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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
24/41

ヒツジ先生 VS クロネコ

 暗殺者同士の戦いは、地味で静かだ。

 騎士の一騎打ちのように見栄えのするものではない。


 闇に包まれた寝室で、ヒツジ先生が踏み込んでくる。

 ナイフを一閃、二閃。


 風切り音すらない静かな攻撃。


 クロネコはそれらをダガーで受け、逸らす。

 そこから反撃に転じようと――。


 すかさず背後の、デーヴ伯爵に扮した男が、ナイフを繰り出してくる。

 狙いはクロネコの背中。


 明らかに、クロネコが背中に怪我をしていることを知っている動きだ。

 事前にヒツジ先生から伝えられているのだろう。


 クロネコは身を屈めてナイフをやり過ごし、男へ反撃を――。


 そこでヒツジ先生が再度、距離を詰めてくる。


 先程よりも鋭く、しかし変わらず静かな攻撃。

 闇の中、立て続けに刃が迫ってくる。


 クロネコはそれらをまた受け止め、弾く。

 そこに背後からまた男が攻撃を仕掛けてくる。


「……」


 反撃を封じられている。


 ヒツジ先生も男も、無理に彼を仕留めようとしてこない。

 時間をかけて追い詰めようとしている。


 ヒツジ先生からすれば、勝負を急ぐ必要はないので当然の戦略だ。


 むしろ時間をかけて困るのはクロネコのほうだ。

 ここは敵地であり、彼は侵入者なのだ。


 現状を打破しようと思えば、クロネコから仕掛けるしかない。


 だが当然、ヒツジ先生はそれを待っている。

 彼が強引に突破しようとした瞬間が、命を刈り取る最大の好機だからだ。


 それをわかっているから、クロネコは迂闊に動けない。

 しかし時間をかけては不利が深まるばかりだ。


「……」


 状況としては詰んでいる。

 だがクロネコは焦燥を感じながら、それでも焦るなと自身に言い聞かせる。


 絶望を抱きながらも、まだ諦めてはいないのだ。

 彼が諦めるのは、生存の可能性がゼロになったときだけだ。


 刃を交えながら相手を観察する。


 特に男の動き。

 具体的な戦闘力の把握。


 ヒツジ先生は、クロネコが全力で倒しにいっても即時打破できるほど甘い相手ではない。

 だから先に仕留めるべきは、男のほうだ。


 男がナイフを繰り出す。

 クロネコはそれを仰け反って避け、同時に男のひざに蹴りを叩き込む。


 男は顔をしかめたが、それだけだ。

 大して効いていない。


 そして蹴りを繰り出したせいで、ヒツジ先生の攻撃に対応しきれなかった。

 ナイフが掠め、腕に浅い傷が生じる。


 ヒツジ先生の攻撃は、意識の間を縫うように迫ってくるため非常に避けにくい。


 かつてリンガーダ王国での仕事では、上級騎士を含む4人に囲まれても無傷で凌いだクロネコだが、今夜はすでに腕や肩にいくつもの傷を負っていた。

 いずれも深手ではないが、出血はある。

 長引けば先に体力が尽きるのはクロネコのほうだ。


「……」


 焦るな。

 慎重に、かつ最小の労力で布石を打て。

 決して相手に悟られるな。


 クロネコはもう一度、男のひざに蹴りを打ち込んだ。


 男はまた顔をしかめるが、動きは止まらない。

 やはり大して効いていない。


 男のナイフを一歩退いて避ける。

 そこにヒツジ先生のナイフの連撃。


 避けきれない。

 クロネコの胸に一筋の赤が走った。


 寝室に響くのは、刃が交錯したときに生じる僅かな金属音だけだ。

 だがそれも、もう長くは続くまい。


 クロネコの息が乱れている。

 体力の底が見え始めたのだ。


 彼は意を決した。

 ここからの数瞬で全てが決まる。


 クロネコは三度、男に蹴りを繰り出した。


「……ふん」


 男は小馬鹿にしたように鼻で笑う。

 凡庸な蹴りが効果を上げないことは、すでに実証済みだ。


 避ける素振りも見せない。


 だが。


「……ぎゃあああ!」


 クロネコの蹴りにすねを切り裂かれ、男はうずくまって悶絶した。

 いつの間にか、クロネコのブーツのつま先から、仕込み刃が生えていた。


 すねという部位は痛覚の塊だ。

 切られて痛くないはずがない。


 ヒツジ先生が、男をフォローしようと踏み込んでくる。

 だがクロネコは構わず男に向き直る。


 勝機はここしかない。

 これを逃せば、彼に待っているのは敗北であり、死だ。


 ヒツジ先生が、無防備なクロネコの背中にナイフを突き刺そうとしてくる。


 クロネコは、動きの止まっている男の腕を掴むと、そのまま一本背負いをした。

 男の身体を丸ごとヒツジ先生に叩き付けたのだ。


「ぐはっ!」

「……!」


 予期せぬ出来事に反応が遅れ、男の下敷きになるヒツジ先生。

 男は痙攣している。


 クロネコは間髪入れず、男の首を思い切り踏みつけた。

 ごきりと鈍い音がして男は絶命した。


 そのときにはヒツジ先生は、もう男の下から抜け出す寸前だった。

 だがまだ立ち上がってはいない。


 今夜ようやく巡ってきた最初の――そして恐らく最後の、クロネコに有利な状況だ。


 クロネコは、ヒツジ先生の上半身に馬乗りになった。

 女らしく、細い身体付き。

 言い換えれば、彼女はここからクロネコを押し返すほどの筋力はない。


 クロネコはヒツジ先生を見下ろす。

 ヒツジ先生は、クロネコを見上げる。


 視線が交錯する。

 感情のない瞳が、互いの顔を映し出す。


 クロネコは、ヒツジ先生の喉にダガーを振り下ろした。

 彼女はそれをナイフで弾く。


 だがクロネコは構わず、幾度もダガーを振り下ろす。

 弾かれてもまた振り下ろす。

 腕力で強引に、何度も何度も振り下ろす。


 体勢でも力でも、ヒツジ先生に逃れるすべはない。


 やがてヒツジ先生の喉に、冷たいダガーの刃が埋まった。


 彼女の口から、ごぼりと赤いものが溢れる。

 その手からゆっくりとナイフが滑り落ちた。


「……」


 ふとクロネコは、ヒツジ先生の視線に気づいた。

 暗殺者としてではなく、弟子を見る師の目だ。


「ク……ネコ、くん……」


 ヒツジ先生が唇を動かした。

 声は掠れており、聞き取りにくい。


「はい、ヒツジ先生」


 クロネコはかつてそうしていたように、己の師に返事をした。

 ヒツジ先生は、彼の記憶にある通りの表情で、穏やかに笑んだ。


「み、ごと……で……」


 そうしてヒツジ先生は動かなくなった。


「……」


 クロネコはしばらくヒツジ先生を見つめていた。

 それから緩慢な動作で立ち上がった。


 今すべきは感傷に浸ることではなく、一刻も早くこの屋敷から立ち去ることだ。


 デーヴ伯爵は安全な場所に避難していることだろう。

 すぐさまその場所を割り出さねばならない。


 クロネコは窓際へと歩く。

 最後に一度、室内を振り返った。


 そして、物言わぬヒツジ先生――かつての師へ、小さく目礼をした。

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