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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
31/41

カラスのデート・後編

「クロネコ。今日はどうするの?」


 カラスは弾んだ口調で尋ねた。


 意中の人との待望のデート。

 これで胸がときめかないはずがない。


 とはいえ相手はクロネコだ。

 今日一日のデートプランをちゃんと考えてきているとは思えない。


 しかし抜かりはない。

 カラスのほうできちんとプランを準備してある。

 まずは人気の劇場で観劇をし、次に小洒落たレストランで昼食を――。


「任せておけ」

「そうよね……ええっ!?」


 カラスは驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げてしまった。

 半眼で見つめてくるクロネコ。


「不満か?」

「い、いえ。まさか」


 デートプランを考えてきた?

 無愛想で女どころか他人に興味のなさそうなクロネコが?

 明日はナイフの雨でも降るのかしら?


 いやしかし、とカラスは気を取り直した。


 クロネコは職人気質が強く、借りはきちんと返すタイプだ。

 だからこそデートについても、カラスを真剣に楽しませようとしてくれているのだろう。

 昨晩はきっと、普段は縁のない恋愛系の雑誌を片手に、不慣れなデートプランをあれこれ模索してくれたに違いない。


 そんな彼の様子を想像し、カラスはくすっと笑った。


「何だ?」

「ううん。そういうことなら、今日はエスコートを期待しても?」

「うむ」


 自信満々なクロネコを見て、カラスは自分のデートプランを路傍に投げ捨てた。

 恐らくは不慣れなクロネコのプランより、彼女が考えてきたプランのほうが優れているだろうが、そこで自分の意見を押し通しては淑女失格である。


 それに何より彼女は、クロネコが自分のために手間を掛けてくれたという事実が嬉しかった。


「では行くぞ」

「ええ」


 クロネコが歩き出す。

 カラスは彼の半歩後ろに並ぶ。


 もっと若いティーンズのデートなら、ここではしゃいで手の一つでも繋ぐところだが、クロネコにそういうのは似つかわしくない気がする。

 ゆったりと落ち着いた一日を、存分に楽しめばよいのだ。


「……」


 カラスはちらりと横を見る。

 最強の暗殺者その人が、無表情で歩いている。


 すらりと背筋を伸ばしたカラスと違い、クロネコはやや猫背気味だ。

 これはもう職業病と言っていいだろう。

 暗殺を生業とする者は例外なく、歩くときはこういう姿勢になる。

 身を低くし、足音を立てない挙動が身体に染み付いているため、日常生活でもその癖が抜け切らないのだ。


「……」


 2人は連れ立って歩く。

 会話はない。


 ここは大通りだ。

 他のカップルたちが楽しく会話を弾ませている中で、自分たちだけが無言でいる様は、ある意味不自然にも思える。


 しかしカラスに取り立てて不満はない。

