第10話〜萌美優理〜
――彼女、萌美優理の朝は遅い。
太陽が真上に登ろうかという時間に、彼女はしょぼしょぼとした眼を擦りながら、リビングに足を運ぶ。
「……」
窓から外をボーッと眺める彼女の目は、酷く澱んで虚ろだ。
朝起きて、いつも浮かぶのは「憂鬱だな」という感情。
まだ今日も生きるのか、いっそのこと寝ている間に殺されでもしていれば良いのに。
「……弱虫」
死にたいけど、死ぬ勇気はない。死ぬなんて、簡単なのに。このベランダから空へ向かって、ほんの10cm足を踏み出すだけ。
でも出来ない。ほんの一歩が、途方もない距離に感じてしまう。
願うなら、モンスターがこのまま襲いかかってくれとさえ思う。でも、モンスターを呼びよせる声も、人に助けを求める声も出せやしない。弱虫だから。
死ぬことも他人任せで、今日だって惰性で生きている。
彼女は死にたがる。死を願う死願者……しかし、彼女は気づいていないのだ。
自分は、孤独を寂しがっているだけの子供だということを。人の温もりに飢えて、それを求めたくても求められない自分に、孤独に苛まれている今を変えられない自分に絶望し、その絶望感を「死にたい。死んで楽になりたい」というもっとも“簡単”な思考に変換していることを。
彼女は、ただただ不器用な寂しがり屋なだけなのに。彼女自身はそれに気づけない。
少しの勇気を出せれば、助けを求める勇気があれば助かるはずなのに。少しのきっかけで、簡単に救われるのに。
だけど彼女は閉じこもる。人が怖いから。一番、人と触れあいたいと思っている筈なのに。
「【醜人商会】」
彼女はボーッと外を眺めながら、ステータスタブレットを呼び出し特殊能力を発動する。
タブレットの画面に《盗品一覧》と《今日のオススメ!》がピックアップされていく。
【醜人商会】。
特殊能力所持者を中心として、半径750m、直径1.5kmの範囲内にある“全ての”アイテムを一日に8個までタブレット内のアイテム欄に移動させる能力。
人が所持しているアイテムは赤い文字で表示され、人のアイテムでなければ白い文字で画面上に表記される。
人のアイテムが表示されるということは、“それ”も能力の効果対象に選ぶことが出来るということ。問答無用かつ、遠距離からの強奪が可能な破格の能力ではあるが、今のところ彼女は食料確保の為にしかこの能力を使用していない。
野良のモンスターが争い、負けた方は命を落とし魔獣結晶になる。その魔獣結晶を拾うことで、孤立したマンションの中でも食料難に陥ることはなかった。
無言で《盗品一覧》をスクロールしていき、食料や水に変わる魔獣結晶をピックアップして自分のアイテム欄に移動させる。
あらかた必要な物は移動し終え、タブレットを消すと、ソファーに背を預けて目をつぶる。
両親もいない。友人もいない。インターネットもない。
そんな萌美優理の一日は、目をつぶって“創作”をすることに費やされる。
「……ふふ」
起床してからずっと鬱屈とした表情を浮かべていたが、創作に没頭しはじめた途端に表情がガラリと変わり柔らかくなる。
萌美優理は、人気ライトノベル作家として活躍していた。
幼少期のある時期から、人を怖がり、話そうとするだけで動悸が激しくなり、呼吸が浅く、軽いパニック症状を起こすようになってしまう。
その反動で現実から目を背けるように、架空の世界へ没頭した。
その最たる物がライトノベルだった。
物語に魅せられた彼女は、取り憑かれたかのように創作に没頭した。
人と対面せずとも自分の言葉を、自分の好きな物を色んな人に伝えることが出来ることに喜び毎日書き続け、ほんの試しにとWEB小説投稿サイトへ投稿したことがきっかけで人気を博し、作品を世に出すまで時間はかからなかった。
人と触れ合いたいが、怖くて触れ合えない彼女の手に入れた、人と関われるもの。
沢山のファンが彼女を応援していた。
が、それもダンジョンに奪われてしまう。
彼女の絶望感は想像も出来ない。寂しがり屋の彼女がやっと手にした、人と関われる手段は消え、理解者である両親もいなくなった。
その中でも「死にたい」と“思う”だけな辺り、萌美優理のメンタルは存外強いのかもしれない。
「……行き詰まっちゃった。どうしよ、キャラクター……ううん、世界観をもっと深めて、それから」
目をつぶって、パズルのように物語を創り上げていく。
そうでもしないと、正気を保っていられないと本人も本能的に理解していた。
一年間以上、毎日それを続けていたら脳内にストックされている物語の数は100を優に超えている。
巻数で換算したら、500巻は超えているかもしれない。
「……?」
創作に没頭していた目が開かれ、不思議そうに周りを見渡す。
確かに今、すぐ近くでミシミシと不吉な音がなったような――。
「さんきゅーボタンちゃん! ロック、いやウッドクライミングお疲れさん!」
「ッッ⁉︎ ……ッッッ‼︎⁉︎」
窓の外から聞こえる人の声に、心臓が跳ね上がる。
指はプルプルと震え、カチカチと歯を鳴らし、「ひゅ〜……ひゅ〜……」と掠れた呼吸が苦しそうに漏れ出る。
「な、なん、なんっで、ここに……!」
ベランダに立つ男とモンスター。しかも、モンスターはその男の言うことを聞いているように見える。向こうからはレースのせいで中が見えていないが、萌美優理は驚愕と恐怖に震える。
そんな彼女に、窓の外からさらなる追い討ちがかかった。
彼等は窓に手をかけ、開けようしているではないか。
「あ〜、流石に鍵かけてあるよな。ボタンちゃん、強引に開けてくれるか? 多分、無理矢理引けばボタンちゃんの力なら鍵ごと行けると思うんだわ」
「ひぃ……⁉︎」
こ、壊される……⁉︎ ど、どうしよう、人が、ひゅぅ、はい、入って……⁉︎ 殺され、はひ、わたし、はッ――。
パニックを起こす彼女など知らないオークは、構うことなく窓にその手をかける。
「ひぃ‼︎」
もう、どうしよもなく追い詰められた彼女は思わずベランダの窓に駆け寄り……勢いよくカーテンを開けた。
「……」
「……」
かたや、人がいたことに驚く沈黙。
かたや、自分の行動が理解出来ず――失神。
豪快にカーテンを開けたかと思えば、豪快に大の字で倒れてしまうのだった。
コミュ障を大袈裟に書くとこうなりました。
総合評価が150を超えてました。本当にありがとうございます!