『鍵(カギ)による、支配と解放』・・・諧謔的物語⑷
『鍵による、支配と解放』・・・諧謔的物語⑷
㈠
川辺に来ていて、そこの上には陸橋が見える。余りに、夜などにその陸橋が光るため、ある種の現代観を強く持っている。この川は、幼い頃両親と良く来た川であって、川岸のコンクリートに座ると、それでも、昔の思い出を感じさせるし、難しい言葉無しにして、思い出を強く意識させるものだ。
その上空にある陸橋は、何やら過去に在ったものではないため、記憶を妨害する反面、新しさと言う点では、新時代を思わせる、まさに、架空の未来小説などに出てきそうなものなのだ。それは、過去の川の思い出を支配しているし、自分をも支配している。
㈡
過去の支配と言う意味では、こうやって過去の事を綴ると、やはり未来志向ではないと自覚するし、未来はどうなるんだろうと、少し不安になる。近くにあったものが遠くに、遠くにあったものが近くに、その様な力学を思わせるのだ。そこには、一種の心の鍵があるようだ。
過去に遡ることは、一定の期間のことを思考すると、鍵によって、パンドラの箱に鍵をしている様なものだ。メタファは空を行き来する。何れ、と思っていた現象も、早くやってくるし、時間軸がどうにも狂っている様でしかたないのだ。これは何かに憑りつかれているのだろうか。
㈢
それはつまり、過去からの解放を深層で願っているのであろう。そのような感慨にふけることで、一種の陶酔と共に、自分は鍵によって、支配=過去から、解放=未来、という図式の元で、動態視力の混乱と共に、身体を動かすのだ、夢の中によって。
つまりは、川も意識のメタファだろうし、竹喬もそのうえにある無意識のことだろうから、鍵は充分にそれらの現象を満たすだけの磁場を抱いているのである。丁度幼い頃に見た風景を、再び呼び戻すための作業の或る一点に、やはり鍵は存在していたと言わざるを得ない。