授与式の招待状が届いた
クロネコがギルドの食堂で朝食を取っていると、カラスがやってきた。
「ハロー、クロネコ。同席いい?」
「ああ」
カラスは以前にもそうしたように、さり気なくクロネコの前に湯気立つコーヒーカップを置く。
彼はそれを自然に受け取る。
周囲の女性情報員が、そのやり取りを見てため息をつく。
クロネコは仕事の腕前と稼ぎの良さから、専ら女性情報員たちに人気があったが、彼女らから見てもクロネコとカラスはお似合いのペアとして映っていた。
「結局、マナちゃんは始末しなかったのね? 私としては嬉しいわ」
「お前もハゲタカには世話になっていたからな」
「それもあるけれど、あなたにもちゃんと人間らしい感情があったことに対してよ」
カラスの発言に、クロネコは程よく焦げ目の付いたソーセージを齧りながら半眼を向ける。
「え、何……。そのお前は何もわかっていないと言いたそうな目は」
「ハゲタカへの義理を多少なりとも交えたことは否定しないが、主な判断材料はそこではない」
「……そうなの?」
カラスは目をぱちぱちする。
彼女としてはマナを生かしておくメリットが思いつかない。
「物事は常に、2つ以上の側面から判断する必要がある。視点が偏るとろくなことがない」
「つまり?」
「生かしておくメリットはないが、殺すことにより生じるデメリットがあった」
仮にマナを始末した場合、家族4人のうち父親と娘が連続して死亡することになる。
たとえ事故死を装ったとしても、残された家族は当然ながら事件性を疑い、憲兵に通報することだろう。
もちろんクロネコや暗殺者ギルドが憲兵の捜査に引っかかる可能性は低いが、それでもリスクはゼロではないし、また捜査が長引けば行動を制限される羽目になる。
それをカラスに説明すると、彼女は人差し指を立てた。
「それなら、家族全員を始末したらどうかしら。あまり考えたくはないけれど……」
「父親に続いて、一家全員が不慮の事故死か? それこそ事件性があると主張しているようなものだ。憲兵は本腰を入れて捜査を始めるだろうな」
「そっか……。そうよね」
カラスは納得したが、反面、少し残念にも思った。
メリットとデメリットを冷静に考慮するのは彼の強みだが、こういうときくらい感情で判断してもバチは当たらないんじゃないかしら……。
「それで」
コーヒーを啜りながらクロネコが口を開く。
「何か用事があったのか?」
「あっ、そうそう。マスターが呼んでいるわ」
「そうか」
クロネコはきちんとコーヒーカップを空にしてから席を立つ。
カラスは立たない。
彼女は呼び出されていないからだ。
「コーヒー、美味かった」
「ええ」
カラスはにこりとして、立ち去るクロネコに手を振った。
そして胸中で嬉しく思った。
彼女の気のせいでなければ、彼は当初より少しだけ、カラスに対して気遣いを見せてくれるようになった。
ただ願わくば、理屈と感情をもう少しバランスよく表に出してほしいとも思った。
今の彼は、前者に偏りすぎなのだ。
しかし暗殺者としては感情の配分が少ないからこそ優秀なので、彼女としては悩ましいところでもあった。
◆ ◆ ◆
「ハゲ」
「おう、クロネコ」
マスターの部屋を訪問したクロネコは、ハゲのマスターに出迎えられた。
「何度も言うがな。俺は好きでハゲてるんじゃねえからな」
「用件は?」
「全く、可愛げのねえ奴だな」
そう言いながらもマスターはクロネコのことを気に入っていた。
もちろんギルドに多くの利益をもたらしているからだ。
「お前、上手くやったようだな。ヒゲン侯爵から手紙が届いてるぜ」
「俺の自宅じゃなく、ギルド宛に送ってきたのか?」
「そりゃあ侯爵クラスの貴族が、うちの存在を知らないはずはねえからな」
クロネコは手紙を受け取って封を切る。
「ふむ……」
内容は簡単に言えば、爵位の授与式の招待状だった。
本来であれば、爵位の授与は王城にて、国王から直々に行われるのが通例だ。
しかしクロネコの場合はそうはいかないので、ヒゲン侯爵が代理で行うらしい。
場所は彼も一度忍び込んだことのある、侯爵の屋敷。
「ハゲ」
「うるせえ。何だ」
「一名までの同伴者を許可するとあるが、これは何だ?」
「ああ。授与される側の見届人を同行させてもいいぜってことだろう」
「なるほど」
見届人。
必要だろうか?
