魔法使いマーボウ VS クロネコ
魔法使いマーボウは歓喜していた。
正味なところ、最初の流星雨であっさり片がつくと思っていた。
最強の魔法使いが振るう最強の力から、逃れ得る者など存在しないと。
だが、そうはならなかった。
あのクロネコという暗殺者は一切の躊躇なく、仲間を見捨てて自分だけ生き残る判断を下した。
それに加えて驚異的な身体能力を披露し、無傷で流星雨の範囲外へと脱出したのだ。
あの暗殺者は心身ともに強い。
マーボウは王城での生活に飽き飽きしていた。
ひとたび戦争が始まれば思う存分、力を振るうことができるが、戦争などそう頻繁に発生するものではない。
もちろん弟子の育成も、王城務めの魔法使いにとって重要な仕事だ。
しかしマーボウは、この育成も好きではなかった。
単純につまらないからだ。
彼は己の圧倒的な力で敵を蹂躙したいのだ。
戦いが好きなのではない。
蹂躙するのが好きなのだ。
それも、相手が強者であればあるほど良い。
そんな彼は、あのクロネコという暗殺者を極上の獲物として認定した。
とはいえ悠長に時間をかけるわけにはいかない。
何せ100人規模の兵士がこの屋敷の敷地内にひしめいているのだ。
クロネコがいかに強かろうが、100対1では戦いになるはずもない。
放っておけばじき捕縛されてしまうだろう。
そうなる前に、彼は自らの手でクロネコを殺したいと思った。
最強の暗殺者の名を冠する獲物を、最強の魔法で木っ端微塵に粉砕したいのだ。
「指揮官」
「はっ」
「兵士どもに屋敷を囲ませろ」
「かしこまりました!」
当然ながら魔法使いの権力は、この現場の指揮官よりも強い。
指揮官は素直に彼の命令に従った。
中庭や裏庭をうろうろしていた兵士たちが、統率を持ってぐるりと屋敷を包囲する。
「さぁて」
マーボウは無精髭を擦りながら、屋敷の正面玄関へと踏み込んだ。
クロネコが屋敷内にいるのは間違いない。
問題はどうやってあぶり出すかだ。
マーボウはシンプルに行くことにした。
圧倒的な力を持っている者に、小細工は必要ないのだ。
マーボウは廊下を歩く。
最も近い部屋の、扉の前に立つ。
彼の周囲に、無数の光の粒が浮く。
それを発射する。
光の粒は轟音を立てて扉を吹き飛ばし、部屋の中を流星雨となって駆け巡った。
この光の粒はある程度、マーボウの意思で軌道をコントロールできる。
流星雨は室内を隅々まで蹂躙した。
「どれ」
魔法を撃ち終わってから、マーボウは部屋を覗き込む。
もはや見る影もないほどめちゃくちゃに荒れ果てた室内を確認し、軽く舌打ちをする。
「いなかったか。次だな」
彼は隣の部屋の前に移動し、同じように流星雨で室内を徹底的に掃除した。
「次だ」
その隣の部屋も同じように、ねずみ一匹生き残れないほど破壊した。
「おい」
「はっ!」
「部屋から誰か出てこないかちゃんと見張ってろよ」
「かしこまりました!」
手近な兵士に廊下を見張らせるのも忘れない。
彼はやり方は荒っぽいが、同時に抜け目もないのだ。
「次だ」
その更に隣の部屋も破壊する。
「ちっ。次」
破壊する。
「次」
破壊する。
轟音が鳴り響くたびに、屋敷の外にいる兵士たちは身を竦める。
いったいどんな破壊活動が繰り広げられているかを想像し、魔法使いの圧倒的な力に恐怖しているのだ。
そして同時に、その恐ろしい力が自分たちに向けられない幸運に感謝した。
「1階にはいねえな。上だ」
