はぁ……そうだな……」
そう言って、ジェームズ国王は少しだけため息をついた後、瞳を閉じた。
「妻に魔法を使わせます。いくらか楽になるでしょう。……アリエス」
「はい」
「私に触れるな!」
私が立ち上がり、ジェームズ国王の体に触れようとした瞬間、ジェームズ国王が叫んだ。その後せき込み、ただ私をにらみつけてくる。どうしたのかわからず、私は茫然としていた。
「……すまぬ、声を張り上げすぎた。私の体に触れないでくれ。回復魔法もいらぬ……」
「父上……」
「事情はまた話す。今は寝かせてくれ……」
「……わかりました。行くぞ、アリエス」
ヴァルはそう言って、唖然としている私の手を引き、部屋を後にしようとした。私はただジェームズ国王に拒絶されたことの衝撃が大きくて、どうしていいかわからなかった。
「おや、どうやら御病気の父上に大層叱られたようじゃないか? わが弟よ」
部屋を出るなり、蛇が体を這うようないやらしい声が聞こえてくる。そこにはエドガー第一王子がいた。当然ながらその傍には姉がいる。姉はどこか暗い目つきになりながらも、こちらを、顔をニヤつかせて見ている。
「兄上……」
「二年ぶりの再会だ、どこかで祝杯でも挙げたいところだが、私も父に代わって公務をしなければいけない身なのでね、この場での挨拶だけで済ませてもらおうか。ああ、心配いらないよ、父の治療はこの聖女ヴェイラがしっかりやっているのだから」
「その割には衰弱しきっていらっしゃいましたけれど?」
私は少し怒気を含ませてエドガーの言葉に対して訊ね掛ける。エドガーはにこやかな表情を少しだけゆがませ、私を見て言った。
「二年前から体調が悪くてねぇ……それも、誰かが、魔法を使った後からね」
「……っ!」
「おや、何か思い当たることがあるのかい? ああ、君も魔法を使えたのだったね、そうだったら……」
「兄上。父上の部屋の御前である。余計なおしゃべりは父上の安眠を妨げるぞ。……行くぞ、アリエス、レイ」
エドガーの雄弁な言葉をヴァルが止め、そして私を連れて歩き出す。エドガー王子とのすれ違いざま、この言葉を私は聞いた。
「……貴様が父上に何かしたのであれば許さん」
「なんのことやら」
あくまでエドガー王子は平然としている。姉はニタニタとこちらを笑うだけだ。私は不気味さを感じつつ、ヴァルに連れられて部屋を出ていった。
しばらくは沈黙が続いた。レイもどうしていいのかわからないのか、うつむいたままだ。
「……私の魔法が何かを……?」
「そんなわけがないだろう」
私が弱弱しくつぶやくと、ヴァルはすぐさま否定した。そして私に微笑んでくれる。
「お前の魔法は、皆を助けただろうが。父上だって助けた。だから誇りにしろ」
「でも……」
「エドガーの言葉も気になる。何か陰謀があるに違いないが、今は大人しくするほかあるまい」
「でも……」
私は俯きそうになった。だけれど、すぐに顔を上げる。ここでくじけちゃいけないんだ。しっかりしなさい、アリエス。私だって戦う事を決めたのよ。まだ王様を助ける手立てだってあるはず。だから、あきらめちゃだめだし、負けちゃダメ。
「しかし、お前の姉は変わり果てていたな。あんなに憔悴していたか?」
「……わからない。あんな姉は見たことなかったわ」
「エドガーに何かされたかもしれないが……」
「それでも悪さをしているのは確かよ。だから、私たちも油断しちゃダメ」
「……ふっ、そうだな」
私たちの会話を聞いて、先ほどでは不安そうだったレイも安心した様子で頷いていた。
「旦那様も奥様も、お強くなられました」
「……強くあらねばなるまい。さて、では王宮にある俺たちの屋敷へ行くぞ」
「屋敷があるの?」
「それはもちろんですよ、奥様。王族としてふるまうのであれば、この王宮の中で暮らすのが通例です」
「そう……ね。よし、じゃあ早速向かいましょう!」
私はこぶしを握って、気合いを入れた。そうだ、負けちゃいけない。それにはこれからの生活にも早くなれなくちゃ。