第一話 虐げられ令嬢と魔城の騎士
「あれが、魔城……」
簡素な馬車が山道を走っている。その揺れに身を任しながら、私アリエスは外の風景をながめていた。
目に映るのはおどろおどろしい一つの城。決して大きくはなく、遠くからも外壁が壊れかけているところさえわかる。それはなにかの戦いで相当の損害を受けてしまったからのだと、戦争などからかけ離れた素人の私でもわかった。怖い場所だ、と最初は感じていた。
あそこが今日から私の家になる。私は息を飲んだ。
きっかけは私の姉ヴェイラが聖女としてこの国の第一王子エドガーに嫁いだことから始まった。当然第一王子の嫁となれば次期王妃候補として権力を握ることになる。
私の家、カラディア公爵家は姉のような聖女を生み出してきた由緒正しき家系でもある。
その家系に生まれながら、私は聖女としての才能を持たなかった。ただ一つ、体を癒す程度の魔法を使えるだけの私に比べ、姉ヴェイラは大きな魔力を擁していた。そのため、私は両親から疎まれ、姉にはひどい仕打ちを受けてきたものだった。最初は当然だと思っていたけれど、自分に唯一優しくしてくれた使用人がこんなのはおかしいと言っていた。その使用人も、私と関わったことで家を追い出されてしまったのだけれども……。
「お前の様な出来損ないに掛ける教育費などない。静かに屋敷の片隅で過ごせ」
「まったく、あなたのような娘が私から生まれたなんて」
ひどい言葉をかけられたものだ。と今でも思い出される。私は実家の一室、それも小部屋の床で眠るような生活を続け、ただ本を読んで、窓の外を眺めているような生活を送っていた。
時々、私を哀れに思った使用人が服を持ってきて自分を部屋の外へと連れ出してくれたこともあったが、やったことと言えば使用人の手伝いぐらい。
ベッドの仕度やら料理の運び方やら。一度使用人たちに紛れて、執務から帰ってきた両親を出迎えたが気づかれもせず、ああ、その程度なのだな、と思ったこともあった。
そんな実家の一室で軟禁されるような形で暮らしていた私のもとに両親が飛んできた。珍しいこともあるものだと、私も驚き、読んでいた本をたたんで姿勢を整える。
「喜べ、アリエス。お前の嫁ぎ先が決まった」
父のその時の表情は忘れもしない。喜びの顔の奥にはゴミをやっと捨てられるかのような無機質で冷たい感情が宿っていたことも。喜ばしく思っているように見せている母の顔にはやっと処分できると明らかに書かれていたことも。
それでも、この場所から飛び立てるのであれば、私はそれでもいいかなと思った。
「私のためにありがとうございます」
「うむ、うむ。それで嫁ぎ先は……ガーランド城にいるイウヴァルト伯だ」
イウヴァルト伯……聞いたことがなかった。城を擁しているという事は地位も高いのだろうか。しかし、母の次の言葉に、私は愕然としてしまった。
「まあ魔城と呼ばれている前線基地だけれど、別に問題はないでしょう」
前線基地、つまりは魔物か、他の国との戦争をしているかのような危険な場所だ。その場所に送り出される。適当に戦いに巻き込まれて死んでくれれば良いのだと言っているのだろう。父や母の顔からはそんな思いが見て取れて感じられる。
――仕方がない。
私はそう思いながらも、ぎゅっと服の裾を握った。愛されていなかったのだ、結局。わかっていただろう。だとすれば、一歩でも外に出てしまった方がいい。
「わかりました。出立はいつになるのでしょうか?」
「今日今すぐだ。荷物などないだろう? 馬車を用意してやったから、向かってくれ」
「今から……ですか?」
「ほら、もたもたしないの! せっかくヴェイラがまとめてくれた話なのよ? 喜びなさい! いまやあの子は聖女なのだから、その祝福を受けたようなものなのよ?」
苛立ちを見せたのは母の方だ。私の腕を乱暴に握り、部屋の外へと連れ出す。そして決して公爵家のもととは思えない質素な馬車に無理やり乗せられた。
「じゃあ運んでくれ」
最後の最後まで父の言葉は冷たかった。私なんぞ、荷物扱いなのだろう。
