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残酷。  作者: ZERO
4/4

別れ

ごほっ…

光を求めて必死に喘ぐ。

息をしたい。酸素が欲しい。

苦しみから逃げ出したい。

約束したんだ。

幸せになるってー


***


トーマとの婚約が決まって、凪咲村との交流をし始めて半年が過ぎた。お互い砂原と凪咲についてはもうある程度詳しくなったし、打ち解けた。

あの祭の夜、仮面の男の子から聞いた話は想像以上に私を駆り立てていた。修行しろ、でないと死ぬ。甘えは許されない。一瞬の油断が運命をいとも簡単に変えてしまう。

男の子が言った通り、トーマとあの話をすることはないけれど、お互い何となく察していた。

戦を回避する方法を、私達が模索するしかないと。

凪咲は砂原を手に入れたい。

なら、私が凪咲に嫁いで砂原が合意の元で凪咲の傘下に入れば、最悪戦は避けられる筈だ。

でもその為にはやっておかねばならないことがいくつかある。

まず、砂原は怖気づいて凪咲の傘下に入るのじゃなくて、ちゃんと提供を結んで入るということ。

それを証明するために砂原の現状の武力を凪咲に知らしめること。

そして、私がちゃんとトーマと信頼関係を築くこと。

凪咲と砂原の繋がりは私達の繋がりが大きく影響する。それを少しでもいい方向に導く。

砂原の人が今後もちゃんとした生活を保証されるように。


***


「現状、どうなってる?砂原は」

涙の池のほとり。

夜も老けた時間、私は1ヶ月ぶりに仮面の男の子と会っていた。

トーマと会うときは警護としてついてくるけど、私と話すことはない。

密談をするにも、凪咲村では勿論、砂原でも危ういからこうして1ヶ月に一度、この子とここで会うのが恒例になっていた。

もともと戦のあった場所。

深夜、街灯もないこんなところ、来れるのは光属性の術術が使える私達くらいだ。

夜目が効く。

まるで猫みたいに。

「そんなに変わってない。もともと武力的には凪咲と大差ないし、それがそのまま維持されてるかんじ。ただ、金座と組まれたら絶対負けるけど」

「やっぱりな…

砂原の村長に凪咲の現状は伝えたのか?」

「もともと凪咲は金座と組んでるんじゃないかって警戒してたけど、私とトーマの婚約が決まったから大丈夫だってすっかり安心しきってる。凪咲が裏切るかもしれないって遠回しに言ってるけど、全然聞き入れてくれない…」

「まぁそうだろうな」

仮面の男の子は鼻で笑った。

「戦争おっ始めることに何の抵抗もない奴なんざ、頭が硬くて普通だろうよ」

「それがもっと酷くしてるって、気づかないのかな…」

「気づかないから、オレ達の村は滅ぼされた」

「…」

やっぱり、戦争を回避する方法はないのかな…

「ねぇ、前に私、一回だけ本当の凪咲を見たことがあったじゃない?」

「ああ、あの祭の夜か」

男の子はハッとしたように私を見た。

「まさか、君…」

私はにっこり笑って言う。

「そう。もう一回、ありのままの凪咲を見たいの」

男の子は怒ったように言った。

「オレが、二度と安易に近づくなって言ったの、忘れたのか?」

「忘れてないよ。忘れるわけないじゃない。

安易になんて近づかない。ただ、近づかなきゃ見えないこともある」

「…オレの事を信用してないってこと?今迄渡してきた情報全部、嘘だと思ってるの?」

「そうじゃない。でも一つだけずっと思ってたことがある。

…トーマが私達の味方だって、どうして言えるの」

「前も言っただろ。それは…」

「トーマが私と貴方が二人になれるようにしてくれた」

男の子は押し黙った。

「…もしかして」

「そう。トーマは味方…だけど敵。

トーマが貴方に言っていた、砂原を倒すために金座と凪咲が手を組んだっていうのは本当だと思う。だけど、それだけじゃない気がする。それだけなら、わざわざ私をトーマと婚約させる必要はない。それにもう一つ」

