『鍵(カギ)による、支配と解放』・・・諧謔的物語⑸
『鍵による、支配と解放』・・・諧謔的物語⑸
㈠
思想の回転のことを考えると、決して今のままが充分な訳ではない。新しいことを取りいれている人々に、追われ追い越し、物事は光の速度でどんどん進んでいく。強烈なギターのリフと声で洗脳されそうになる音像によって、鍵は解き放たれる。
鍵とはそもそもが、精神のものだったから、その姿形によって、完全ではなかったのだ。それを思い出すと、簡単な物も難しくなる。何を隠そう、隠していたはずの鍵によって、逆に鍵の在り処を、自身で明証してしまったようなものなのだ。
㈡
そしてまた、理由が必要とあらば、確かに思想形成はその根拠とはなるが、それが果たして自分が自力で創造したものであるかどうか、と言う点は疑問が残るだろう。鍵は諷喩に満ちている、また、例の喝采を待つごとく、ただ平坦に物事をはこぶ自分の所在を確認させる。
間違っても良いことだらけなのだ、ただ、その間違いが、果てない暗黒を連れて空を支配する時、ただ光の解放を願うばかりか、その根拠さえ消失さえ虚無にさせることが、所謂デーモンの仕業であると気付いた途端、物事の推測を見誤ってしまうのだろう。
㈢
支配は展開する。長々と思慮を述べていても、空に関するメタファは、必ずしも完全ではない。単なる滑稽な周囲の捜索によって発見される、何ら難しいことのない、配慮と言った、他者に対する力学数列は、完全に鍵で蓋をされてしまった様だ。
それでも、生きるために、静謐なる完全体を待っていても、自身がそれに近づけないとしても、死に待たれたこの生は、人生を制覇するためには、鍵を必要とし、また、考えを二極化し、全てを暗闇の支配から解放したのだ。それは、得てして言えば、暗闇の鍵と言うものの、発見と解放だった。




