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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第1章 ― 新人育成編 ―
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モモの一日

 孤児院の朝はどこも早いので、モモは幼い頃から早起きが習慣になっていた。

 暗殺者ギルドに引き取られた後もそれは変わらない。


「はっ、はっ、はっ」


 まだ日の出から間もない時刻。


 モモは薄手の上着に膝上までのレギンスという軽装で、王都の周りをジョギングをする。

 これは体力をつけるために始めたことだが、今ではすっかり毎朝の日課だ。


「はっ、はっ、はっ」


 このキャルステンブルグは大きな町なので、外周をぐるりと一周するだけでも相当時間がかかる。

 ジョギングにはもってこいの距離だ。


「おじさん、おはようございまーす!」

「よう、モモちゃん。今日も早いねえ」

「えへへー、日課ですから」


 町の入口にいる門番との挨拶も、毎朝恒例だ。

 モモがぶんぶんと手を振ると、いかめしい顔の門番も相好を崩して手を振り返してくる。


 もちろんこの門番は、毎朝自分に挨拶してくれる可愛らしい少女が、まさか暗殺者だとは露ほども思っていない。

 いわんやモモが名前ではなく単なるコードネームの略称であることなど、知りようもないことだ。


「ふぅ、はぁ……。今朝も疲れたぁ」


 時間をかけて暗殺者ギルドまで戻ってくる頃には、モモはへとへとだ。

 しかしこうして体力がついていくのだと思うと、悪い気分はしない。


 ギルドには食堂があり、彼女はいつもそこで朝食を取る。

 今日のメニューは黒パンに鶏肉と野菜のスープ、チーズにフルーツ、そしてオレンジジュースだ。


 この食堂を利用するのはもっぱら情報員か見習い暗殺者が多いが、値段に比べて味と量が満足できるメニューが多いため、評判はよかった。


「いただきます!」


 モモは小柄だ。

 それに加えてよく運動するため、きちんと食べても余分な贅肉がつくことがない。

 それどころか食事量が足りないと、訓練の途中で身体が保たなくなってしまう。


 結局、鶏肉野菜のスープはおかわりした。

 美味しかった。


 ふと、クロネコ師匠の顔が頭をよぎる。

 よく考えたら彼の食事姿を見たことがない。

 別段隠している様子はないので、単純に見る機会がないのだ。


 もし自分が食事を作ったら、師匠は食べてくれるだろうか……。

 ぶっきらぼうな口調で、美味しいなんて言ってくれるだろうか。


「あ」


 そんな詮無いこと考えているうちに、気づいたらスープの皿は空っぽになっていた。

 モモはちょっと顔を赤くした。


「さて、と」


 モモは自分に割り当てられている部屋に戻る。


 食後すぐに動くのはよくないので、モモはこの時間を武器の手入れに当てている。

 クロネコ師匠からも、たとえ使っていないときでも武器の手入れは怠ってはならないと指導を受けている。


 武器は暗殺者の腕の延長であり、手入れを怠ればいざという場面でしっぺ返しを食らうのだそうだ。


 モモの武器はナイフだけなので、研ぎ粉と布を使って刀身をきゅっきゅっと磨く。

 刃こぼれも錆びもないので、砥石で削る必要はない。

 あくまでも日常の手入れだ。


 そういえは師匠は、武器に名前をつけると愛着が湧いていいと言っていた。


 武器は愛着の対象ではないし、名前をつけるという感覚もわからないが、他ならぬ師匠の言葉だし名前を考えてみようかなとモモは思った。


「……」


 考える。


「……ししょー、って名前はどうかな?」


 ぽつりと呟く。

 そして自分が口にした内容に気づいて、また頬を赤くした。


 たかだか新米暗殺者が使う武器ごときに、最強の暗殺者の名前を冠していいはずがない。


 ……それにいくら何でも恥ずかしいし。

 師匠に武器の名前を聞かれたときに、答えられないし。


「……うん、武器の名前はまた今度にしよう」


 モモはナイフと手入れ道具を収納箱に戻すと、立ち上がる。

 また訓練の再開だ。


 見習い期間を卒業した暗殺者には、当然ながら訓練メニューなどは割り当てられない。

 いわば全てが自主練となる。


 どれだけ自己研鑽できるかも、暗殺者の素養の一つなのだ。


 訓練場に出ると、モモは反復横跳びを始めた。


 師匠によると、モモには瞬発力が足りないそうだ。

 反復横跳びは瞬発力を生み出す筋肉と、膝のばねを鍛えることができるらしい。


「ふっ、ふっ、ふっ」


 ジョギングとは違う意味できつい。

 別の部位を酷使しているのだから当然だ。


 しかしこれも一流暗殺者になるための訓練と思えば、サボる気など起きようはずもない。


 しばらくして、モモは訓練場の地面に仰向けになった。