「君が初めて凪咲に来たあの夜、暴動を起こす必要もなかった」

「そう」

考えていた、けど信じたくない事だった。

あの夜、仮面の男の子は私を助けてくれたのは偶然だと思う。でも偶然じゃないことがある。それは、たまたま、私があの夜凪咲に居たことだ。

あの暴動で、私は狙われていた。

居るはずのない、正体の分からない筈の私が。

何故凪咲の烏の面をつけた奴らが私を狙えたのか。カナだけが逃げることが出来たのか。

カナが、私を凪咲に売ったからだ。

その後直ぐトーマとの婚約が決まったのも不可解だった。

まるで、凪咲は砂原の敵じゃないと言っているような。私を注視しているわけではないと言っているような。

普通の事かもしれないけど、何故か引っかかる。

だって、凪咲は私を狙っていたんだから。

「成程。一理ある。トーマがオレに教えた情報は一部で、全部ではないってことか」

「そういうこと。言ったら私達が何か手を打ちそうなことは言わなかった、もしくは言えなかったんだよ。後者だと信じたいけど」

暫く考えて、仮面の男の子は言った。

「行くか。凪咲村に」

「ありがと!」

いつか訊こう、訊こうと思っていたことを、今なら訊ける気がした。

「ねぇ、名前なんて言うの?」

「え?」

「潜入するのに、名前呼べないと不便でしょ?教えてよ」

「…タイザ」

「タイザ?へぇ、タイザっていうんだ。因みに私は、」

「サク」

「へ?」

「君の名前なら、もう知ってる」

そう言って男の子ータイザは、くるりと背を向けて森を駆け抜けていってしまった。

言葉だけが残される。

「決行は一週間後。朝十時、ここで待ってる」


初めて呼ばれたサクという名前。

悲しいけれど、仕方ない。

一週間に向けて、フンッと気合を入れた。


***


タイザと会った次の日、朝日が登るとすぐに私はカナに会いに行った。

「ねぇカナ。訊きたいことがあるんだけど」

カナは私がそう言う事を判っていたようだった。

「うん」

「…凪咲村のお祭りに行った夜、私を連れて行ったのは、本当に私と行きたかったから?」

「そうだよ」

カナは躊躇いなく答える。

「サクが必要だったの。凪咲が砂原に優勢で勝つには、サクが邪魔だから。排除しないといけないでしょ」

今迄聞いたこともない冷たい声でカナは言う。

一色一族は皆冷徹、という言葉が頭をよぎる。

…悲しかった。

「今迄の思い出も全部…嘘だったの?」

「…」

そうじゃないって、信じたいだけかもしれないけど。

「ねぇカナ。私、まだカナが味方だって信じてる。カナは私の友達だから。そう、思っていたいの。エゴかもしれないけど」

「…っ」

「また、一緒にお祭りに行こうね」

私はそう言ってカナに背を向けた。

「…父親なの」

「え?」

「凪咲の村長、私の父親なの。トーマは異母兄弟。頼まれたの、お父さんに。サクを、凪咲に連れて来いって」

じわり、と涙が滲んだ。

やっぱり、カナは…

「ごめん。ごめんね、サク…」

カナの目から大粒の涙がこぼれる。思わず、カナをぎゅっと抱きしめた。

…カナが悪人だったなら。私を売ることに何の罪悪感も持っていなかったなら。

一族の大半の人と同じように、冷徹な人だったら。

私もカナも、こんなに苦しまずにすんだのに。

あいにくカナは真逆だった。

カナは、私の腕の中でずっと呟いていた。

ごめんね、サク。

嘘か本当かなんて、もうどうでも良かった。


***


凪咲村潜入(二回目)決行日。

朝十時。涙の池。

時間通りに、何処からかタイザは現れた。独自の修行は続けてるけど、やっぱりこの術使い、絶対私には出来ない。

いつも通り仮面を被っているタイザに言う。

「ねぇ、仮面、今日は外したほうがいいんじゃないの?」

「え?」

「お祭りでもないのに仮面被ってるなんて浮くよ、絶対。目が緑の人だっていないわけじゃないんでしょ?」

「そうだけど…もしオレの正体がバレたら困るだろ?」

「…いつから仮面つけてたんだっけ?」

「四、五歳くらいから…?」

「じゃあ大丈夫だよ。皆顔なんて判りはしないよ」

タイザはうーんと唸っていたけれど、それもそうかと言って仮面を外した。

「…?」

何だろう、何処かで見たような…

私と同じ翡翠色の瞳が私を見つめる。

「君は?そのままでいいの?」

