モモの計画立案
暗殺者ギルドの会議室の一室。
クロネコとモモがテーブルで向かい合っていた。
「仕事を持ってきた」
クロネコは数枚の書類をモモの前に滑らせる。
モモはキョロキョロと、それらの書類に目を走らせる。
「師匠と一緒に実践ですか?」
「そうだが、計画の立案から実行まで、基本はお前一人でやる」
「えっ、私一人でですか!?」
驚いて顔を上げるモモに、クロネコは半眼で返す。
「これは本物の依頼ではあるが、お前の訓練を兼ねている。お前が主導しないでどうする」
「そ、そうですよね……」
当たり前の話ではある。
しかし最初から最後まで一人で、というのはモモにとっては初めての経験のため、やはり不安だった。
「安心しろ。失敗されてはギルドに損害が出るから、俺も必要に応じてフォローはする」
「あっ、よかった……」
息をつくモモ。
その新米らしい心情と仕草に、クロネコは逆に気を引き締めねば、と胸中で思った。
「いいか。暗殺というのは基本的に地味な仕事だ」
「はいっ」
「だが失敗すれば自分の命にかかわる他、ギルドも大きな損失を被ることになる。もちろん依頼人からの信用も落ちる」
「はい」
「文字通り、一つの失敗が様々な方面で命取りになる。それを肝に銘じるんだ」
「わかりました!」
モモは素直に頷く。
素直さと飲み込みの速さは、彼女の利点だ。
価値観や倫理観の問題を抜きにすれば、暗殺者としての適正はまずまずあると言ってもいい。
「では始める。暗殺対象の情報は書類に書かれている。それに基づいて、まずは大雑把でいいから計画を立ててみろ」
「はい!」
モモは見習いのときに習った内容を思い出す。
暗殺は基本的に、三段階の手順を踏んで実行される。
三段階とは「接近」、「実行」、「逃走」だ。
接近は文字通り、暗殺対象に接近する方法だ。
対象のスケジュールから行動を割り出し、対象への接近に最も適した日時とルートを決定するのだ。
ある意味、この接近が暗殺の要と言える。
首尾よく対象に接近できれば、それだけ対象の殺害は容易になるからだ。
次に実行。
これはもちろん、対象に接近した後の殺害だ。
暗殺者にとって殺害は本業に当たるため、接近さえ成れば殺害はさほど難易度は高くない。
だが現場の状況は常に流動的なので、時には臨機応変な対応が必要となる。
最後に逃走。
これも文字通り、対象を殺害した後の逃走だ。
仮に逃走に失敗して捕縛されれば、暗殺者はギルドの掟に従って自害しなければならない。
だから逃走の成否は、暗殺者本人の命に関わってくるといえる。
死にたくなければ、是が非でも逃走に成功しなければならないのだ。
「うん……」
モモはまず書類を読み込む。
何にしても情報を頭に叩き込むところからだ。
対象の名前は「ダイショー・ニン」とある。
似顔絵も描かれている。
これが今回の依頼で殺すべき人物だ。
職業は商人。
王都からほど近い町で大きな商店を営んでいる。
また同じ町に、屋敷も構えている。
「ん」
ふと視線を感じて、モモは上目遣いになった。
クロネコと目が合う。
「どうした?」
「いっ、いえ……!」
モモは頬に熱を感じながら、慌てて書類に視線を落とす。
クロネコはこの暗殺者ギルドの稼ぎ頭だ。
最強の暗殺者と呼ばれ、この国の暗殺者なら誰もが一目置く存在だ。
いわばモモにとっては天上人のような存在で、尊敬と憧れの対象なのだ。
そんなクロネコの下について、一緒に仕事ができる。
一流の暗殺者を目指すモモにとっては、まるで夢のような環境だ。
ただ憧れが強すぎて、近くにいるとドキドキしてしまう。
彼の視線を感じるだけで、頬が赤くなってしまうのを抑えられない。
――落ち着こう。
モモは深呼吸をする。
感情のコントロールは暗殺者にとって必須の技術の一つだ。
「師匠」
「何だ」
「このダイショー・ニンさんの屋敷の見取り図ですけど」
「ああ」
モモはテーブルに身を乗り出して、指差し確認を行っていく。
「夜間でも護衛が20人も張り込んでいるんじゃ、侵入は難しくないですか?」
「お前が一人で暗殺を行うという想定だから、難しいな」
「かといって白昼堂々、商店のほうに乗り込むというのも……」
「わざわざ目立ちに行くようなものだな」
「むむ……」
眉間にしわを寄せてモモは考え込む。
ちらりとクロネコの表情を窺ってみる。
いつも通り、落ち着き払っている。
つまり彼には、もうとっくに計画の算段が立っているのだろう。
「むむむ……」
暗殺は夜間に行うのが鉄則だ。
しかしモモの未熟な腕前で、20人からなる護衛を乗り越えて、ダイショー・ニンの元まで辿り着けるのか……。
モモはクロネコのように、戦闘技術に優れているわけではない。
いや、モモでなくとも大半の暗殺者は戦闘には秀でていない。
クロネコが特殊なのだ。
となれば屈強な護衛と戦闘になる可能性は、限りなくゼロにしなければならない。
「うーん、うーん……」
頭を抱え始めたモモを見て、クロネコはさもありなんと思った。
彼女は暗殺計画の立案について、座学でしか習ったことがない。
圧倒的に経験が不足しているため、先入観に則った考え方しかできないのだろう。
この場合の先入観とは、暗殺は対象の住まいに侵入して行うというものだ。
ただの訓練なら失敗から学ばせるところだが、これは本物の依頼だ。
本当に失敗されては困ったことになる。
クロネコは助け舟を出すことにした。
「モモ」
「は、はい!」
「ダイショー・ニンの一週間のスケジュールには目を通したか?」
「はい」
「ならば対象の屋敷や商店以外に、暗殺に適した場所はなさそうか?」
「えっ」
モモはもう一度、書類に視線を落とす。
ダイショー・ニンの一週間の動きは大体決まっている。
「……」
彼は毎週水曜日には、商談のため馬車で隣町を訪問することになっている。
「……あっ」
モモはいそいそと、町周辺の地図を見る。
隣町まで赴くには、山道を越えていく必要がある。
そして隣町への商談の際に、ダイショー・ニンは4、5人ほどしか護衛を連れていかないようだ。
「……師匠!」
モモは目を輝かせた。
「山道でダイショー・ニンさんの馬車を襲撃すれば、屋敷に侵入するよりずっと楽なのでは!?」
「俺もそう思う」
クロネコの答えを聞いて、モモは拳をぐっと握り締めた。
「でも師匠、地図だけでは襲撃地点を決めるのが難しいです!」
「つまり?」
「実際に現地を見に行って、適した襲撃地点を決定したいです」
「よし」
クロネコは概ね満足した。
モモは頭が悪いわけではないので、適切な学習を行えば、思ったより早くモノになるかもしれない。
「モモ。暗殺の期限はどうだ?」
「えっと……。現地の山道を下見して、またキャルステンブルグまで帰ってくる時間はなさそうです」
「うむ」
「襲撃地点を決定したら、そのまま次の水曜日に計画実行しないと間に合わなそうです」
「では、そのつもりで支度をして旅に出るぞ」
「はいっ」
クロネコとモモは席を立った。
旅立ちだ。