 クロネコが無駄な雑談に興じるタイプでないことは重々承知しているし、無言だからといって、決して彼が自分を蔑ろにしているわけではないことを知っているからだ。


 それにこうして意中の人と並んで歩いているだけでも、どこか満ち足りた気分になってくる。


「着いた」


 思考に耽っていたカラスは顔を上げた。


「えっ」


 劇場だった。

 この王都で今一番、人気のある大型の劇場だ。


「……クロネコ?」

「問題があったか?」

「ううん。そんなことは」


 問題どころか、むしろデートの王道だ。

 付け加えるなら、カラスは劇を観るのが好きだ。

 ただクロネコが、王道かつ彼女の好みをしっかりと押さえてきたのが予想外だったのだ。


「でも、クロネコ。チケットは?」

「2枚ある」

「よく取れたわね……。ここって人気あるのに」

「金を払えば、世の中の大体のものは手に入る」


 その通りだ。

 そしてクロネコはお金持ちなのだった。


 ふと、クロネコがカラスに向かって腕を差し出した。


「……?」


 小さく首を傾げるカラス。


「エスコートを希望じゃなかったのか?」

「……! ええ」


 カラスは差し出された腕に手を添える。

 そのまま彼に身を寄せて、劇場に入場していく。


 厳密にいえばこれは貴族のマナーなので、庶民の自分たちには似合わない。

 だがクロネコもそれくらいはわかっているだろう。

 そのうえで彼は、カラスの希望通りリードしようとしてくれているのだ。


 嬉しい。

 それに彼に触れていると、胸の鼓動が早くなる。

 カラスは自分の頬が熱くなっていることを自覚した。




 劇の内容は新作のミステリーだった。

 デートの際に観るチョイスとしてはどうなのだろうとカラスは思った。


 でもまあ面白かったからいいか。

 デートだからといって、彼女は別に、恋愛物ばかりを偏重して好んでいるわけでもない。

 結局、観劇なので楽しめることが一番なのだ。


「クロネコ。楽しかった?」

「ああ。謎解きがスマートで、余分な派手さに頼らない演出がよかった」

「そうよね。派手なほうが大衆受けはするんでしょうけれど」

「だが本来、ミステリーに必要な要素はそこではない」


 クロネコと会話が弾んでいる。

 なるほど、彼はこうした方向性が好きなのか。

 カラスは一つ、彼のことに詳しくなった。


 そして彼が自分と他愛のない雑談をしてくれているという事実に、また幸せな気持ちになった。

 クロネコが趣味について他者と雑談に興じるところなど、ついぞ見たことがなかったから。


「そろそろ昼食にしようと思うが」

「ええ。お店は?」

「予約してある」


 劇場を出てからも、カラスはずっと手をクロネコの腕に添えている。

 特に拒否されていないし、嫌がっている様子もない。

 カラスはご満悦だった。


 到着した先は、落ち着いた雰囲気のレストランだった。

 華美な装飾のないシックな店内。


 若いカップルより、どちらかというと老夫婦が訪れる店といった風体だ。

 きらびやか場所を好まないクロネコらしいチョイスといえよう。


 そう、夫婦……。

 クロネコと自分は、もしかして夫婦に見えているのだろうか?

 ということは自分は将来、クロネコと結ばれるのだろうか?


