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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
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デーヴ伯爵と婦人

 デーヴ伯爵は別荘にいた。

 町外れの見晴らしがいい立地だ。


「さて、そろそろヒツジからよいニュースが届く頃合いかな」


 デーヴ伯爵はリビングのソファで、ゆったりとワイングラスを傾ける。


「あなた」


 デーヴ婦人が、夫である伯爵に不安そうな目を向ける。


 彼女には暗殺者のことを何も説明していない。

 ただ賊がやってくる可能性があるから避難すると伝えただけだ。


「安心しなさい。じき賊の討伐が終わる。我々は待っているだけでよい」

「……はい」


 ヒツジにはどこか安全な場所へ避難するように言われている。

 だからこうして、屋敷の次に安心できる別荘に滞在している。


 ヒツジの実力は折り紙付きだ。

 これまで彼女に任せて失敗したことは一度もない。

 かつて暗殺者ギルドで最強を誇っていたと言われるだけのことはある。


 クロネコとやらがいかに強かろうと、最強であるヒツジに勝てる道理はないと思っている。


「あら」


 デーヴ婦人は、自分のグラスが空っぽになっていることに気づいた。

 不安からいつもより早いペースで飲んでしまったようだ。


「ああ、いい。ワシが持ってこよう」


 愛する妻に余計な心労を与えるのは本意ではない。

 伯爵はリビングを出て、自らワインセラーに足を運ぶ。


 この別荘は屋敷と比べると小さいが、それでもワインセラーを有しているところが気に入っていた。


「どれにするか。明日にはヒゲン侯爵に朗報を届けられるだろうから、前祝いといくか」


 ヒゲン侯爵。

 豊かなヒゲを蓄えた上級貴族。

 自分やヤーセン子爵の上にいる人物で、今回の主犯だ。


「いや、主犯という呼び方はいかにも悪党だな」


 デーヴ伯爵は自分の言葉に、くつくつと笑う。

 悪党はクロネコとかいう暗殺者風情のほうであり、自分たちは思い上がった悪党に鉄槌を下す正義の側だ。


 排水口のネズミのように裏の世界でこそこそしていればよいものを、貴族に成り上がって日の当たる表舞台に進出してこようなどと考えるから、命を落とす羽目になるのだ。


 だがそれも終わる。

 懸念はつつがなく取り除かれ、明日からはまたいつも通りの煌びやかな日常が戻ってくるのだ。


「すまん、待たせたな」


 特上の一本を選びだしたデーヴ伯爵は、リビングに戻り――凍り付いた。

 持っていたワインボトルが手から滑り落ちて割れ、床に撒き散らされたことにも気づかなかった。


 デーヴ伯爵には、何が起きたのか把握できなかった。


 愛する妻がリビングの床に、縛られて転がされている。

 猿ぐつわのせいで言葉も封じられているようだ。

 青い顔で、目に涙を浮かべながら、こちらを見上げている。


 そして、代わりにソファには。

 黒ずくめの男が座っていた。


 感情のない冷徹な瞳。


 デーヴ伯爵はその冷たい眼差しに見覚えがあった。

 ヒツジと同じ、暗殺者のそれだ。


 だからデーヴ伯爵は理解した。

 こいつは――この男こそが、渦中の暗殺者クロネコだ。






 クロネコはソファに腰を下ろし、棒立ちになっているデーヴ伯爵を見つめる。

 伯爵は顔を真っ青にして脂汗を流している。

 どうやら自分が何者で、どういう状況かを理解してもらえたようだ。


 デーヴ伯爵の避難先を割り出すのは容易だった。

 まさか第一候補の別荘に滞在しているとは思わなかったが、デーヴ伯爵は戦場に身を置く人間ではないので、危機感が足りないと責めるのは酷だろう。

 いずれにせよクロネコにとっては、わかりやすくて有り難いことだ。


「座るといい」


 クロネコが低い言葉を発すると、デーヴ伯爵は身を震わせた。

 出っ張った腹が揺れる。


 クロネコは同じことを二度告げない。

 ただ黒い瞳でじっと見据える。


 デーヴ伯爵は唾を飲み込み、ぎこちない仕草でクロネコの対面に腰を下ろす。


「な、何者だ」


