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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
35/41

愛に起因しない決断

 カラスのアパートメント。


「お見合い!?」


 クロネコの訪問を受けたカラスは、文字通り仰天した。

 今日のクロネコは彼女に物を頼む立場なので、わざわざ彼女の住まいまで足を運んだのだ。


「あ……どうぞ」


 カラスは動揺しながらも、ティーカップをクロネコの前に置く。

 そして一度深呼吸をすると、自身もテーブルに着く。


 当のクロネコはどこかうんざりした表情をしている。


「主題は見合いではなく、爵位の授与式だが」

「え、ああ……そうね」


 相槌を打つが、カラスにとっては逆だ。


 もちろん彼が爵位を授与されるのは大変喜ばしい。

 何といっても長らくの目標が達成されるのだから。


 しかしその代償として、見合い。

 つまりは自分の意中の人が、どこの誰とも知らない貴族の血縁と結婚してしまう。


「……」


 カラスは上目遣いにクロネコの様子を窺う。

 彼はあまり感情を表に出さないが、それでも歓迎している様子は見られない。


 恐らくこの見合い話は、彼にとってもいい迷惑なのだ。


 だが考えてみれば当然だろう。

 貴族の血縁と結婚したところで、クロネコにメリットはないどころか、不要なデメリットを抱え込むだけだ。


「それで、授与式に立会人として同席してほしいのだが頼めるか?」

「ええ、それは構わないけれど」


 貴族社会に詳しいカラスは、立会人制度について知っている。

 クロネコには婦人や親族がいないから、同伴する人物といえば、なるほどカラスあたりが適任だろう。


 むしろ彼が、こういうときに自分を当てにしてくれることが嬉しく、カラスは口元が綻んだ。


「それで……クロネコ、お見合いの話はどうするの?」

「それなんだが、何も授与式の直後に行う必要はないはずだ。性急すぎる旨をヒゲン侯爵に伝える」


 確かに侯爵は気が早い。

 それだけクロネコに首輪をつけておきたいのだろう。


「でも、クロネコ。今回のお見合いは断ったとしても、早いか遅いかの違いだけよ?」

「そうだな……」


 キャルステン王国法で貴族の婚姻が義務付けられている以上、いずれは結婚しなければならない。

 そこはクロネコも理解している。


「だが、適材を探す時間は必要だ」

「適材といっても、貴族の子女にあなたのパートナーが務まるとは思えないのだけれど」

「うむ……」


 クロネコが難しい顔をする。

 どうあっても結婚の必要があるのであれば、せめて弱点の度合いがマシな人物を選ぶしかない。


 ヒゲン侯爵にそのあたりを説明すれば、希望に沿う候補をピックアップしてくれるだろうか?

