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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第1章 ― 新人育成編 ―
3/41

暗殺の基本

 クロネコはギルドマスターの部屋を訪れていた。

 奥のデスクにはハゲのマスターが座っている。

 中年のいかつい男だ。


「おう、クロネコ。ご苦労だったな。相変わらず早い仕事だ」


 マスターが報酬の金貨が入った革袋を放ってくる。

 それを受け取るクロネコは渋い顔だ。


「ハゲ」

「何だ」

「モモのことだ」


 マスターは、ああと相槌を打った。


「そういえばモモンガを同行させたんだな。どうだった?」

「価値観の矯正に失敗しているように見えるんだが?」


 見習い暗殺者の多くは、まだ暗殺仕事に適した価値観や倫理観が備わっていない。

 だから一部の例外を除けば、見習い期間中に教育と称した価値観の矯正が行われる。


 例外とは、クロネコのように最初から矯正の必要がない狂人のことだ。


「しかしモモンガの奴も、見習いの卒業試験はきちんと合格しているんだぜ」


 卒業試験では実際に人を殺させる。

 暗殺者ギルドに舞い込んでくる依頼の中から特に難易度の低いものを選び、見習いに手を下させるのだ。


「モモはどんな奴を殺したんだ?」

「確か、老い先短い病気のじいさんだな。遺産の関係で、さっさと死んでほしいと親族から依頼があった」

「病気の老人か……」


 モモがどんな心情でその老人を手にかけたのか、クロネコには何となく想像がつく。

 病気と老いの苦しみから解放するという、いわば”善”い名分を自分に与えて、その老人にナイフを振り下ろしたのだろう。


 技術的にも見習いの水準は越えており、人を殺すこともできたため、モモの指導を担当した教官は問題なしと判断したに違いない。


 だが……。


「ハゲ」

「うるせえ」

「モモの奴はきちんと教育するつもりだ。しかし万が一、俺が適正なしと判断した場合は――」

「ああ。そのときはお前に任せる」

「ならいい」


 それだけ聞くと、別段長居する理由もないので、クロネコはさっさと退室した。





「クロネコ師匠!」


 ギルドを出ると、モモが待っていた。

 元気な仕草でぴしっと敬礼する。


「何か用か?」

「師匠をお待ちするのは弟子の役目です!」


 別に師弟関係ではないのだが、クロネコは好きにさせることにする。

 それに、考えてみればちょうどよかった。


「モモ」

「はいっ」

「一つ、訓練に行く」

「おお!」


 モモは目をキラキラさせた。


「走り込みですか? うさぎ跳びですか? それともいきなり模擬戦ですか? 何でもやりますっ」


 こいつは何か勘違いしている。

 クロネコは内心でため息をつきながら、モモを連れて移動した。


 この王都キャルステンブルグは大きな町だ。

 だからガラの悪い裏通りもそれなりの数がある。


 そうした地区に踏み込んで、更に歩く。

 程なくして、見るからに雰囲気の悪い酒場に到着した。


「し、師匠……。ここは?」

「酒場だ」

「それは見ればわかりますよぅ」


 モモはきょろきょろしている。

 ついでにびくびくしている。


 人を殺した経験があっても、ガラの悪い場所は怖いようだ。


「暗殺者の基礎を学ぶ訓練だ」

「が、がんばります……」


 クロネコは平然と酒場に入店する。

 モモは小さな身体を更に縮めながらついてくる。


 店内も雰囲気が悪かった。

 どうやらこの酒場はチンピラの溜まり場になっているようだ。


 その中で、店内の一番奥に一人の男が座っていた。

 やたらガタイのいいゴロツキだ。


「モモ」

「はいっ」

「あいつを倒して来い。一人でだ」

「え、えええっ!」


 モモは奥にいるゴロツキを見て、おろおろして、それから助けを求めるようにクロネコを見上げた。

 まるで子猫のようだ。


 クロネコはモモを落ち着かせるように、ゆっくりと頷いた。


「安心しろ。奴はキレやすいことで有名だ」

「どこに安心できる要素が!?」

「さっさと行け」


 うだうだしているモモの背中を、クロネコは蹴り飛ばした。

 モモは「うわわっ」とゴロツキの前に進み出た。


 目の前にゴロツキがいる。


 ただのゴロツキではなく、見上げるほどガタイのいいゴロツキだ。

 筋肉ムキムキだ。

 頬に入れ墨を入れている。


 つ、強そう……。

 モモは知らず唾を飲み込んだ。


 モモは新米とはいえ暗殺者だ。

 しかしケンカについてはあまり自信がない。

 体格も違いすぎるし、ケンカの実戦経験も差があるだろう。


 ど、どうしよう……。


 モモは後ろを振り返ったが、クロネコは他の客に紛れて静観している。

 当然だ。

 始まる前から手を貸しては訓練にならない。


 そう、これは訓練なのだ。

 他ならぬ師匠から与えられた訓練となれば、怖くてもやらなければならない。

 それにクロネコ師匠の期待に応えたい。


 モモはぐっと拳を握って覚悟を決めた。


「お、おいっ。そこの……」


 声をかけてから、どんな煽り文句にしようか悩む。


「そこの逆三角形!」


 ゴロツキはガタイがいいので上半身が逆三角形だった。


「あああァ!? 何だコラァ!」


 ゴロツキはいきなりキレた。

 モモの胸倉を掴み上げる。


「え……。うわわわっ」


 モモは驚いて足をばたばたさせた。

 この人キレるの早すぎだよ!?


