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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
23/41

デーヴ伯爵の屋敷

 クロネコは夜の闇を駆ける。


 時刻は深夜。

 そして今日は、ヒツジ先生との果し合いの日だ。


 もちろん彼が向かっているのは果し合いの場ではない。

 デーヴ伯爵の屋敷だ。

 ヒツジ先生が不在にしている今が、侵入する最大のチャンスだ。


 背中の傷は完治していないが、戦闘に支障がない程度には回復している。

 カラスの献身的な治療の賜物だろう。

 いずれ礼として高級レストランにでも連れていってやろうと、クロネコは考えていた。


 夜の街を疾走していると、やがて前方に大きな屋敷が見えてきた。

 デーヴ伯爵の住まいだ。

 伯爵の地位に恥じない豪邸といえよう。


 正門には警備兵がいるが、当然、正面から突破する必要はない。

 クロネコは屋敷の側面に回り込む。


 屋敷を囲むように高い鉄柵が張り巡らされているが、彼にとってはさしたる問題ではない。

 柵の僅かな出っ張りを手がかり、足がかりにして、難なく乗り越える。


 クロネコはそのまま、音もなく屋敷に近づく。

 巡回の兵はあくびを噛み殺しており、影に紛れるように移動する彼に気づかない。


「さて」


 クロネコはフック付きロープを取り出すと、勢いをつけて上方に投げた。

 小さな音を立ててフックが屋根に引っかかる。


 彼はそのまま慣れた手つきで、するするとロープを登り、屋根に上がった。

 ロープはすぐに巻き取って回収する。


 ロープ投げも登攀も、仕事で幾度も繰り返してきた手順だ。

 目を瞑っても失敗することはない。


 クロネコは屋根の上を静かに移動する。

 そしてある地点で立ち止まった。


「……」


 クロネコは屋敷の間取りを頭に思い浮かべる。


 この真下がデーヴ夫妻の寝室だ。

 当然、窓から侵入することになる。


 事前に集めた情報によれば、デーヴ伯爵はいつも婦人と同じ寝室で休むそうだ。


 クロネコは屋根の縁に手をかけて、そっと窓枠に降りる。

 音は立てない。


「……」


 慎重に室内を窺う。

 2つの気配を感じる。


 間違いない。

 伯爵と婦人の寝室だ。


 1階には使用人の寝室もあり、数人の使用人が休息を取っているはずだ。


 侵入にあたり、クロネコは当初、悩んだ。

 まず使用人たちを縛り上げて、それから伯爵の寝室に突入するほうが確実ではある。


 だが使用人たちを縛り上げている間に、万が一にでも伯爵が起き出しては大変なことになる。


 それに問題はヒツジ先生だ。

 果し合いの場にクロネコが現れないとなれば、彼女はすぐさま屋敷に取って返すだろう。


 ただでさえデーヴ伯爵を締め上げて、いくつか情報を吐かせなければいけないのだ。

 余計な時間をかけている暇はない。


 結局、クロネコは直接2階の寝室に突入する選択をした。

 静かに事を運べば1階の使用人たちに気づかれることはないし、また気づかせない自信もあった。


 クロネコは軽く窓を引く。

 鍵がかかっている。


 問題ない。


「解錠」


 呟いて、もう一度窓を引く。

 小さな軋み音を立てて、窓が開いた。


 クロネコはするりと寝室に入り込む。


 暗いが、暗視ができる彼には障害にならない。


 部屋の左右に豪華なベッドが2つあり、それぞれ男と女が眠っている。

 より豪華なベッドで眠っている太った男がデーヴ伯爵に違いない。


 となればもう片方のベッドで寝息を立てているのが、顔は見えないがデーヴ婦人だろう。


「……」


 ここはさすがに、先にデーヴ婦人を縛り上げておかねばなるまい。


 デーヴ伯爵を尋問なり拷問なりしている間、婦人を自由にさせておく道理はない。

 それに婦人を縛り上げておけば、情報を引き出すためのカードとして婦人の命を使うこともできる。


 やっていることは完全に悪党だが、クロネコに良心の呵責はない。

 彼は暗殺者であり、紛うことなき犯罪者なのだ。


「……」


 クロネコはデーヴ婦人のベッドに、音もなく近づく。

 婦人は向こう側を向いており、静かに寝息を立てている。