 カラスは飛躍した想像で頬を赤らめる。


 どうしよう。

 まだ付き合ってすらいない身で、気が早いのは承知している。

 しかし仮に彼と結婚するような未来があるのなら、それは何と素敵なことだろう。


「……」


 テーブル席に着く2人。

 カラスは正面のクロネコの顔を、上目遣いに窺う。


 いつもと変わらぬ無表情……いや、普段よりどこか柔らかい表情をしているようにも見える。

 観劇に満足したというのもあるだろうが、自分とのデートを、少なくとも彼なりに楽しんでくれているのではなかろうか。


「どうした」

「……ううん。私、今、楽しいわ」

「そうか」


 ぶっきらぼうな受け答え。

 それすらも普段とは違ったものに聞こえて、カラスはふふっと笑った。


 好きな人と幸せな時間を共有できている。

 彼女の胸は暖かいもので満たされていた。


 ランチの内容は魚介類を中心としたコースだった。

 海に面していないこのキャルステン王国において、海の幸は決して安価な食材ではない。


 しかしカラスはもちろん、値段を問うような野暮はしない。

 殿方のリードに口を挟むような真似は、淑女としては決してするべきではない。


 それにシェフの腕が良いのだろう、このバター風味のムニエルなど絶品だ。

 海からの輸送である以上、魚介類は肉類と比べて味が落ちるのが通例だが、この店の料理は美味だ。


 また来よう、とカラスは思った。

 もし叶うなら次回もクロネコと2人で。


「いいお店ね」

「魚料理ならここは間違いない」

「本当、美味しいわ」

「そうか」


 クロネコがこうしたレストランに通い詰めているとは考えにくい。

 恐らくは、今日のために事前に下調べしてくれたのだ。

 他ならぬカラスのために。


「……どうした?」

「いえ」


 思わずにやけそうになった口元を引き締める。

 クロネコの前で、みっともない顔を見せるわけにはいかない。


 ああ、でも、嬉しいなあ。

 いきなり結婚は話が飛躍しすぎているけれど、もし自分が告白したら、クロネコは良い返事をくれるだろうか。

 果たして恋人にしてくれるだろうか……。


「ごちそうさま」

「満足したか?」

「ええ、とっても。ありがとう、クロネコ」

「ああ」


 レストランを出た2人は、その後ものんびりと町を巡った。

 カラスはもう少し大胆に、彼の腕に自分の腕を絡める。


「……」


 反応を窺うが、拒否はされなかった。

 クロネコの表情を見ても、別段うんざりとした様子もない。

 だからカラスは彼と腕を組んだまま、ゆったりと通りを歩く。


 カラスは多幸感という言葉を知ってはいたが、今日まで実感したことはなかった。

 そして今日ようやく、理解した。

 身体中にじんわりと広がっているこの感覚が、きっと多幸感なんだ。


 でも欲を言うなら、カラスの形の良い胸が彼の腕に当たっていることについて、少しくらい反応してくれてもいいんじゃないかしら……。

 意中の人に対して自分のプロポーションが武器にならないことは、カラスとしては少々遺憾であった。


「ねえ、クロネ……きゃっ」


 クロネコが突如、カラスの腰を抱いて、建物と建物の間の細い路地に連れ込んだ。


「く、クロネコ……?」


 細い路地なので、2人の身体は密着している。

 すぐ目の前に、彼の顔がある。


 カラスはドギマギした。

 自分の頬が熱を持っているのがわかる。


 クロネコが自分を見下ろしている。

 まるで夜空のような、どこまでも吸い込まれそうな瞳。

 そしてカラスの目に映る、彼の唇。


「クロネコ……」


 彼の顔がゆっくりと近づいてくる。

 カラスはそっと目を閉じた。


「……」


 カラスの唇に、温かいものが触れた。


「ん……」


 温かいものが……。


「……?」


 カラスは目を開けた。


 クロネコが人差し指を立て、カラスの唇に触れている。

 静かにというジェスチャーだ。


「……」


 あれ、キスは……?

 だが口に出して聞けるはずもなく、カラスは素直に従う。


 クロネコはしばし通りを窺っていたが、つとカラスから離れた。


「すぐ戻る」


 彼女の答えを待たず、クロネコは姿を消した。


「……」


 ふう、とカラスは息を吐き出した。


 おかしいとは思ったのだ。

 あのクロネコが、自分からキスなどしてくれるはずがない。

 でも、少しくらい期待してもいいじゃない……。


 カラスが大いに落胆していると、クロネコが戻ってきた。


「本当にすぐ戻ってきたのね……あら?」


 クロネコは小脇に少女を抱えていた。

 ぐったりしているところを見ると、気絶しているのだろう。


「この子、どうしたの……え、マナちゃん?」


 カラスはクロネコよりハゲタカと親しかった。

 だから当然、彼が溺愛していた愛娘のこともよく知っていた。

 もちろん直接言葉を交わしたことはないが。


「数日前から、俺をずっと付け回している。放っておけばそのうちやめるだろうと思っていたが」

「もしかして今日も?」

「ああ。さっきからな」


 カラスはマナの顔を覗き込む。

 苦しんでいる様子はない。

 クロネコのことだ、速やかに気絶させて運んできたのだろう。


「放置しても諦めないとなると、このまま野放しにしておくわけにはいくまい」

「……そうね。極端な行動に走られてからでは、遅いものね」


 ずっと跡を付け回されているということは、クロネコの正体を露骨に疑われているということだ。

 ならば彼の言う通り、問題が発生する前に対処すべきだ。


 しかし。


「どうするの? この子、ハゲタカの娘だけれど……」

「誰の娘かは、この際関係ない」


 彼の言葉はもっともだ。

 裏の世界の人間が正体を探られている以上、私情を挟むべきではない。


 ただ一つだけ言えることがある。

 残念ながら、楽しいデートの時間はこれで終わりということだ。

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