「一応変装道具は持ってきたの。カナから貰った、髪の色を変える丸薬。さっき飲んだからもう直ぐ変わると思うよ」

言っているうちに、肩まで切りそろえた翡翠色の髪が漆黒に変わっていく。

「それなら大丈夫そうだな。オレと同じだ。双子みたい…だな」

「…」

ネタだと分かっているのに笑えないのは何故だろう。

強張った笑みを返しながら、私は、そんな事を考えていた。


「思った以上、だな…」

「そうだね…」

凪咲村。集落。

私は勿論、タイザでさえ知らなかったことが、垢裸に語られていた。凪咲の村人は今、きっとこの話題で持ちきりなんだと思う。

「トーマ様、どうなさるのかしらねぇ…砂原の娘と婚約だなんて罠、バレないように通すの、本当はお辛いんじゃないかしら…」

「いくら金座と組んで砂原を倒す為だって残酷すぎるわよ…」

「そもそもあの女の子、そんな恐れるようなチカラ持ってるのかしら…?」

「でも一応夜海出身じゃない」

「ああ、あの忌まわしい一族だけの村の」

「警戒するに越したことはないわよ。まぁ、殺されるなんて不憫だとは思うけどね」

「しかも戦争でさんざん使った挙げ句に、でしょ?自分の村を自分の手で滅ぼすなんて身を切られるくらい辛いでしょうに」

そういった内容が、あちこちで話されている。

「大丈夫か?」

タイザが心配したように私を見る。

「大丈夫」

そう答えるものの、笑顔を返す余裕はない。

「…砂原潰されちゃうんだね」

「まだ分からないだろ」

「トーマは、最初から分かってたんだ。婚約、上手く行ったって行かなくたって結局同じだって」

「…」

「戦いくさって…私、また戦のせいで何もかも失うのか…ああ、今度は命も、か」

「…」

「どうして…?」

何故か涙が流れる。

「しっかりしろよ!」

タイザが私の肩を両手で掴んだ。

「まだ始まってもないだろ!君らしくない!何もせずにこのまま泣き言行って終わるのかよ!理想は実行しなきゃ現実にできないんだ!」

「…」

「じゃあ…頑張れば、何か変わる…?」

「変わらないよ」

私の問に答えたのは、タイザじゃなかった。

冷たい声で、後ろから。

「トーマ…」

驚いて声も出ない。

タイザもびっくりして固まっている。

「お前…何でここに?今日は親父と外交のはずじゃ…」

「外交…ああ、僕の分身が行ってるよ」

「分身なんて使えたのかよ」

「君は僕を知らなすぎる。ここじゃなんだし、場所変えようか」

トーマが来たことで村人の注目が集まり始めている。トーマは指をパチっと鳴らすと、次の瞬間、私達は涙の池のほとりに立っていた。

「凄い…」

「サク、君は知らなくても無理ないよ。僕は君たちと同じ最強にして最古の術の属性なんだ。これくらいは普通に出来るけど、見るの初めてだもんね」

タイザが眉を釣り上げる。

「待て、オレも見たことないけど?」

「そりゃそうだよ。こんなチカラ、持ってるってバレたら父さんに利用されるだけだし。隠してたんだ。

知ってる?普通、術属性は一家でひとつ。だけど稀に、違う属性の子供が生まれる時がある。相反する術属性を、混ぜ合わせたときに」

「どういうことだ?母親も父親も凪咲村の由緒ある一族で、両方風属性じゃないか」

トーマはタイザをスルーし、私を見て言った。

「僕の義姉に会った?」

カナのことだ。私はこくりと頷く。

「僕が生まれる前、父親は砂原の水属性を身体に取り込んだ。知ってる?変身する為には体内の水分を調節する必要がある。変身の属性っカナは思ってるけど、カナは最強の術属性の一つ、水属性だ」

「そうなんだ…」

知らなかった。カナでさえ知らなかったことだから当然なんだけど。

「何のことだ?」

タイザは一人顔をしかめる。

「君は知らなくていいんだよ」

「オレに関係あることだろ」

「僕の術属性に関して君は関係ないよ」

「何だよ、その言い方…君は本当にトーマなのか…?」

トーマはふっと笑った。今迄見たことのない冷たい目で。何の感情もない顔で。

「僕だよ?」

「嘘だ。トーマはそんな奴じゃない。本物は何処なんだよ!」

「僕って言ってるだろ。目先のことに囚われて、周りが見えないからこんなことになるんだよ」

トーマの言葉にタイザは唇を噛んだ。

「サクに言われる迄、僕が嘘をついてるって分からなかったのもそのせい。だからもう全部手遅れだよ。ぜーんぶね」

「…?」

全部って、どういうこと…?

