第十三話 再会、そして
長くも短いような二年が過ぎていった。私はアレキサンドロス公爵家の正式な養子として迎え入れられ、その宮殿で生活を送ることになった。
はじめはカラディア公爵家や姉から猛反発を受けたそうだけど、初めからいないものとして扱っていたカラディア公爵家は、自分の娘にした仕打ちが公になるのを恐れ、最終的には認めざる得なくなった。ということで、私はアレキサンドロス公爵の娘となり、その家族となった。私としては新しい家族と言うのはうれしいもので、受け入れてもらえて本当に良かったと思う。
と言っても、それで安心して過ごせる、というわけでもなかった。アレキサンドロス公爵家の人々に認めてもらうためにはそれにふさわしい振舞も身につけなければならなかったし、今まで以上に必要な能力も多かった。
ダンスに目利き、礼儀作法からお茶の飲み方、挨拶や指の一つ一つの挙動までとにかく叩き込まれた。私はひぃひぃ言いながらも、何とかその教育に食らいついていった。ああではない、こうではない、なんでできないの。罵倒もされつつも、ちゃんとできるようになったころには褒められることも多くなった。やればできる、私はやればできる子。
レイも引き続き私の専属使用人となって応援してくれて、支えてくれた。本当につらい時は涙を受けてくれたし、時には叱咤もしてくれた。そういえば、彼女はアレキサンドロス公爵に属するヴェルスター男爵の三女なのだとか。彼女も貴族だと知って驚いたけれど、貴族から付き人や使用人になるのは珍しくないのだとか。ヴァルはそんな人を私に付けてくれていたのね。嬉しいけど、ちゃんと話してほしかった。
「おはようございます、アリエスお嬢様」
「おはよう」
使用人たちがすれ違いざま、恭しく挨拶をしてくる。私も挨拶を返そうとして、不意に使用人の一人の手に包帯が巻かれているのを見て、思わずその手を取った。
「お、お嬢様?」
「この手はどうかしたの? 怪我をしているみたいですけれど」
「あ、いえ。恥ずかしながら、その……コップを割ってしまいまして、その時に」
「あら……」
「申し訳ございません!」
私の声に反応して、とっさに使用人は頭を下げようとしたのだろう。顔も見たことがなかったから、新人の子なのかもしれない。大変よね、お互いに。私は包帯にまかれた彼女の手を包み込み、回復魔法を使う。緑の淡い光が彼女の手を包み込んで消えていく。
「あ、あれ、痛みが……?」
「あまり使わないようにって言われますけれど、今日は特別。頑張ってくださいね」
「は、はいっ! ありがとうございます! 失礼いたします!」
怪我をしていた使用人は喜びを表情に表して、何度もお辞儀をしながらその場を後にしていった。付き添っていた顔なじみの使用人も苦笑しつつ、黙って会釈をしてその場を後にする。
「あまり甘やかしてはなりませんと旦那様からおっしゃられていたではありませんか」
「いいじゃない、レイ。これぐらい」
少し呆れた顔のレイに、私は笑みを浮かべた。私も何度も怪我をしたことがある。その怪我の数だけ強くなれた気もするけど、痛いものは痛いのだ。だから、最初だけは甘やかしてもいいんじゃないかな、と私は思う。
「まったく、相変わらずだな、お前は」
そんなとき、突然私たちに影が差してきた。そして懐かしい声が聞こえてくる。私はぱあっと笑顔になって、その影の方を向いた。大きな黒馬と、その上には。
「ヴァル!」
二年ぶりの再会となった夫の姿があった。夫の表情は相変わらず硬いが、それでも幾分柔らかくなったかな、と私には感じられる。何か訓練でもしたのかな。
ヴァルは馬から降り、使用人に預けるとすぐさま私のもとへと歩み寄ってきた。最初に出会ったときのような黒い鎧ではなく、黒い装束を着こなしている。
「約束通り、二年だ。迎えに来た」
「ええ、ええ。本当に会いたかった。ともかく、お義父様にも伝えなくちゃ、ちょっと待っていてね」
「まったく、お前は変わらない。何でも自分でやろうとするところも、身分にも関わらず自分の力を使うところも」
「私はいつだって変わりませんもの。そういうヴァルもあまり変わっていないわ」
そう言うと、ヴァルは少し恥ずかし気に顔を赤らめた。なんだろう、何か変なことを言ったかな。まあいいや、ともかくお義父様のところへ行かないと!