 伯爵は裏返った声で問う。

 わかっているだろうとクロネコは思ったが、答えることにする。


「クロネコだ」


 伯爵の全身が小刻みに震える。

 顔色は青を通り越して、白くなりつつある。


「な、何の用だ」


 それでも会話を継続できるのは、見上げたものだ。

 貴族としてのプライドゆえだろうか。


「安心していい。いくつか質問に答えれば、殺す気はない」

「う、嘘だ……!」

「信じなくてもいいが、俺はお前の命そのものに興味はない」

「……」


 デーヴ伯爵から胡乱な視線が返ってくる。

 だが身体の硬さは、やや取れたようだ。


 それでいい。

 クロネコは情報を欲している。

 会話が成立しなければ意味がない。


「と言っても、聞きたいことは3つだけだ」

「……い、言ってみろ」


 相変わらず伯爵は震えているが、顔色は白から青に戻っている。

 忙しいことだ、とクロネコは思った。


「1つ目だが、首謀者の名を教えてほしい。お前やヤーセン子爵の上にいる人物だ」

「……そ、そんな人物はおらん!」


 デーヴ伯爵は思わず声を張り上げた。

 侯爵の地位にいる人物の名を売るなど、そんな恐ろしいことができるはずがない。


「いないのか?」

「お、おらん!」

「そうか」


 クロネコは、足元に転がしているデーヴ婦人の手を取った。

 ほっそりした白い手だ。


「な、何を……」


 クロネコは、婦人の小指をぽきりと折った。


「……!!」


 猿ぐつわの下から、婦人がくぐもった悲鳴を上げる。

 額に汗を浮かせ、涙を流して悶絶している。

 あまりの痛みに身体が痙攣している。


「なっ、や、やめ……!」

「動くな」


 思わず腰を浮かせかけた伯爵に、クロネコは静止をかける。


「口は滑らかになったか?」

「な……」

「なったか?」


 口をぱくぱくさせる伯爵を見て、クロネコは婦人の薬指にも手をかける。


「や、やめろ! やめてくれ……!」

「滑らかになったか?」

「な……なった……」


 クロネコは満足して頷くが、婦人の手から手を離すことはない。

 デーヴ伯爵は絶望混じりの視線でそれを見つめる。


「では、首謀者の名を教えてほしい」

「……ひ、ヒゲン侯爵だ」


 貴族の名をいちいち覚えていないクロネコでも、その名前は知っていた。

 このキャルステン王国でも有数の、保守派の上級貴族の一人だ。


 なるほど、大物だ。

 侯爵クラスの指示であれば、伯爵や子爵は従わざるを得ないだろう。


「2つ目だが、そんな大物がなぜ俺のような一介の犯罪者を狙う?」


 当然だがクロネコは、ヒゲン侯爵と面識はない。

 そしてそれはヒゲン侯爵からしても同様のはずだ。


「お、お前が、爵位を手に入れようとしているからだ……」

「……?」


 デーヴ伯爵の答えを、クロネコは理解できない。


 金を払って爵位を購入する。

 それのいったい何がヒゲン侯爵の逆鱗に触れたのか。


「爵位の購入に、何か問題が?」

「こ、購入自体は構わん……」

「では?」

「犯罪者が、爵位を買うという事実が問題なのだ……」


 犯罪者。

 クロネコのことだ。


「か、金で買うとはいえ、爵位を手に入れれば、それは貴族の仲間入りをするということだ」

「そうだな」

「由緒正しきキャルステン王国の貴族位を、犯罪者が手に入れたという前例は、過去に一度もないのだ……」

「……」


 デーヴ伯爵が何を言いたいのか、クロネコにもようやく理解できた。


「つまり、犯罪者が由緒正しい貴族の仲間入りをすることは、保守派の貴族からすれば許容できない出来事だと?」

「そ、その通りだ……」


 デーヴ伯爵は青い顔のまま頷く。


「……」


 なるほど。

 伯爵の説明はわかった。


 保守派の貴族の考え方自体は、クロネコにとって理解が難しい。

 難しいが、しかし犯罪者が貴族の仲間入りをするというのは、彼らにとっては見過ごせないほどの大事件なのだろう。


 つまりは貴族の伝統や誇りに類するものを、クロネコは侵そうとしているのだと考えられた。

 そして伝統や誇りは、恐らく貴族にとっては人一人の命に匹敵する、あるいはそれ以上に重要なものなのだ。


 貴族の価値観には何の興味もないが、それでも知識として知っておくべきだったな、とクロネコは悔やんだ。