「何のために君達に情報あげたと思ってるの?僕にわざと情報流させるなんて面倒くさいことを父さんがする筈ないって事くらい、冷静に考えたら、タイザ、君なら解った筈だ」

「…」

「気づけなかったね」

悔しそうに俯くタイザと、冷ややかにそれを見ているトーマを交互に見る。何か、私には分からないことを共有している、みたいな…

「どういうこと?トーマ」

「戦の話は君も聞いてただろ。いつ始まるか分からない戦で、君が犠牲になるのはやむを得ない事だ。でも僕はそれを阻止したかった」

「…」

「その為に、タイザに戦について気づかせ、君達に逃げてほしかった。なのに君達は逃げるどころか、どうしたら戦を回避出来るか考えた。無理に決まってるだろ。他の村と同盟組んでるんだぞ?裏切るようなことしたら、今度は凪咲が危ないんだ」

「あ…」

「それに、僕が敵って事、君は気づいたみたいだけど、それも遅すぎるよ。僕が黙ってる事があるって分かった時点で、聞かれたくない何かがある事を悟ってとっとと凪咲に潜入するべきだったんだ。そうしてほしくて僕は黙っていたんだから」

「でも…タイザが貴方を信じたのは当然だと思う。それにタイザは凪咲の人間だし、村の事情は知らされなくてもうすうす分かるでしょ?」

トーマは呆れたように私を見た。

「兄さんから聞いてるんじゃないの?兄さんは厄介者扱いされてるって」

「それは…」

「父さんは、この戦に乗じて兄さんを殺す気だ。だから兄さんを必ず僕と行動させ、必要以上に屋敷の外に出す事を禁じた」

「え、そうなの?」

タイザは俯いたままでいる。

「軟禁じゃない、そんなの…」

「そこまでされたのに、こんな簡単な考えに辿り着かないなんてね」

「仕方ないだろ…」

タイザが掠れた声で言う。

「仕方なかったんだよ…」

「ふざけるな!」

さっきタイザが私に怒鳴ったように今度はトーマがタイザに怒鳴る。

「本当に好きなら、守るために死にものぐるいで最善手を探せよ!会えるからって浮かれてんじゃねぇよ!」

トーマの言葉にタイザが怒鳴り返す。

「それなら!最初からお前が全てを教えてくれればよかっただろ!そしたらちゃんと守れた!それがお前の望みでもあるだろうが!」

「全部話せってな、オレから話してお前ちゃんと信じたのか!?」

「当たり前だろ」

「どこで話せって?」

「…」

「こんな事、話せるわけないだろ!ヤバイことを万が一誰かに聞かれたら?僕が敵だってバレたら?情報もらえなくなったら?サクとの婚約が破断になったら?困るのはお前だろ!」

怒鳴りながら、トーマの瞳から大粒の涙が溢れだす。タイザは悔しさで顔を歪めていた。

「ね、ねぇ二人とも…そんな責め合わないでよ。まだ誰も死んでないんだし…」

とりあえずふたりを宥めたかった。それだけなのに、何故か火種が私に向く。

「「お前が元凶なんだよ」」

「???」

「聞いてなかったの?今の話」

「いや…聞こえてたけど?」

トーマはやれやれといった様子で首を横に振る。

「何でもない。君が元凶っていうのは…そうだね、凪咲の切り札が君だってことだよ」

「切り札?」

「そう。僕が君に逃げてほしかったのもそのせい。夜海の人間の君が、全く関係のない凪咲に利用された挙げ句殺されるなんて、酷だったから」

トーマの話が衝撃的すぎて訊くのを忘れていた。そういえば、何で私達に逃げてほしいのか、気になっていたんだった…

戦が防げるのなら、一人の犠牲くらい安いものなのに。

「私達が逃げたら多分戦は絶対に終わらない。殺されるのはもうずっと昔に覚悟してる。凪咲に捕まる気もないし、私は戦える。逃げるべきじゃないと思うんだけど」

「いや、君達がいたら、戦は絶対に始まるんだ」

話が噛み合っていない…?