「はぁ、はぁ……。つ、疲れたよぉ……」


 足がぱんぱんだ。


 だがもちろん、訓練はまだまだ続く。




「どうだ?」

「あっ、師匠!」


 忍び足の訓練をしているときに、クロネコ師匠がやってきた。

 様子を見に来てくれたのだ。

 モモはぴしっと敬礼のような挨拶をした。


 周囲にちらほらいる見習い暗殺者が、ざわざわしている。

 その視線は全てクロネコ師匠に向いている。


 そうだろう。

 見習いの身分で最強の暗殺者にお目にかかれる機会など、そうあるものではない。


 モモは少しだけ誇らしくなった。

 そんな暗殺者ギルドの頂点にいる人が、自分の師匠なのだ。


 そしてモモは、そんな師匠の期待に応えられなかった自分を恥じていた。

 次の機会には何としても挽回しなければと思っていた。


 そう思えばこそ、日々の訓練にも身が入る。


「モモ、もっと腰を落とせ」

「はいっ」

「つま先で歩くことを意識しろ。かかとは地面につくかつかないか程度に浮かせるんだ」

「はい」

「もちろん、本当につま先で歩いては突き指する。厳密には、つま先の指の付け根あたりに重心を置くんだ」

「は、はい……!」


 難しい。

 見習い時代にも忍び足の訓練は散々行ったが、その水準では師匠は満足してくれない。


 さもありなん。

 師匠の歩法は、驚くほど無音なのだ。


 いや、歩法だけではない。

 身体を動かすあらゆる仕草が、本当に静かなのだ。

 加えて気配の消し方も一流なので、目を閉じてしまえばすぐ側にいても気づかないほどだ。


「猫背になれと言っているわけじゃあない。腰を落とせ」

「は、はい」

「その状態で膝のばねを使うんだ。上半身から伝わる体重を膝に吸収させろ」

「は、はいぃ……」

「肩に力を入れるな。いらんところまで意識しすぎだ」

「ひぃぃ……」




 結局、1時間ほどで師匠は帰った。


 むしろ1時間もいてくれたというべきか。

 師匠は忙しいのだ。


 そのうちまたモモのことを考えて、依頼を持ってきてくれるに違いない。

 それまでに少しでも研鑽を積んでマシになっておかなければ。


 モモは日が暮れるまで訓練に勤しんだ。




 驚くべきことに、このギルドには浴場も備わっている。


 浴場は貴族や金持ちの商人くらいしか持っていないため、暗殺者ギルドがいかに金を持っているかがわかる。

 風呂の維持には金がかかるので、小さな浴室でさえも持てない平民は多い。


 しかし暗殺者ギルドの顧客といえば、貴族をはじめとした裕福層ばかりだ。

 そう考えれば、このギルドが儲かっているのは当然といえる。


 ならば浴場くらいあっても罰は当たらないだろう。


「ふぅ~……」


 そんなことを考えながら、モモは小柄な身体を湯船に沈めた。


「んぅぅ……。気持ちいいよぅ……」


 疲れた身体を、温かい湯が包んでくれる。

 あまりの心地よさに、モモはついうとうとしてしまう。


「今日は師匠も訓練を見に来てくれたし……」


 仕事で同行している最中を除けば、モモがクロネコと会える機会はそう多くない。

 新米で仕事がないモモと稼ぎ頭のクロネコでは、忙しさの度合いは比較にもならない。


 そして残念ながらクロネコが遂行する仕事の全てに、モモが同行できるわけではない。


「師匠……」


 憧れであり尊敬の対象である暗殺者のことを考えると、モモは胸の奥がじんわりと暖かくなる。

 モモは知らず、自分の胸に手を遣り……そこで手を止めた。


 自分の身体を見下ろす。


 モモの胸の膨らみは、非常に慎ましやかだ。

 ぎりぎり15歳の成人に達しているというのに、同年代の女性と比較しても、体格そのものが小柄だ。


 モモは自分の胸をぺたぺたと撫でた。


「はぁ……」


 ため息が漏れる。

 女性としての魅力に欠けていると言わざるを得ない。


 暗殺者として有利な体格であることはわかっている。

 しかしわかってはいても、もう少しプロポーションがよければと思わずにはいられない。


 モモはもう一度、自分の胸をぺたぺたする。

 ないものはない。


「……上がろう」


 空しくなってきたので、モモはそれ以上考えることをやめた。

 温まったし気持ちよかったので、それで満足することにした。




 モモはほかほかと湯気を立てながら自分の部屋に戻ってきた。


 もうやることはない。

 明日もハードな訓練を行うので、早めに休むだけだ。


 もぞもぞとベッドに潜り込む。

 疲れた身体はすぐに眠気を訴えてきた。


 モモは微睡みながら、クロネコの顔を思い浮かべた。


「師匠、私、がんばります……」


 知らず、そんな言葉が口をついて出た。


 それから程なくして、モモはすやすやと寝息を立て始めた。

 明日もモモの朝は早い。

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