 クロネコはロープを手に、婦人を覗き込む。


 不意に。

 眠っていると思われた婦人が、クロネコを見返す。


 それは冷徹な、暗殺者の瞳。


「――!」


 クロネコが飛び退いたのと、デーヴ婦人がナイフを一閃したのは同時だった。


 彼の喉に、浅いが裂傷が刻まれた。


 違う。

 これはデーヴ婦人ではない。


 クロネコは肌が泡立つのを感じながら、ロープを投げ捨てた。


 外見は、事前に情報を得ていたデーヴ婦人そのものだ。

 服装も寝室に相応しくネグリジェ。


 だが、ナイフを構えてベッドから起き出す彼女は。

 一分の無駄もないその動きは。

 

 まさしくヒツジ先生のそれだった。


 変装していたのだ。


 彼女はナイフを両手に構え、すかさず飛びかかってくる。

 クロネコも戦闘用のダガーを抜き放つが、崩れた態勢を整える暇がない。


 小さな金属音が2度鳴った。


 ヒツジ先生が振るったナイフを、クロネコの二刀流がかろうじて弾いたのだ。


「……」


 ヒツジ先生は闇の中、身を低くして構えを取る。

 自身の名に似つかわしくない、猛禽類を思わせる動きだ。


「く……」


 クロネコが唸る。

 頬を一筋の汗が流れる。


 つまりは、果たし状を受け取ったクロネコがどう動くか、完全に読まれていたのだ。

 読まれたうえで、待ち構えられていたのだ。


 暗殺者としての技術だけではなく、思考でも上を行かれた。


 前回と同じだ。

 初めから不利な状況を作られて、そのうえで戦わされている。


 認めざるを得ない。

 ヒツジ先生の暗殺者としての実力は、今もってなおクロネコを上回っている。


「……」


 だがクロネコにも勝機はある。

 彼が唯一、ヒツジ先生を打倒し得る可能性。


 正面戦闘だ。


 単純な戦闘力のみで比較すれば、彼はヒツジ先生より僅かに強い。

 その自負がある。


 暗殺者として劣ろうが、最終的に生き残ればよいのだ。


 クロネコはヒツジ先生と対峙する。

 ヒツジ先生は身を低くしたまま、今にも襲い掛かってくる勢いだ。


 だが。

 襲い掛かってこない。


 何故?


「……」


 ――待て。


 クロネコの背筋を冷たいものが伝う。


 ヒツジ先生は、この寝室で待ち構えていた。

 つまり、ここが戦場になることをあらかじめ予期していたのだ。


 そんな場所に、デーヴ伯爵本人を置いておくだろうか?


「……!」


 背後に殺気を感じ、クロネコはダガーを翳した。

 デーヴ伯爵が突き出したナイフが、そのダガーに弾かれる。


 そこでヒツジ先生が、音もなく動いた。

 ナイフを一閃。


 クロネコは横に一歩動いて、すんでのところで避けた。


 もう一閃。

 クロネコはダガーでそれを逸らした。


 もう一閃。

 クロネコの肩が抉られ、血が飛沫く。


「……く」


 クロネコが呻き声を上げる。

 横目でデーヴ伯爵を確認する。

 ナイフを構えている。


 伯爵本人ではなく、変装であることは明白だ。


 ヒツジ先生の知り合いか、あるいは伯爵が金で雇ったのかは知らないが、一定の戦闘経験があることは間違いない。

 少なくともヒツジ先生と共闘して、足を引っ張らない程度の実力はあるのだろう。


 ――やられた。


 クロネコは内心で歯噛みした。


 正面戦闘でクロネコに劣ることは、ヒツジ先生も理解している。

 だからその穴を、人数で埋めてきたのだ。


 ヒツジ先生の目的は、師弟対決でも一騎打ちでもない。

 あくまでクロネコを殺すことだ。


 彼女は淡々と、目的を遂行するための最善手を打っている。


 クロネコも最善と思われる手を打った。

 だがそれでも、一手ずつ、着実に、彼はヒツジ先生に追い込まれている。


 技術で上回られ、思考で上を行かれ、人数で劣勢に立たされた。


 ――詰み。


 その一言が、クロネコの脳裏をよぎる。


 いくら胸中で否定しても、状況が覆るわけではない。

 彼は、自分が絶望を抱いているという信じがたい事実を、認めざるを得なかった。


 自分は今夜、ここで死ぬのだと――。

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