1階の全部屋を徹底的に破壊し尽くしたマーボウは、階段を登る。
もちろん奇襲への警戒も怠らない。
相手は不意打ちを得意とする暗殺者なのだ。
流星雨が踊る。
最初の部屋が破壊される。
次の部屋も破壊される。
その次の部屋も破壊される。
修繕が不可能なほど、徹底的な破壊ぶりだ。
家具一つとっても跡形すら残っていない。
程なくして、2階の部屋も終わった。
すべての部屋が無残な有様を晒していた。
だが、彼が期待する獲物の死体はない。
どの部屋にも転がっていない。
「いねえな。となると……」
マーボウは天井に目を向ける。
ここは2階だ。
部屋と屋根の間には、当然、天井裏というスペースがある。
暗殺者でなくとも、例えば掃除人が立ち入ることもある場所だ。
彼は流星雨を発射した。
大量の光の粒が天板を貫通し、天井裏を隅から隅まで駆け巡って大掃除を実施した。
ここまで内部を破壊されては、もはやこの屋敷は解体するしかないだろう。
もちろんヒゲン侯爵の所有する物件だが、マーボウにとってはどうでも良いことだ。
「おい、誰か天井裏を確認してこい」
「はっ」
数人の兵士がテーブルを持ってきて、そこから天井裏へと登っていく。
それをマーボウはつまらなそうな目で見送った。
獲物が見つからないことが不満なのだ。
兵士たちは天井裏を探っていたが、しばらくして戻ってきた。
「どうだ?」
「ねずみ一匹見当たりません!」
「何い?」
マーボウは苛立たしい表情を隠そうともしない。
その顔を見て、兵士たちが肩を震わせる。
魔法使いの八つ当たりが飛んでこないか恐々としているのだ。
「おい、この屋敷にもう部屋はないのか?」
「食料貯蔵庫が地下にあります」
「そこだな。案内しろ」
「はっ!」
兵士に先導させ、マーボウは1階に戻った。
廊下の端に、地下に降りる階段があった。
マーボウは唇を獰猛に歪ませた。
極上の獲物をようやく追い詰めたのだ。
だが、それで警戒を怠る彼ではない。
変わらず奇襲に備えながら、ゆっくりと階段を降りていく。
階段の終端には、扉があった。
もちろんわざわざ部屋に踏み込む愚を犯すことはしない。
あの暗殺者が扉の裏側で気配を殺し、今か今かと機を窺っているかもしれないからだ。
「チェックメイトだ、最強の暗殺者さんよ」
マーボウはこれまで以上の威力を込めて、流星雨を発射した。
光の粒はもはや渦となり、地下貯蔵庫を徹底的に破壊し尽くした。
魔法が終わると、マーボウは兵士たちに命じた。
「中を確認しろ」
「はっ!」
兵士たちがぞろぞろと、貯蔵庫だった部屋に踏み込んでいく。
もはや物と呼べるものは何も存在していない、ただの荒れ果てた空間になっていた。
それでも隅から隅まで確認する兵士たち。
そして――。
「猫の子一匹見当たりません!」
「馬鹿を言うな。よく探せ」
「しかし……」
「退け」
マーボウは兵士を押し退けると、自ら部屋に踏み込んだ。
食料棚だったものの破片を踏みつけながら、破壊の限りを尽くされた無残な空間を目視していく。
何もない。
肉片一つ落ちていない。
期待した死体は見当たらない。
「……」
マーボウは腕を組んだ。
怒りはあったが、それでも彼は冷静さを失わずに考える。
屋敷から出ていないのは間違いない。
だが、それならどこへ行った?
もはやあの暗殺者が隠れる場所など存在しないはずだ。
にも拘らず見つからないのであれば、やはり奴はすでに脱出した後なのか?
