決闘
「いい場所だな」
小高い丘の上から町並みを見下ろし、クロネコは素直な感想を述べる。
「そうだろう。ワシの自慢の別荘だ」
ヒゲン侯爵は鷹揚に頷く。
相手が犯罪者であっても、褒められて悪い気はしないようだ。
今日クロネコは侯爵に呼び出されて、彼の別荘を訪問していた。
もちろんバカンスに来ているわけではない。
決闘の場として指定されたのが、この別荘だったのだ。
「ついてくるがよい」
ヒゲン侯爵に連れられて別荘の裏手に回り込む。
そこは決闘場になっていた。
地面に大きく円が描かれ、土はきちんと踏み固められている。
そして円の中心には、ご丁寧に開始線が2本引かれている。
更には見学用だろう、造りのよいベンチがいくつも据え付けられている。
「すでに決闘が廃れた昨今、決闘場の手入れを欠かしていないのはワシくらいのものよ」
侯爵が誇らしげに自身の髭を弄る。
「さすがでございます、旦那様」
付き従う老執事が頭を垂れる。
「侯爵。立会人の貴族がいないようだが?」
クロネコが疑問を投げかける。
彼が事前に予習したところによれば、公正を期すために第三者の貴族が立会人になるのが習わしだそうだ。
「ふん。この決闘を公にするわけにはいくまい」
「俺の身分の問題で?」
「左様。だからこやつを今回の立会人として据えることにした」
侯爵が顎で示すと、老執事が折り目正しくお辞儀をする。
「クロネコ様、どうぞよろしくお願いいたします」
自分の屋敷の執事が立会人。
あまり公正ではないように思えるが、ヒゲン侯爵の性格を考えれば心配はいらないだろう。
侯爵は貴族の決闘という文化を大切にしている。
それを自らの不正で汚すような真似はするまい。
「武器はこちらを」
老執事が2本のレイピアを差し出す。
どちらも同じものだ。
「先に選んでも?」
「よかろう」
武器の選定は、目下または格下の者が先に行うのが通例だ。
これもクロネコは予習通り、先にレイピアを手に取る。
戦う前から手順を誤り、侯爵を不快にさせるのは得策ではない。
決闘で勝利を収めるのは最低条件だが、ヒゲン侯爵の心象を損ね、嫌われてしまっては後々困ったことになる。
クロネコは手に持つレイピアを何度か振り、手のひらに馴染ませる。
身体の各所にある怪我は完治こそしていないが、戦闘に支障がない程度には回復している。
体調がハンデになることはないだろう。
「むん!」
見ると侯爵も、レイピアを突いたり振ったりしている。
鋭い。
すでに老年に差し掛かろうかという年齢にも拘らず、鍛え上げた肉体は身体能力の衰えを感じさせない。
先の戦争で、侯爵の身分でありながら最前線まで繰り出していたという話も頷けるものだ。
「クロネコよ。準備はよいか」
「いつでも」
両者とも決闘場の中央まで進む。
開始線に立って向き合う。
クロネコがちらりと見ると、侯爵は獰猛な笑みを浮かべた。
久しぶりの決闘に心躍っているようだ。
「若い頃を思い出すわい」
「決闘が好きなのだな」
「廃れるには惜しい文化よ」
老執事が2人の間に立つ。
「キャルステン王国の由緒正しき貴族の誇りに賭けて、正々堂々とした決闘を行ってください」
「誓う」
「誓う」
侯爵が直立不動で、胸の前でレイピアを立てる。
クロネコも同じようにする。
彼は貴族ではないが、大した問題ではない。
これは宣誓なのだ。
「では……」
老執事が決闘場の外に出る。
「始めてください」
クロネコがレイピアを構える。
腕を伸ばし、剣先を前に突き出した格好だ。
様にはなっていない。
練習はしたが、この非効率な儀礼用の構えはクロネコの身体に馴染まなかったのだ。
「ふん」
ヒゲン侯爵は鼻を鳴らすと、同じようにレイピアを前に突き出す構えを取った。
クロネコと違い、洗練された動作だ。
「来い。先手を許してやる」
「わかった」
素直に頷く。
クロネコの立場は目下であり、格下だ。
クロネコは軽く息を吐くと、踏み込んでレイピアを突き出した。
手加減はしていないが、まさか心臓を狙うわけにもいかない。
侯爵の肩に向かって繰り出される切っ先。
だが。
「温いわ!」
侯爵はレイピアの先で、クロネコの攻撃をかち上げて逸らした。
甲高い金属音が響く。
一瞬体勢を崩したクロネコの隙を、侯爵は逃さない。
すり足で踏み込んでくる。
「ぬん!」
鋭く突き出されるレイピア。
クロネコはそれを、上体を逸らして避けた。