お義父様のところへすっ飛んで行ったら、はしたないぞと叱られてしまった。私もちょっと興奮しすぎたかなと反省しつつ、お義父様の部屋へとヴァルを通した。ヴァルは二年前だったら絶対に見せなかったような恭しい礼をして、お義父様に挨拶をした。
「だいぶ苦労為されたそうですな」
お義父様は立ち上がり、ヴァルの顔をじっと見つめる。ヴァルは少し肩をすくませた後、横に首を振って返す。
「これからの戦いに比べればどうということはないですよ」
「……柔らかくもなられた。本当に、御父上にそっくりになられましたな」
「そうでしょうか?」
確かに口調も柔らかい。この二年間で何があったのだろう。じっくり聞いてみたい気もするけれど、感涙を流しているお義父様の邪魔をするわけにもいかず、私は黙って傍に立っていた。
「我が妻は相も変わらずですね」
「そうなのですよ。教育は施しましたが、元来お転婆なのでしょう。口よりも先に行動を起こしてしまうので、こちらもほとほと困り果てました」
「そ、そんなことはありません! 少なくとも、最近は……」
そう言い訳をすると、その場にいたヴァルやお義父様、レイまで笑いだした。なによぉ、だって、しょうがないじゃない。動きたくてうずうずするのだもの。
「これもずっと閉じ込められて生活を送ってきたことの反発なのでしょうな。元気なのは良いことですが、これからそうはいかない」
「ええ、そうでしょうね……」
そうなんだ。これからはこうもしていられない。隙も見せることはできない。姉ヴェイラとエドガー第一王子に負けないよう、私たちも尽くさなければならないんだ。
あれからというもの、姉のよくない噂が流れてきている。国の財産を使って豪奢な別荘を建てたり、ドレスや装飾品、貿易品にも手を出したり、カラディア公爵家の家計は火の車になっているとか、さらには気に入らない平民や貴族を処刑してしまったとか、本当にどうしたのだろうと、私でさえ心配になってしまう。エドガー第一王子も何を考えているのか。
だけれど、ひどいことをしているのには変わりはない。私はその姉に負けないように今日まで特訓を重ねてきた。あとは、私とヴァルがいかに動くかが問題になるんだ。
「その表情だと、覚悟は決まっているようだな」
「もとよりそのつもり。……向かうのね、王都へ」
「そうだ。居心地の良いこの場所から巣立ち、あの泥沼の様な王都へと向かうんだ。その準備も俺は整えておいた。……しかし、いいのか?」
「何が?」
ヴァルの言葉に私は首をかしげる。ヴァルは私の方を向き、心配そうな表情を浮かべる。
「……正直に言えば、お前をあんなところへ巻き込みたくない。これは俺自身の問題でもあるのだから、この場所に残ってもいいんだぞ? 俺はお前に口づけの一つもできない。守ることしかできない。だからこそ……」
「ヴァル。あなたも相変わらずよ」
私はにこやかに笑ってヴァルの体をたたいた。ヴァルは一瞬身構えたが、服の上から呪いはかからないのはわかりきっている。
「私だって守られてばかりじゃないわ。これからは貴女の妻として、しっかりと役目を果たします」
「……そうか。ならば、すぐに準備をしてくれ。王宮から呼び出されているのもあってな」
「わかった。少し待っていて」
ヴァルにそう告げると、私はお義父様の方を向いた。そして、その体に抱き着く。お義父様も私の体を抱きしめ返してくる。
「お義父様。これまでの二年間、本当にありがとうございました。なにも恩返しができないのが心苦しいですけれど、ご壮健で」
「何を言うか。私はお前たちを利用してただ成り上がろうとしただけ。礼を言われることなどしておらん……だが、この二年間、本当の娘ができたと思ってお前に接してきた。私だけではない、アレキサンドロス家の皆がお前たちの味方だ。……いつでも頼ってくれ」
「はい。ありがとうございます」
私は少しだけ涙を流した後、お義父様の体から離れ、ヴァルのもとへと歩み寄る。そして深くお辞儀をした後、部屋を後にした。
これから、王都へと向かう。私の、私たちの戦いが始まるんだ。