いや、それはあり得ない。
しかし見つからない。
「……」
思考の堂々巡りに陥りそうになったマーボウは、息をついた。
解決策なら一つある。
「指揮官」
「はっ」
「兵士どもを屋敷の外へ出せ」
「……マーボウ様、何を?」
「早くしろ」
「……かしこまりました」
魔法使いの命令には逆らえないので、指揮官は嫌な予感がしながらも従った。
兵士たちを全員、屋敷外へと退避させる。
最後に無精髭を撫でながら、マーボウが正面玄関から出てくる。
「あの、マーボウ様?」
「邪魔だ。離れてろ」
「は、はっ!」
兵士たちが屋敷から離れる。
マーボウはこの任務を遂行するにあたり、宰相からあまり派手な破壊を行わないよう言いつけられていた。
宰相は彼の性格をよくわかっているのだ。
しかし標的が見つからない以上、ある程度の被害はやむを得まい。
目的の達成、すなわち暗殺者クロネコの捕縛または殺害が最優先だ。
この敷地がどうなろうとも、目的が達成できないよりはマシだろう。
マーボウが両手を広げる。
天空に、まさしく満天の星々を思わせる光が浮かび上がる。
これまでとは規模の違う、屋敷そのものを覆い尽くすかのような無数の光。
「ぜっ、全員伏せろ!」
「う、うわあああ!」
指揮官の号令で、一斉に地面に伏せる兵士たち。
彼らを意に介することなく、マーボウは光の奔流を降らせた。
先程までとは違い、一切の加減がない全力の流星雨だ。
断続的な轟音。
木や鉄がひしゃげ、破壊される音。
土が抉れ、弾け飛ぶ音。
程なくして、魔法が終わる。
伏せていた兵士たちが、恐る恐る顔を上げると――。
「な……!」
「ひっ……」
屋敷だったものは、瓦礫の山と化していた。
もはやかつての豪奢な趣は見る影もない。
ただの残骸だった。
「ま、マーボウ様。さすがにやりすぎでは」
「任務が失敗するほうが良いのか?」
「い、いえ。そういうことでは……」
マーボウは鼻を鳴らす。
彼はこんな屋敷に一片の価値も見出していない。
後で宰相に小言を言われるだろうが、それはまあ我慢してやる。
「さっさと奴の死体を確認しろ」
「はっ!」
ぞろぞろと瓦礫の山に群がっていく兵士たち。
マーボウはごきごきと首を鳴らした。
クロネコを目の前で粉微塵にできなかったのは不満だが、とりあえず任務は成功した。
早く王城に戻って一杯やるとしよう。
しかし兵士どもは何をちんたらやっているのだ。
さっさとあの暗殺者の死体を持ってこい。
「マーボウ様、見当たりません!」
「……何い? そんなはずはねえ。もっとよく探せ」
「はっ!」
しかし。
どこを探しても。
どれだけ探しても。
肉塊と化しているはずの暗殺者の死体が見当たらない。
「……こんな馬鹿なことが」
「ま、マーボウ様、いかがしますか?」
「……」
どうもこうもない。
マーボウは指揮官に返す答えを持っていない。
これだけ徹底的に蹂躙したうえで死体が出てこないのであれば、あの暗殺者はもうこの場にはいないのだろう。
そしてひとたび敷地外への脱出を許してしまえば、いくら兵士たちを捜索に向かわせようと、隠密に長けた暗殺者を補足するすべはあるまい。
つまり、任務は失敗したのだ。
彼は何の成果も挙げられず、手ぶらでのこのこ帰還するしかないわけだ。
「……ふざけやがって」
マーボウは犬歯をむき出しにして唸った。
魔法使いとしてのプライドが許さなかった。
しかしどうにもならない。
いかな最強の魔法使いとて、いない人間を殺すことはできない。
マーボウは拳を固く握り締めた。
認めざるを得なかった。
キャルステン王国は、大量の兵士に加えて最強の魔法使いまで動員しながら、たった一人の犯罪者を取り逃がしたのだ。
◆ ◆ ◆
――戦わなくて良かった。
魔法使いの規格外の破壊力を目の当たりにし、クロネコは心底そう思った。
戦闘を避けた彼の判断は正しかったようだ。
そもそも彼の目的は、あの魔法使いを打倒することではなく、この場から生還することだ。
あの男と交戦したところで、得るものは何もない。
そして、どうやら彼らの任務は失敗に終わるらしい。
肝心のクロネコが見つからないのだから無理もない。
じき王城に帰還するのだろう。
ならば後は、切りの良いところで王都を脱出すればいい。
そんなことを考えながら、兵士の制服に身を包んだクロネコは、もう少しだけその他大勢に混じって雑兵の演技を続けることにした。