「噛み合ってるよ」

タイザは私を見ずに言う。

「オレたちは貴重な夜海の人間。オレたちに戦の命運がかかってると言っても過言ではない。もし凪咲が君を手に入れたらーまぁこれが本望だろうけどー砂原には優勢で勝てる。無理でも、砂原と凪咲、両方に夜海の人間が居て、そのチカラを使える。どっちにしろ普通の戦より酷くなることは免れないだろう。オレたちがいるから…オレたちの存在を巡って、オレたちの存在で…戦は起こるんだ」

「…」

「どっちにしろオレたちは戦に巻き込まれる運命だったんだ。平和を望むオレたちが…皮肉だな」

タイザの顔に浮かぶ笑みは、諦めを表しているのか、それとも怒りか…

何だか哀しくなってくる。

本当にそれしか、方法はないんだろうか…

行き着く先は、戦しかないんだろうか…

「だから、僕は君達に逃げてほしいんだ」

絶望しきってる私たちにもう一度トーマはそう言った。

「君達は戦に巻き込まれて、家族も村も失った。もう傷つくべきじゃない。傷ついて、苦しむ姿を僕は見たくない。ましてや死ぬなんて絶対。幸せになってほしいんだ」

「でも…たとえ逃げたとしても何処にも行く宛だってない…」

トーマは微笑んだ。

「知ってる?サク。僕は時属性の術を使えるってさっき言ったよね。そのモノが持ってる歴史とかを見れるんだけど…夜海の人の居た痕跡が、この森の外には何処にもないんだ」

「え…どういうこと?」

夜海の生き残りの人たちは、あちこちの山を転々としながら暮らしている筈だ。

「この森の…この湖の中に、皆入っていってる」

「え…?」

「涙の池…もともとは神の池って呼ばれてたらしいんだけど。この池。涙の池に名前が変わったのは、夜海の人の涙がこの湖を溢れさせたから…らしいんだ。つまり…夜海の人は、この池を通って別の世界に行ったんだと思う」

「別の世界…?」

「この星かもしれないし、違う銀河かもしれない。それはよく分からないけど、この湖は違う空間に繋がってるのは間違いない。入ってって、出てきた人も死んだ人も居ないから」

「じゃあ…みんな、生きてるかもしれないってこと?」

脳裏に家族の…村人の顔が浮かぶ。

「そういうこと。君達は何かの事故で残ってしまったのかもしれないけど、皆あっちに居るかもしれない」

葛藤

もしこの気持ちを言葉で表すとすれば、この二文字だろうか。

トーマのいう向こうに行けば、家族に会える。

私が居なければ、戦は起こらないかもしれない。起こったとしてもそれ程迄に酷くはならないかもしれない。

私が居なければ。

複雑だった。

このまま現状を放り出して逃げるのも嫌だったけれど。

「行けよ」

タイザのその言葉が私の背を押した。

迷いがないとは言い切れないし、これが正しいのかもわからないけど。

みんなのことを考えたら…

やっぱり、私は…

「行くよ。向こうに」

トーマがホッとした表情を見せる。タイザも同様だった。

「皆にー」

会ってから、と言おうとしたけれど、ドォンという爆発音に遮られる。と、同時に、気持ち悪い風が吹いてきた。

「何、これ…」

「始まったんだ」

険しい顔でトーマが言う。

「いつ始まってもおかしくなかった。多分今のは、砂原を攻めるっていう凪咲の出陣の合図だ」

「え…?」

目の前が真っ暗になる。

「とにかく君は行け。今砂原に戻っても、状況は悪くなるだけだ。君にとっても、村にとっても」

じわり、と涙が溢れる。

「泣くな。僕が何とかする。だから、君はすべて忘れて笑って生きて。それが、君たちをこんな残酷な運命に導いてしまった、僕たち凪咲がするべき償いだ」

「トーマ…」

「ほら、早く」

そう言って、私の背中をトンっと押した。湖の水が足に染みる。

行く前にもう一度、と思って振り返ろうとしたけど、タイザがそれを制した。

「…振り返るな。前だけ見てろ」

「…ありがとう。色々」

結果としては、振り返らなくて良かったのかもしれない。頬を伝う涙を、見られずに済んだから。

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