しかしそれで終わらない。
侯爵は二度、三度とレイピアを繰り出す。
それらを全て、横移動や後退で凌ぐクロネコ。
「……ネズミのようにすばしこい奴よ」
良くない。
クロネコは減点評価を受けた。
決闘の基本はレイピアでの打ち合いだ。
侯爵が最初にそうしたように、攻撃も防御もレイピアを用いるのが望ましい。
避けてもいいが、回避一辺倒では相手の心象を悪くするのだ。
「失礼。侯爵の剣捌きがあまりに華麗なので、受ける余裕がなかった」
「抜かしよるわ」
侯爵の口元が釣り上がる。
「ではこれはどうだ」
侯爵が再び、レイピアの連撃を繰り出す。
クロネコはそれを、剣先で弾き、逸らす。
金属音が響くが、侯爵のように甲高い音色を奏でることはできない。
やはりレイピアの扱いでは侯爵に一日の長があるようだ。
「裏社会で生きてきただけあって、荒事には慣れておるようだな」
会話を交わしながらも侯爵は攻撃の手を止めない。
「む……!」
クロネコは弾く。
逸らす。
受ける。
稀に避ける。
ぎりぎりだ。
彼に余裕はない。
得意の回避は望ましくなく、このレイピアも使い慣れたダガーとはあまりに勝手が違う。
かといって卑劣な手段も取れない。
クロネコはじりじりと円の縁まで後退を余儀なくされた。
「どうした。最強の暗殺者と呼ばれておっても、そんなものか!」
侯爵の剣撃が激しさを増す。
一撃一撃が鋭く、また次の攻撃に移る際の挙動が非常に滑らかだ。
決闘では負け無しと自負していたが、なるほど、ただの大口ではなかったようだ。
「……」
ひときわ鋭い突きを弾いたクロネコは、ついに踵が円の縁にかかった。
これ以上押し出されては負けになってしまう。
「後がないな。これで終わりだ!」
侯爵が決めに来た。
この日、最も鋭い一撃が、容赦なくクロネコの胸に迫る。
ここだ。
避けることはできるが、クロネコはそうしない。
逆に大きく踏み込んだ。
「何!?」
驚愕する侯爵。
レイピアの先端が、クロネコの胸にめり込む。
瞬間。
クロネコのレイピアの切っ先が、侯爵のレイピアのつばに到達する。
そのまま刃で刃を絡め取り、それを剣先で強引に跳ね上げる。
「な……!」
侯爵のレイピアが高々と宙に舞った。
それが地に落ちる前に、クロネコは自身のレイピアを、侯爵の喉に突き付ける。
「ぐ、む……」
仰け反る侯爵。
その背後で、落下したレイピアが地面に突き刺さった。
「……」
レイピアを突き付けたまま、肩で息をするクロネコ。
胸からは薄っすらと血が滲んでいる。
劣勢からの紙一重の逆転。
少なくとも侯爵の目にはそう映った。
「……やりおるわい。ワシの負けだ」
侯爵は一歩退いた。
クロネコもレイピアを下げる。
肩を上下させるクロネコの額には、汗が浮いている。
それを見て取り、侯爵は笑った。
「打ち合っても勝てないと悟り、一撃での逆転に全てを賭けておったのだな」
「まあ」
「見事よな、クロネコ。貴様の勝ちだ」
侯爵は悔しそうに、しかしどこか清々しそうに笑う。
決闘を楽しんだことが伝わってくる表情だ。
クロネコは内心で安堵の息をついた。
打ち合いで勝てなかったのは本当だが、体力のある彼はそこまで疲労したわけではない。
肩を上下させているのはただの演出に過ぎないが、これくらいの演技は許してもらおう。
侯爵に好印象を与えるという意味で、彼は成功したのだ。
「やはり決闘はよい。血湧き肉躍るわい」
「侯爵はまだまだ現役なのだな」
「無論だ。ワシを誰だと思っておる」
侯爵はクロネコを睨み付け、それからまた愉快そうに笑った。
「よかろう、クロネコ。ワシは貴様のことをそれなりに気に入ったぞ」
「それは有り難い」
「だが土地の保有には爵位が必要だ。この規則は変えられん。そして犯罪者に爵位をくれてやる気はない」
「では?」
クロネコが見上げると、侯爵はにやりと歯を見せた。
「貴様、表向きの身分くらい持っていような?」
「もちろん」
「ならば問題ない。正規の金は必要だが、表の身分で爵位を手に入れられるよう取り計らってやろう」
「助かる」
ああ――。
クロネコは瞑目した。
ようやくだ。
ようやく土地が手に入る。
それに加えて、ヒゲン侯爵という強力な繋がりもできた。
爵位を得るならば、上級貴族のコネは大いに有用だろう。
クロネコは大きく息を吐くと、天を仰いだ。
彼の目的は、ついに達成されるのだ。




