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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
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幸せになる権利

 キャルステン王国、王城。

 その一角に宰相の執務室がある。


「で、ヤーセン子爵。話とは何かね? 儂は忙しいのだが」


 中年の宰相が、執務机に肘をついて気だるげに問いかける。


「はい、それなのですが」


 痩せた貴族――ヤーセン子爵が、卑屈そうな笑みを浮かべて揉み手をする。


 宰相は政務の最高権力者だ。

 本来であれば子爵クラスの直談判など受け付けない。

 しかし今回は、ヒゲン侯爵という大物貴族の進退に関わる問題だと聞いて、こうしてわざわざ執務室まで招いたのだ。


「まずはこれを」


 ヤーセン子爵が書類を差し出す。

 それに目を通し、面白くなさそうに鼻を鳴らす宰相。


「研ぎ師職人のクロネか。こやつなら知っておる。珍しくヒゲン侯爵が爵位を推薦した平民だろう」

「はい、陛下の証印も入っております」

「他ならぬヒゲン侯爵の推薦だ。陛下としても問題ないと判断されたのだ。それが?」


 先を促す宰相に、ヤーセン子爵は唇を歪める。


「その研ぎ師職人クロネは、実は犯罪者なのです」

「ふむ……。まあ、程度問題であろう」


 貴族の中にも、例えば酔ったはずみに犯罪を犯すような人物はいる。

 そうでなくとも貴族は別に聖人君子ではない。

 ヒゲン侯爵の推薦とあらば、些細な部分には目を瞑っても構うまい。


 しかしヤーセン子爵は揉み手を早める。


「失礼ながら……宰相は、暗殺者クロネコのことをご存知で?」

「……無論だ」


 表立っては口に出せないが、暗殺者ギルドの存在はこの国の上級貴族にとって暗黙の了解だ。

 そのギルドの最高戦力であるクロネコに、間接的に世話になった貴族も多い。


 誰も話題にはしないものの、最強の暗殺者クロネコの名は、一部の上級貴族の間では有名だった。


「ヤーセン子爵、まさか?」


 子爵はにんまりとした。


「そのまさかでございます。こちらが、研ぎ師職人クロネの裏を取った身元調査の書類になります」

「……むう」


 書類に目を通した宰相は、小さく唸る。


 この書類だけでは、研ぎ師職人クロネと暗殺者クロネコが同一人物であるという断定まではできない。

 しかしこれはひとえに、ヤーセン子爵の調査能力が、暗殺者ギルドの隠蔽能力に対して不足しているせいだろう。

 いやしくも暗殺者ギルドの保護下にある構成員の全貌を、子爵クラスの調査で暴けるとは思えない。


「軽犯罪者程度であれば見逃すこともできましょうが、この人物は連続殺人犯です。それもキャルステン王国史上で最大の」

「……この両者が同一人物であればな」

「はい。しかしヒゲン侯爵ほどのお方が、あろうことか連続殺人犯に爵位を推薦したとなれば……」


 ヤーセン子爵の言葉に、宰相は苦々しい顔をする。


 捕まれば縛り首確定の重罪人に貴族の位を与えるなど、決して許されることではない。

 彼のおかげで利益を得た貴族も多かろうが、それとこれとは話が別だ。


 ヒゲン侯爵がどういった経緯で、連続殺人犯に爵位を推薦したのかはわからないが、侯爵にはお気に入りの人物を贔屓する悪癖がある。

 仮にそうであるならば、暗殺者クロネコはよほど上手く侯爵に取り入ったのだろう。


 そしてヤーセン子爵の情報がすべて本当であった場合、キャルステン王国でも過去に類を見ないほどの大問題に発展する恐れがある。


「わかった。子爵の調査だけでは断定できぬから、こちらで改めて身元を洗う」

「その結果、私の持ち込んだ情報が事実であった場合は……?」


 卑しい笑みを深めるヤーセン子爵を見て、宰相は内心で嘆息する。


 ヤーセン子爵はヒゲン侯爵の、いわば腰巾着のようなポジションにいたはずだ。

 しかし詳細まではわからないが、何らかの失敗を咎められ、ヒゲン侯爵の不評を買ったと聞いている。


 つまりヤーセン子爵は、ヒゲン侯爵の下にいても、これ以上甘い汁を吸えないと判断し、侯爵を見限ったのだろう。

 このコウモリ貴族が、と宰相は胸中で侮蔑した。


 とはいえ、これはヤーセン子爵に限った話ではないことも宰相はわかっている。

 大半の下級貴族は少しでも多くのおこぼれに与るため、誰の下に付けば最も得をするか、日々考えを巡らせているのだ。


「よい。ヤーセン子爵の情報が真実であったならば、大問題を未然に防止できたことになる。相応の功績は認められるべきであろう」

「はっ、ありがとうございます」


 ヤーセン子爵が頭を下げる。


 子爵は心の中で笑いが止まらなかった。

 自分を貶めたヒゲン侯爵を失脚させ、そればかりか王国史上でも類を見ない問題の解決に一役買うことで、宰相の覚えも良くなる。


 侯爵からは、クロネコにはもう手を出すなと厳命されていたが、残念ながらねえヒゲン侯爵、もはやあなたの指示に従う気はないんですよ……。

 何せ侯爵よりも宰相の下に付いたほうが、実入りが大きそうなものでねえ。

 もしかするとこの功績を認められて、子爵から伯爵に栄進なんてことも……へっへっへ。


 そんな子爵の胸中を察して、宰相は、今度は露骨にため息を付いた。


 私利私欲のために面倒な話を持ってきてくれたものだ。

 裏の話を裏のまま留めておいてくれれば、余計な労力を割かずに済んだものを。


 しかしこうして問題が提言されてしまった以上、放置しておくわけにもいかない。

 速やかに研ぎ師職人クロネの身元を、宰相の調査能力をもって洗い出し、結果次第では陛下のお耳に入れる必要がある。


 そして陛下のお耳に入るということは、キャルステン王国そのものが問題の対処に乗り出すということだ。


 だが、これはある意味で相応の報いでもあろう。

 罪なき数多の命を奪い続けた連続殺人犯。


 宰相は一般的な倫理と常識に照らし合わせて、こう考える。

 多くの不幸を量産してきた重罪人に、幸せな結末を享受する権利などないのだ。

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