「……」


 それにしても、クロネコが爵位を購入するという情報は、いったいどこから漏れたのか。

 それも問いただそうとしたが、やめた。

 彼が爵位を購入するという話など、価値のあるなしでいえば、何の価値もない情報だからだ。


 それに情報というのはどれほど管理したところで、多少なりとも漏れるものだ。

 まして貴族と暗殺者ギルドは、依頼する側、される側という意味で繋がりがある。

 ギルド内の情報の一部が、特定の貴族に伝わるのは、それほど不自然なことではない。


 結局、クロネコがギルド内で喋っていたことを誰かが聞きつけたというだけの話だろう。


 それより最後の質問だ。


「3つ目だが、ヒツジせん……ヒツジとデーヴ伯爵にどんな繋がりがあったのか教えてほしい」

「……ひ、ヒツジは死んだのか?」

「ああ」

「そ、そうか……」


 クロネコがこの場に現れたということは、そういうことなのだとわかってはいたが、それでもデーヴ伯爵は肩を落とした。

 自らが保有する最大戦力を失ったという事実は、彼を大いに落胆させた。


「ひ、ヒツジはワシに恩があるのだ」

「恩?」

「何年も前の話だが、ヒツジが暗殺者ギルドを脱退したいと持ちかけてきてな……。そこでヒツジが死亡したように見せかけるために、工作してやったのだ」

「……」

「その後、一般人として暮らせるように偽の戸籍も用意してやった。だからヒツジは、たまにワシの依頼を受けて裏仕事をしてくれておったのだ」


 暗殺者ギルドの脱退。

 確かにそれは貴族の手でも借りなければ難しいだろう。

 少なくとも単独でできることではない。


「……ヒツジは何故、ギルドを脱退した?」

「そ、そこまではわからん……。ほ、本当だ! ヒツジが脱退の理由を他人に話したことは、恐らく一度もない」

「……そうか」


 ヒツジ先生ならそうだろうと、納得できる。


 暗殺稼業に嫌気が差したのか。

 あるいはもっと他の理由か。

 いずれにせよ、彼女ならそれを人に話すことはあるまい。


 一つだけ言えることは、彼女が暗殺者ギルドを脱退した理由を知るすべは、もうないということだ。


 しかし、とクロネコは思う。

 ヒツジ先生は間違いなく暗殺者として高い適性があったが、反面、性格はそれほど適していなかったのではないか。

 どこまでも穏やかなあの性格は、内心では決して人殺しを好んでいなかったのではないか。


 そこまで考えて、クロネコは首を振る。

 答えの出ないことをいくら想像しても、詮無いことだ。


 ヒツジ先生の脅威は去った。

 それで充分だ。


「お、おい……」


 デーヴ伯爵が青い顔のまま声をかけてくる。

 質問が終わったのか気になるのだろう。


 クロネコはゆっくりと頷き、立ち上がる。


「充分だ。情報提供、感謝する」


 デーヴ伯爵はほっと息をつくと、ソファに身を沈める。

 よほど緊張していたのだろう。

 無理もない。


「で、ではさっさと行くがよい」

「そうする」


 クロネコは無造作にデーヴ伯爵に近づく。


「な、何だ? まだ何かあるのか?」

「ああ。殺さないと言ったが、あれは嘘だ」


 デーヴ伯爵は引きつった表情を浮かべたが、喉をぱっくりと切り裂かれ、すぐに動かなくなった。


 ヒツジ先生ほどの手練れを差し向けるような人物だ。

 生かしておくという選択肢はない。


「……! ……!!」


 デーヴ婦人が、血まみれになった伯爵を見て、声にならない悲鳴を上げている。

 縛られたまま必死に逃げ出そうと、床を這いずっている。

 顔はもはや土気色になっている。


 クロネコはそんな婦人の行く手を遮るように、見下ろす。

 婦人が絶望に染まった瞳で見上げてくる。

 いやいやするように首を振る。


 クロネコはデーヴ婦人の喉も掻っ切った。


 婦人は血溜まりの中で息絶えた。


「さて」


 急がねばならない。


 デーヴ伯爵の死が知れれば、ヒゲン侯爵はすぐさま次の手を打ってくることだろう。

 そうなる前に、ヒゲン侯爵と接触する必要がある。


 クロネコはデーヴ伯爵の別荘を後にすると、暗殺者ギルドに帰還した。

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