「イキってんじゃねえぞゴラァァ!」


 ゴロツキはモモの横っ面をぶん殴った。

 胸倉を掴み上げられているため、持ち前の身軽さで回避することもできない。


「かは……っ」


 モモの頭がぐらぐらと揺れる。


「何とか言えやこの豆粒がゴルァァ!」


 もう一発殴られて、モモは意識が飛びそうになった。


 こ、この人強い……!

 とても勝てそうにないよ……。


 クロネコ師匠、ごめんなさい……。


 モモが無防備に殴られる様子を見て、クロネコは満足した。

 この訓練のかいがあったし、必要なことも知れた。


 後はもう時間の無駄なので、クロネコはゴロツキに近づいた。


「あああァ!? なごぶっ!」


 クロネコは相手に喋らせることなく、ただゴロツキの鳩尾に拳を叩き込んだ。


「うげえ……!」


 前のめりになるゴロツキの顎に、続けてアッパーを炸裂させる。

 ゴロツキは仰向けに倒れて昏倒した。


「し、師匠……」


 頬を腫らして座り込んでいるモモを、クロネコはひょいと肩に担ぎ上げた。


「うわわわ……」

「訓練は済んだ。帰るぞ」

「は、はい……」





 日が落ちた帰り道。

 モモはクロネコの肩に担がれながら、しゅんとしていた。


「師匠、ごめんなさい」

「何がだ?」

「負けちゃいました……」


 モモはクロネコの訓練を達成できなかったことを恥じていた。

 そんな彼女に、クロネコは首を振る。


「別に負けてもいい。いや、よくはないが、今回の問題点はそこじゃあない」

「え……?」


 今回は暗殺者としての基本、それも技術以前の部分でモモに欠けている点を理解させることが主題だ。

 勝敗はどうでもよかった。


「なぜ負けたかわかるか?」

「うぅ……。私が弱かったからです」

「違う」

「えっ」


 クロネコはゆっくりと言い含めていく。

 理路整然と理解させる必要がある。


 身体と理屈の両方で覚えることが、物事を身につける一番早い方法なのだ。


「何発も殴られたな?」

「はい」

「なぜ殴られた?」

「それは、胸倉を掴まれて避けられなくて……」


 クロネコは頷く。


「なぜ胸倉を掴まれた?」

「声をかけたらいきなり掴まれて……」

「なぜ声をかけた?」

「えっ、だって」

「俺は何と伝えた?」

「あのゴロツキを倒せって……」


 そこでモモは言葉を止めた。

 クロネコが何を言わんとしているか気づいたのだろう。


「……戦わないで、不意打ちをすればよかったんですか?」

「逆に、わざわざ戦う必要があったか?」

「……いえ」


 モモはクロネコの言葉を、口内で反芻する。


「戦う必要は……全然、なかったです」

「そうだ。暗殺の基本は、相手に何もさせず先手を取ることだ」

「はい」

「戦うな。構えさせるな。喋らせるな。相手が行動を起こす前に、こちらの行動を終わらせろ。暗殺はそれが全てだ」


 もちろん、そうできない状況はいくらでもある。

 だがそれでも、先手を取ることは暗殺者にとって技術以前の基本だ。


 そして先手を取ることの重要性は、残念ながら見習い期間では、実体験として身に付けることができない。


「私は、先手を取ることがどれくらい重要かわかってなかったんですね」

「頭でしか理解していなかったのだろう。だがこれで、身体にも叩き込むことができたな?」

「はい」

「極端な話、暗殺者に戦闘技術などいらん。戦わざるを得ない状況に陥ったら、その時点で仕事は失敗だと思え」

「はい、師匠!」


 モモは尊敬の念が余って、担がれているクロネコの身体にぎゅっとしがみついた。

 痛い思いはしたが、これ以上ないほど理解できた。


 スパルタではあっても、やはりクロネコ師匠の指導は本物だ。

 この人についていけばきっと一流になれる。

 一流になって、たくさんお金を稼ぐのだ。


 でもできれば、もう少し優しく指導してくれると嬉しいなぁと、痛む頬を押さえながらモモは思った。

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