二度目の正直
「今うちに来ている依頼はこのへんだな」
ハゲのマスターが書類の束をクロネコに手渡す。
「ふむ……」
クロネコはゆっくりとそれらに目を通していく。
普段より時間をかけている理由は、モモに適した依頼を探しているためだ。
「どうだ?」
「もう望みはないな」
「俺の髪の話じゃねえよ」
「そうか」
好きでハゲになるハゲなどいないので、マスターはご立腹だ。
稼ぎ頭のクロネコ以外からハゲと呼ばれようものなら、そいつの毛根を根絶やしにしてやることも辞さない構えだ。
「モモンガの奴だよ」
「刷り込まれた価値観を除けば、筋は悪くない」
「つまり?」
「手間がかかりそうだ」
クロネコは無責任な言葉は口にしない。
事実を端的に伝えるだけだ。
「まあ、教育はお前に一任したんだ。心配はしてねえ」
「ああ。依頼はこいつをもらっていく」
クロネコは一束の書類を選び出すと、残りをマスターに返す。
「それから教育手当の増額をさっさとしろ」
「全くお前はがめついな」
「金のために仕事をしているんだ。当然だろう」
「わかった、わかった。手配しておくから仕事に戻れ」
マスターが呆れ顔で手をひらひらさせる。
言われるまでもない。
クロネコはさっさと退室した。
「やれやれ……。すでに相当稼いでいるってのに、そんなに金を貯め込んでいったい何に使う気なのかねえ」
マスターはため息をついた。
マスターの部屋を退室したクロネコは、廊下を歩いていく。
暗殺者ギルドは人員的にはさほど大きな組織ではないが、建物や設備はそれなりに立派だ。
金があるのだ。
もちろんこの建物の名目は暗殺者ギルドではなく、公的な機関ということになっている。
入口に『暗殺者ギルドはこちら』などと看板を出しては、捕まえてくださいと言っているようなものだ。
ここはあくまで非合法の組織であり、犯罪者の巣窟なのだ。
クロネコが廊下を歩いていると、数人の構成員が遠巻きに視線を向けてくる。
ひそひそとした声も聞こえてくる。
「おい、見ろ。クロネコだぜ」
「あれが? 初めて見た……」
「俺たちの数十倍は稼いでるって話だぜ」
「さぞかしいい暮らしをしてるんだろうなあ……」
いつものことなのでクロネコは気に留めない。
彼自身は金さえ稼げればよく、暗殺者の頂点であることに何のこだわりもない。
しかし頂点である以上は、様々な感情に晒されるのが世の常だ。
尊敬の眼差しからやっかみや嫌悪まで、多くの視線が彼に集まってくる。
だが彼にとってはどうでもいいことだ。
そんな姿勢だからクロネコは誰かとつるむこともなかったが、それさえも彼にとっては気にするほどもない些末な問題だった。
「おうクロネコ。てめえ、ちょっと運よくうちのエースだからって調子ぶげら」
何やら絡んできた男を邪魔だったので殴り倒して、クロネコは目的の場所に向かった。
会議室だ。
「待たせた」
クロネコが入室すると、小柄な少女がぱっと立ち上がる。
「師匠、お疲れ様ですっ」
モモがぴしっと、いつもの敬礼のような挨拶をする。
何に影響されているのかは知らないが、元気なのは悪いことではないので好きにさせておく。
「依頼を持ってきた」
クロネコが数枚の書類をテーブルに乗せる。
早速それらを手に取るモモ。
「えっと……」
書類に目を通したモモの表情が、みるみるうちに曇っていく。
クロネコはその反応を予想していたが、言葉をかけるでもなく見守っている。
「師匠、これ……」
物言いたげなモモの視線を受けて、クロネコは頷く。
「見ての通り、貴族の屋敷に忍び込んで対象を暗殺する依頼だ。難易度は低い」
「はい、でも」
モモはもう一度、書類に視線を落とす。
暗殺対象は3人。
貴族本人、その妻、そして幼い息子。
同じだ。
子の性別こそ違うものの、前回モモが暗殺に失敗した商人の家族構成と同じなのだ。
モモは理解した。
これは前回の焼き直しだ。
当然クロネコは、意図的にこの家族構成を選び出したに違いない。
モモは恐る恐る顔を上げる。
クロネコはいつもの無表情でモモを見ている。
モモは小さく体を震わせた。
当たり前だがクロネコは、問題点の改善を彼女に期待している。
ここで同じ失敗を繰り返すようでは、クロネコを大きく失望させてしまうだろう。
モモはクロネコを心から尊敬し、信頼している。
そんな彼に失望されたくないという思いはあるが、ことはもっと切実だ。
最強の暗殺者と呼ばれる彼の教育を受けている現状は、モモにとっては明らかに過分な待遇だ。
降って湧いたこの幸運を、自らの未熟さでみすみす逃しては、彼女はこの先ずっと後悔に苛まれるだろう。
失望されるのは嫌だが、愛想を尽かされて教育係を辞められてしまうのが彼女にとっての最悪だ。
「……」
モモは知らず、書類を握る手に力を込めていた。
そこにクロネコの追い打ちがかかる。
「この依頼に関しては、お前一人で計画を立てて実行するんだ」
「えっ」
「さっきも言ったが難易度は低い。俺の見立てでは、この依頼に対してお前の能力は充分に足りている」
「そ、そんなぁ……」
モモは一瞬、泣きそうな表情になる。
新米暗殺者であり、初の依頼を失敗で終えた彼女の心情としては、まるで見放されたかのように感じたのだ。
だがクロネコはそんな彼女に、それ以上の言葉をかけない。
クロネコはモモに事実を伝えた。
この依頼は大した護衛もいない屋敷に侵入し、殺害して逃走するだけの初歩的な暗殺だ。
そしてモモは成功に必要な能力を充分に有している。
彼女にできることを淡々とこなせば、それで済む依頼なのだ。
だから後は、モモの心の問題。
クロネコは彼女の教育に手を抜く気はないが、それ以上に甘やかせるつもりもなかった。
そんなクロネコの様子を見て取り、モモは理解した。
今回はクロネコは助けてくれない。
いや、依頼が失敗してはギルドが損害を被るため、最後の最後、ぎりぎりの場面でフォローはしてくれるだろう。
だがそれは、最初から期待していいことではない。
クロネコのフォローが入るということは、モモの暗殺が失敗することと同義だからだ。
モモは自分の胸に手を当てた。
拳をぎゅっと握り締める。
「……わかりました」
モモは覚悟を決めた。
今度こそ、子供を殺してみせる。