 多少は望みはありそうだ。


 侯爵にしても、他家と婚姻させて旨味がある近しい血縁の子女を、クロネコに差し出すはずがない。

 爵位としては最下位に当たる準男爵のクロネコにあてがうのは、自然と重要度の低い女になる。

 重要度が低いということは、つまりは価値が低く弱点になりにくいということだ。


「……」


 クロネコが思考に耽っている間、カラスも考えを巡らせていた。


 見合い話は驚いたが、これは彼女にとって大きなチャンスでもある。

 だがクロネコの説得に必要なのは、感情論ではない。

 彼は自分に恋愛感情を抱いているわけではないからだ。


 だから、必要なのは理屈。

 そしてそれ以上に、メリットの提示。


 カラスは膝の上で、ぎゅっと拳を握り締めた。

 努めて平静な声色を意識する。


「ねえ、クロネコ。あなたにとって一番マシになりそうな案があるのだけれど」

「何だ?」


 クロネコの問い返しに、カラスは小さく息を吸って吐き出す。


 このままいつまでも、叶わぬ想いを胸に秘めたまま年月を過ごすほど、カラスは恋愛に対して消極的ではない。

 彼女が求めているのは少年少女の甘酸っぱい恋ではなく、大人としての結果なのだ。


「授与式への同伴者は、通例として婦人であることは知っているわよね?」

「ああ。だが俺は既婚者ではない」

「そうね。だから私が同伴するのだけれど、そこで侯爵には私のことを婚約者として紹介したらどうかしら」

「……婚約者?」


 カラスは頷く。

 平静を装っているが、彼女の心拍数は確実に普段よりも高い。


「王国法で貴族の婚姻は義務付けられているけれど、実のところ結婚相手の指定はないわ」

「……。……なるほど」


 貴族は貴族と結婚するのが当たり前であり、慣例だ。

 その当たり前すぎる概念ゆえに、貴族の結婚相手は貴族でなければならないという規定は、公式には存在していない。

 そんなものがなくとも、貴族が平民と結婚する例などほぼないからだ。


 貴族の婚姻義務とは、いわば貴族の血を後世に継承させるための血統主義の産物である。

 貴族以外の血を混ぜてはいけないという強固な概念が根底にある限り、いちいち規定を設けるという発想がないのだ。


「規定に反していない以上、私が婚約者で何の問題もないし、ヒゲン侯爵も強く異を唱えることはできないわ。もちろん反対はしてくるでしょうけれど」

「だがいくら反対したところで、俺たちの婚姻を強制的に反古にすることはできない」

「ええ。それに、私との婚姻であれば、どう? 貴族の子女と結婚するより、少なくともマシではない?」

「……」


 クロネコはカラスを見つめる。


 カラスが自分に好意を持っていることは承知していたが、それでも彼女と結婚するという発想はなかった。

 だが、改めて考えてみるとどうだろう。


 彼女は同じ組織に属しており、ハゲタカのように家族に対して職業を偽る必要がない。

 戦闘力でいえばもちろん足手まといだが、代わりに情報員としての価値がある。


「……」


 伴侶としての理想をいうならば、ヒツジ先生だった。

 暗殺者としての技量はクロネコより上であったし、戦闘力も申し分ない。

 そして互いに、恋愛感情を重視しない。


 だがすでにいない人物だ。

 どれだけ山札からカードを引いても、もうヒツジ先生は永遠に手札に来ない。


 では今の自分の手札には、誰がいるか。

 カラスだ。


 クロネコはもう一度、黒曜石の瞳でじっとカラスを見つめる。


「……な、何?」


 視線が強い。

 カラスはもじもじした。


「察していると思うが、俺はお前に好意を抱いているわけではない」

「……ええ」


 口に出して明言され、カラスはわかっていても落胆した。


「お前は俺のように、感情を廃して判断を下せるタイプではない」

「……そうね」

「それを踏まえて、お前は、自分を愛していない男との結婚で満足できるのか?」


 クロネコの問い。

 カラスにとっては酷な質問だ。


 俺はお前を愛していない。

 俺はお前を、愛ではなく利害に基いて選択する。

 お前の想いは一方通行だ。


 それでいいのか?


「……」


 カラスの理想ではない。

 相手から愛され、自分も愛しての結婚がベストに決まっている。


 しかし同時に、カラスは初心な少女ではない。

 結婚相手にひたすら理想を求め続ければ、30代になっても結婚できないという現実が待っていることを知っている。

 このキャルステン王国では、大半の人は遅くとも30代までには家庭を持っており、40歳以上で独身というのは割合でいえばほぼゼロだ。


 では結婚相手として改めて考えたとき、クロネコはどうか。


 現時点で相手からの愛はない。

 だが自分は好きであり、これがある意味で最も重要だ。


 また、あえて他にも要素を挙げるなら、裏社会限定であるものの名声もある。

 金もある。

 仕事の腕もいい。


 自分の命に抵触しない限り、ある程度は義理も重んじる。

 浮気の心配もない。


 仕事に関しても、互いに充分に理解がある。

 カラスは自分の仕事に誇りを持っているし、彼も「女は家を守っていれば良い」などと言い出す価値観の持ち主ではない。


 容姿は普通だが、むしろ暗殺者という職業柄、顔は平凡なほうがいい。


 それに……。


「昔のクロネコなら絶対、それでいいのか?なんて私の意思を確認してくれなかったわ」

「……そうか?」

「ええ。あなたは、少なくとも私から見れば、良い方向に少しだけ変わった……気がする」


 クロネコに自覚はない。

 だが、カラスは彼のことをよく見ているので、彼女がそう言うのであれば実際に少し変わったのかもしれない。


 とはいえ、それも良し悪しだ。

 仕事に影響が出るような変わり方は、決してあってはならないと自分を戒める。

 クロネコという人物の根幹は、あくまで暗殺者なのだ。


「だからね、今はそうでなくても、結婚後にあなたの心を変えることができると思ってる」

「つまり?」

「私のことを好きにさせてみせるってこと」


 カラスが片目を瞑る。


 それを見て、クロネコは内心でカラスの評価を少しだけ上げた。

 彼女はクロネコが考えていたよりも、前向きな結果を目指す思考の持ち主だ。


 現状維持や妥協ではなく、上を目指して現状よりも高い利益のために努力する姿勢。

 これは職業意識としても大切なもので、クロネコにとっては好感が持てるものだ。


 クロネコは決断した。

 今後もヒゲン侯爵から見合い話を持ち込まれないためにも、事は早いほうがいい。


「カラス」

「はい」


 クロネコの真っ直ぐな視線に、カラスも自然と背筋が伸びる。


「俺と結婚してくれ」


 それは、待ち望んだ言葉。

 たとえ愛に起因しない決断であったとしても、彼女は意中の人に選んでもらえたのだ。

 他の誰でもなく、自分を。


 カラスの胸がじんわりと暖かくなる。

 得も知れぬ感情が沸き起こり、目元に薄っすらと涙が浮かぶ。


 ああ……。

 カラスは実感した。

 自分は今きっと、幸せなのだ。


「……喜んで」


 カラスは目を潤ませながら微笑んだ。

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