『鍵(カギ)による、支配と解放』・・・諧謔的物語⑼
『鍵による、支配と解放』・・・諧謔的物語⑼
㈠
物事は突発的に様々な良い現象を齎す時がある。それは、一言では言えない、ただ単純なる法則に乗っ取って、自同律的に作動しているまでなのだ。しかしまた、それは解放されている物事の状態反応によって行われているのであって、簡単に否定できないことは、もはや自明のことだろう。
抽象概念を破壊して、現実へと物事を引き出す時、代替物は近くには見当たらない。何かの拍子に、結論が生じ、思い切って鍵を創造してみたりはするものの、実質的な効力を持たないまま、鍵すらも放置されてしまうことは、困難を極める脳髄を、更に痛めつける。
㈡
完璧なる地球の支配をしたがる国家があったとしても、それは、相対的に見れば、絶対的矛盾に他ならない。様々な民族が居るのに、自国だけの主張を通すことなど、出来はしないからだ。他国が存在していることを顧みれば、自国も、他国も、互いに尊重すべき存在だと理解できるだろう。
そういった、物事の国家的融和には、鍵が必要になることは自明であり、平和への根拠ともなる。当たり前を当たり前に実行することがどれほど困難かは、皆分かっているのだ。つらい思いや悲しい思いの先に、平和というものは創造されているのであって、それは、自国の闘争本能の支配を消去させることでもある。
㈢
つまりは、自国を自国で支配するのではなく、自国を自国で解放するべきなのだ。それはまた、他国を自国で解放するということも必要になってくる。家の縮図でみれば、親が親の立場を解放し、子供を親の力で解放してやるということだ。家にいつでも帰ってきていいという安心感を与えて、外界を知るのだ。
そういった、所謂、磁場をもった場所というのは、解放原理にかなっていて、常設することで、物事をうまく解釈できるようになる。つまりは、鍵による支配と解放は、国家単位でも、家単位でも、個人単位でも、必要とされていることなのだ。