授与式当日
朝。
クロネコの家。
今日は待ちに待った爵位の授与式だ。
そういうわけで、クロネコは白と黒を基調とした礼服に袖を通していた。
もちろん礼服など所持していないのでレンタル品だ。
「……うむ」
普段着よりは動きにくいが、仕事に赴くわけではないので問題ないだろう。
それでも彼はプロとして、最低限の備えは怠らない。
いつものように、服の下に数本のナイフを忍ばせる。
「こんなおめでたい日にも、武器を持っていくの?」
2階から降りてきたカラスが、呆れたように声をかける。
「日に関係なく、備えを怠る気はない……ほう」
クロネコが僅かに感嘆の声を漏らす。
カラスは優雅なドレス姿だった。
白とベージュを基調としたドレスで、さり気なく紺の刺繍を交え、地味一辺倒な印象にならないよう配慮されている。
しかし主役はあくまでクロネコなので、目立ちすぎないよう化粧もアクセサリも控え目だ。
「どうかしら?」
カラスがその場でくるりと回る。
ドレスの裾がふわりと舞う。
「悪くない。貴族の婦人に見える」
「……あ、ありがと」
婦人に見えるという感想に、カラスが薄っすらと頬を染める。
そうなのだ。
彼女はクロネコに結婚を申し込まれたのだ。
カラスは別に初心な少女のように純真ではないが、それでも今日まで夢見心地な気分だった。
有り体に言えば、幸せなのだ。
彼と結ばれるのは望み薄だと思っていただけに、喜びはひとしおだ。
「それでカラス。結婚の話だが」
「え、ええ」
内心を見透かされたのかと、カラスはドキッとした。
「今日の授与式では、あくまでヒゲン侯爵にはお前のことを婚約者だと紹介する予定だ」
「そうね」
「だが実際の結婚も早いほうがいいだろう」
「時間を置くと、侯爵にいろいろと言われてしまいそうだものね」
「そういうことだ」
結婚という単語が出てくるたびに、カラスの胸は高鳴ってしまう。
意中の人と一緒になれるということが、これほど幸せなことだったとは……。
彼女はご満悦だった。
そこに外から車輪音が聞こえた。
貸馬車が到着したのだ。
「行くぞ」
「ええ……あ、クロネコ。ちょっと待って」
「何だ?」
カラスはクロネコに近づくと、彼の胸元のタイをきゅっと直す。
そしてにっこりとした。
「うん、ばっちり」
「ああ」
なるほど、貴族の婦人とはこういう気遣いをするものかと、クロネコは感心した。
過去を思い返してみれば、カラスは他者への配慮においてもマナーにおいても、よく教育されている。
彼女の出自を詮索したことはないが、案外と良いところのお嬢様だったのかもしれない。
2人は外に出て馬車へと歩く。
御者が頭を下げて、馬車の扉を開ける。
クロネコが先に乗る。
「カラス」
「ええ」
クロネコが差し出した手を、カラスがそっと握る。
そしてステップに足をかけて、彼女も乗る。
貴族とその婚約者として、申し分のない所作だ。
クロネコがきちんと貴族のマナーを勉強していることに、カラスは胸中で嬉しく思った。
「ヒゲン侯爵の屋敷へ」
「へい」
馬車が動き出す。
授与式の式場へ。
車輪が軽快に音を立てる。
舗装された石畳をガラガラと進んでいく。
クロネコは今日、貴族になる。
◆ ◆ ◆
それより遡ること早朝。
日の出より前から、すでに王城の中庭には1000を超える人員が集結していた。
いずれも鎧を着込み、槍を携えて腰には剣を下げている。
物々しい雰囲気だ。
そこに一人の人物が進み出た。
宰相だ。
それを見て騎士や兵士たちが一斉に背筋を正し、向き直る。
「諸君。急な集結にも拘らず感謝する。我らが軍の練度の高さを窺えて、ワシは嬉しく思う」
直立不動の集団を見据え、宰相は大いに頷く。
そう。
キャルステン王国軍の正規兵に加え、主力部隊である騎士団である。
「すでに話は伝わっていると思うが、この王都にとある犯罪組織が根付いていることが最近発覚した」
何が最近か。
自分の二枚舌に内心で呆れながらも、高らかに口弁を続ける宰相。