そうして馬車に揺られて数日。私は魔城と呼ばれるガーランドにやってきた。その道の途中で馬車が止まり、揺れで私は体勢を崩しそうになった。一体どうしたのだろうか。
「ここから先は歩いていってください。俺が任されたのはこの道までなんでね」
と御者が言った。私は目をぱちくりさせてみたが、御者は首を横に振った。
「あんたのお姉さんから依頼されているんだ。……悪いが下りてくれ」
ああ、そうか。姉の仕打ちはここまで……。突然すぎる話であまりに不自然だと思っていたが、結局両親が縁談を持ってきたのではなく、無理やり実家から突き放すために姉が仕組んだことなのだろう。
昔から姉にはひどく嫌われ、散々冷たい仕打ちを受けた。わざわざ部屋にやってきて、なんでこの屋敷にいるんだ、一緒の家に住むだけでも吐き気がすると罵倒されたことすらもある。時には使用人に命令して数日食事を運ばせなかったことすらもあった。
それでも、今回ばかりは、外に出してくれたことには感謝しなければ。姉さま、やっとあなたの願いが叶いましたよ。
馬車から降りて、わずかな本だけを抱えて、私は辺りを見渡す。鬱蒼とした森が道の両脇に広がっている。道は上り坂になっていて、その坂のてっぺんに城が建てられている。私は歩き出した。
息も切れ切れに、坂を上っていく。幸い、図鑑で見たような野獣には襲われることなく、城の門へとたどり着いた。
「何者だ!」
黒い鎧を身にまとった門番たちが槍を交差させ、私を制止させる。なんだ、何も聞いていないのかな。
「あの……イウヴァルト伯に嫁ぐことになったアリエスという者です」
「アリエス……?」
「はい。イウヴァルト伯にお会いすることはできますでしょうか?」
私は息整えて、あくまで気丈に答えた。ここで怯えていたら、外に出てきた意味がない。門番たちは顔を見合わせ、首を横に振った。
「あいにくだが、騎士長殿は今前線に赴かれている。……戻ってくるのは夜になるだろう」
「なら、ここで待たせてください。私は作法などよくわかりませんが、夫の帰りを待つのが妻の務めと本で読んだことがあります。それに挨拶する必要もありますでしょうから」
「いや、しかし……ここで待たせるのも……」
「お願いします」
私は門番たちに頭を下げた。もはや公爵家の娘でもないのだから、偉ぶることもないよね。
門番たちは困った様子で小さな声で話し合っているようだ。その時、背後から足跡が無数に聞こえてきた。聞いたことのないような大きさに私は思わず肩を跳ねさせた。
「おお、ちょうどお帰りだ」
門番の一人がほっとしたような表情で言う。そう言われて、私は背後を向いた。すると、先頭に大きく立派な黒馬に乗った全身鎧の騎士らしき人物が歩き、その後ろを兵士たちがついてきていた。
門番が門を開く。私も邪魔にならないように横に控える。私も行進を邪魔しないように横にそれながらも、先頭の馬に乗った騎士に話しかけた。
「あの、私、イウヴァルト様に嫁ぎに来ました、アリエスと申します! おかえりなさいませ!」
その言葉を聞いた途端、馬が止まった。兜の向こうから赤い瞳がこちらを睨みつけてくる。兵士たちもざわざわと騒ぎ始めていた。どうやら誰も聞いていないようだ。婚約の話なんて初めからなかったんじゃないかと思うぐらいだ。
私は一瞬怯みそうになった。足がすくみそうになる。でも、それじゃいけないんだと思ってさらに声を掛ける。
「本日から、こちらのお城に住まうように言われております!」
「……勝手にしろ」
その一言だけを残して、イウヴァルト伯は城の中へと行ってしまった。なんとなくだが、冷徹な声の中にどこか優しさが感じられたような気もした。声を聴いて、怖いと思うよりも先に温かみのようなものを感じる。
兵士たちも各々こちらをチラチラと物珍しそうな目で見てくる。中には怪我を負っていて、肩を借りている人もいた。
私はどうしていいかわからないまま、とにかく城の中へと入っていく。すると、兵士の一人がこちらに近づいてきた。
「イウヴァルト閣下から、執務室に来るようにと伝言です!」
どうやらとりあえず会ってくれるらしい。私は覚悟を決め、兵士に道を尋ねて連れて行ってもらった。