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『鍵(カギ)による、支配と解放』・・・諧謔的物語⑶

カギによる、支配と解放』・・・諧謔的物語⑶



雨の日だった。雨傘を忘れていたので、咄嗟に近くのスーパーへ入った。スーパーには、様々な商品が売られていることは当たり前の事だが、それらを選ぶ人は、どういった基準で選んでいるのだろうか、と疑問に思った。勿論、その日の食卓に載るであろう食材を選んだり、少し喉が渇いていて、ドリンクを買ったりしているのだろうが、自分が真っ先に進んだのは、お菓子のコーナーである。

子供の頃、家中を駆け巡っては、お菓子の在り処を探していた自分は、相当お菓子が好きだったんだろうと、今思うに、想像に足る。お菓子とは、勿論美味しいものだが、永久に食べ続ける様なものではない。だから、何処かに隠されると、つまり、お菓子に不自由すると、お菓子が食べたくなる。



ところが、いざ、大量のお菓子を机の上に置かれると、少し食べて食べ散らかしては、興味は異なる方向へ向かうのである。不自由的自由が、自由的不自由に変容する瞬間である。親も、そのことを理解した上で、何処かに隠して、楽しみを持続させているのかもしれない。

そんなことを思っていたら、急に雨も止んで、自分はまた、外に出た。自由的不自由の封印、それは、街を駆け巡る風位に流されて、ふと、或る一軒家の前に来ていた。まだ新しい、極最近流行りの、モデルハウスの様な家だった。此処には、玄関がない。また、車庫を閉じる扉もない。昔の家と言えば、厳重にそう言った、不自由的な囲い方をしていた家が多かったが、最近の家は、開放的である。



開放的な、現代の家は、逆に泥棒などが入っても、すぐに目に付くし、かえって防犯上安全な感覚を、観る者に与える。また、非常に自由的自由を感じさせる。これまで自分は、不自由的自由、自由的不自由の二極化を述べてきたが、この様な家は、自由的自由なのである。此処には、鍵の存在が、メタファとして存在していない。支配されてもいないし、解放的である。

人間の進歩というものは凄まじい速度と次元で発達し、家さえも、こんな風に変えてしまっていることが、羨ましくもある。囲われていた自分の、苦痛の書物など、まるで必要ないかのように、佇んでいる。鍵の行方のメタファは、現代志向である。不自由からの解放を意識させるその家は、まさしく、鍵を意識させないものだった。

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