「……」
必要だろう。
侯爵の性格からいって可能性は低いだろうが、授与式の参加者がヒゲン侯爵の身内のみだった場合、侯爵はその気になれば爵位を授与されたという事実を揉み消すことができる。
逆に言えばそれができないように、同伴者を可とする公正な規定が存在しているのだろう。
「ハゲ」
「うるせえな」
「爵位の授与式の同伴者といえば、通常は誰を同行させるものだ?」
「お前な、少しは貴族の慣例を勉強しとけよ」
「うむ……」
その通りだ。
クロネコは貴族社会に微塵も興味はないが、形だけでも貴族になる以上、これからはそうも言っていられない。
面倒ではあるが一定のルールとマナーは身につけるべきだろう。
「貴族の式典の同伴者ってのは、まあ大体が婦人だな。最低でも近しい親族だ」
「既婚ではないし、親族もいないのだが」
「知らねえよ。カラスでも同行させておけ」
「そうだな。頼んでみよう」
実際のところ、カラスくらいしかアテがない。
クロネコは胸中で嘆息する。
人付き合いの少なさがこんなところで裏目に出るとは、彼自身、予想していなかった。
「それからもう一通だ」
「もう一通?」
クロネコは怪訝な表情で封筒を受け取る。
これもヒゲン侯爵からだ。
内容を読む。
「……は?」
授与式後の見合いについて。
見合いについて。
見合い?
「ハゲ。何だこれは」
「何々……。ぶわっはっはっは! こりゃあ傑作だ!」
「おい」
「はっはっはっは! クロネコ、お前、ついに結婚するのか」
「おい」
マスターはひとしきり笑うと、咳払いをした。
クロネコは憮然としている。
「こりゃああれだろ。貴族の義務を果たせってことだろう」
「婚姻が義務なのは知っているが、気が早すぎる」
「年齢で考えれば、むしろ遅えよ。しかし、そうさなあ……。侯爵はなかなかのやり手じゃねえか」
「どういうことだ?」
貴族社会に疎いクロネコにはピンとこない。
「侯爵はあれだろう。自分の親類で余ってる女を、お前とくっつけとこうって腹だろうさ」
「……なるほど」
その説明でクロネコは理解した。
つまりは、他の貴族と婚姻させても旨味のない余り物の親族を、クロネコと結婚させることで、彼を自分の身内にしておきたいのだ。
言い方を変えれば、キャルステン王国最強の暗殺者に首輪をかけて、自分が鎖を握っておきたいのだ。
「まあお前は孤児だから、結婚するとなりゃあ侯爵側の戸籍に入るしかねえからな」
「面倒な……」
クロネコはうんざりした。
彼は貴族として活動する気は一切ないのだが、早くも貴族社会のしがらみの一端を垣間見た気がする。
「それで、結婚するのか?」
「まさか」
「だが貴族の仲間入りをする以上、婚姻は必ずついて回る問題だぜ。キャルステン王国法で義務と規定されているわけだからな」
マスターの言葉に、クロネコは苦虫を噛み潰したような顔をする。
彼の本業は暗殺業だ。
所帯を持てば、仕事にマイナスの影響が出る可能性が高い。
自ら進んで弱点を抱えるなど、職業意識の高いクロネコが好むところではない。
しかし表の身分で貴族となるならば、貴族としての義務を放棄するわけにもいかない。
義務を果たさない人間は、権利を剥奪されても文句を言えないからだ。
そして爵位を剥奪されれば、土地の保有も難しくなるだろう。
「まあ……。授与式までに考えておく」
何といっても、彼のこれまでの人生で、結婚を検討したことなど一度もなかった。
即断即決を常とする彼としては甚だ不本意ではあるが、クロネコは判断を先延ばしにすることにした。