「極悪非道の暗殺者集団である!」
宰相の言葉に、騎士や兵士たちがざわめく。
「言うまでもなく人殺しであり、犯罪者の巣窟である」
演説を続ける宰相。
「我らがキャルステン王国の治安、とりわけ国民の平和な生活を守るため、断じて放置しておくわけにはいかん」
ざわめきが収まっていく。
騎士や兵士たちは正規軍として高い意識を誇っている。
王国の平和のためという名目を前にして、士気が上がらないはずはない。
彼らの表情には、強い決意が表れていた。
「総数でいえば100人にも満たぬ組織だが、全員が暗殺者として訓練されておる。決して油断するでないぞ」
宰相はそう言いながらも、自分の言葉が杞憂だとわかっていた。
彼らの練度と士気の高さは、表情を一目見るだけで伝わってくる。
「では騎士団長、後は任せる」
「はっ」
「時間との勝負じゃ。夕方までには片をつけよ」
「お任せください」
騎士団長が敬礼をして、宰相の元から去っていく。
彼ら騎士団と兵士の混成軍は、これから暗殺者ギルドの本拠地へと向かう。
1000を超える大軍をもって速やかに包囲し、殲滅する予定だ。
本拠地が住宅街と離れた場所に建っているのは幸いだった。
「さて、ヤーセン子爵」
「はっ」
卑屈な笑みを浮かべながら、痩せた貴族が進み出る。
「ヒゲン侯爵の屋敷については、任せて良いのだな?」
「無論でございます。貴重な魔法使いをお貸しくださったこと、平に感謝いたします」
ヤーセン子爵の傍らには、無精髭の中年男が控えている。
ワイルドというよりだらしないといった風貌だ。
あまりやる気のなさそうな表情をしている。
「宰相殿よう」
「何じゃ、マーボウ」
マーボウと呼ばれた魔法使いは、無精髭をぼりぼりと掻く。
「相手はたかだか犯罪者一人だろ? で、兵士を100人ほど連れていくんだろ?」
「いかにも」
「なら俺はいらねえだろ?」
露骨にだるそうな声色だ。
宰相は内心で嘆息した。
魔法使いは言わずと知れた最強の駒ではあるが、いずれも個性的な面々が揃っている。
任務にそれほど忠実ではなかったり、やる気が欠けていたりと様々だ。
「マーボウ。これは陛下のご命令じゃぞ」
「わかってるがよぉ……」
マーボウは今度は、自分の髪をわしゃわしゃとかき混ぜる。
「伝えていなかったか?」
「あん?」
「これから相手をする暗殺者クロネコは、リンガーダ王国戦の際に魔法使いを単騎で打ち破ったほどの手練れじゃぞ」
「……マジか?」
マーボウの目が細まる。
「どんな魔法使いだったかは知らんが、事実じゃ」
「ほお……」
マーボウの表情に真剣味が表れる。
そして釣り上がる口元。
「いいぜ。俄然、やる気が出てきた」
「断っておくが、可能ならば捕縛するのじゃぞ。法に則って処刑するという手順を踏みたいからな」
「可能ならば?」
「そうじゃ」
「へっ」
マーボウは獰猛な笑みを浮かべる。
それを見て宰相は、もう一度嘆息した。
こいつは殺る気だ。
彼はいわゆる、戦争特化の魔法使いではない。
後方から広域殲滅魔法を放り投げるしか能のないタイプではなく、どちらかというと個人戦に秀でている。
そして個人戦に秀でた者同士の一対一ならば、魔法使いが負ける道理はない。
まして、100人もの兵士が同伴してヒゲン侯爵の屋敷を包囲するのだ。
いかな最強の暗殺者といえど、戦って勝てず、逃げ道もないとなれば、命運は決したも同然だ。
「ではヤーセン子爵も行くが良い」
「はっ。マーボウ、くれぐれも私の身を最優先で守るのだぞ」
「俺に指図するんじゃねえよ」
「ひっ、ひい」
ヤーセン子爵率いる別働隊も出陣した。
彼に指揮能力はないが、優秀な衛兵隊の隊長が指揮を取るので心配はいるまい。
「後は待つばかりじゃな」
宰相は踵を返すと、中庭から立ち去った。
これは戦争ではないし、時間のかかる作戦でもない。
それでも念を入れて、充分以上の戦力を投入した。
今日中には朗報が届くことだろう。
宰相はそれまで、自室で政務を片付けることにした。




