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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第1章 ― 新人育成編 ―
2/41

クロネコ師匠

 ボルシッチ子爵の屋敷。

 仕事を終えたクロネコは、すぐには立ち去らなかった。


「モモ」


 クロネコが名を呼ぶと、小柄な人影が窓から入ってきた。

 軽い足音を立てて床に降り立つ。


「クロネコ師匠、お疲れ様です!」


 ぴしっと敬礼のような仕草をする少女。

 小柄な体型だ。

 栗色の髪とくりっとした瞳が、小動物のような雰囲気を醸している。


「足音を立てるな。声が大きい」

「あっ、すみません」


 モモと呼ばれた少女は、恐縮したように首を竦める。


「実地における仕事のやり方はきちんと見たか?」

「見ました。さすがは師匠、鮮やかでした!」


 このモモは最近、見習いの文字が取れたばかりの新米暗殺者だ。

 クロネコは大層面倒だと感じていたが、彼はこの新米の教育係に任命されていた。


 もちろん任命したのはギルドマスターだ。

 クロネコは心の中で、あのハゲと毒づいた。


「でも鮮やかでしたけど、ちょっと可哀想ですね……」


 モモはボルシッチ子爵と娘のアントワーネの亡骸を見て、そう呟いた。

 クロネコが視線を向けると、モモは言葉を続ける。


「この人たちって、貴族の不正を暴こうとしてたんですよね?」

「情報によると、そうだな」

「つまり善人で……。善人を殺すのって、何というか、心が痛むというか」


 モモは少し俯いて言葉を切った。


 クロネコは心が痛まない。

 彼はそんな倫理観や価値観など持ち合わせていない。


 しかし一般人が持つ倫理や良識として、善人を殺すと心が痛むというのはわかる。

 モモは彼のように狂った倫理観を持っているわけではないので、一般人に近い感覚としてそう感じるのだろう。


 だが同時に、それでは問題があることもクロネコはわかっている。

 モモは一般人ではなく、れっきとした暗殺者だからだ。


 とはいえクロネコは、それに腹を立てることはない。

 新米暗殺者の価値観が、一人前の暗殺者として育ちきっていないのはよくあることだ。

 むしろそうした価値観を矯正するために、クロネコのようなベテランの暗殺者が教育係として任命されるのだ。


「……」


 クロネコは屋敷内の気配を探った。

 この2階には誰もいない。


 1階には数名の気配を感じる。

 恐らくは寝静まっている使用人たちのものだろうが、するとこの部屋はしばらく安全だ。


「モモ」

「はいっ、師匠」


 モモは元気だ。

 声が大きいのは少々困りものだが、陰鬱よりは元気なほうがいい。


「俺たちは何者だ?」

「暗殺者です!」

「暗殺者は善人か?」

「……いえ」


 首を振るモモは、しかし顔を上げて反論してきた。


「でも悪人を殺す暗殺者は、悪人じゃないと思います。その……もちろん、善人でもないと思いますけど」

「なるほど」


 モモが善悪にこだわりがあることをクロネコは理解した。

 これも一般人的な感覚だ。

 一般人は、行為の善悪というものを気にする生き物だからだ。


「モモ」

「はい、師匠!」

「俺たちの依頼人は誰だ?」

「貴族とかのお偉いさんたちです!」


 クロネコは頷く。


「では聞くが、俺たちの依頼人は善人か? それとも悪人か?」

「えっ。それは、人によるとしか」


 きょとんとするモモに、クロネコはかぶりを振った。

 あくまで理論的に諭していく。


「俺たちの依頼人は、悪人だ」

「え……。でも」

「考えてもみろ。暗殺者に人殺しの依頼をするような連中が、善人だと思うか?」

「た、確かにそれは……」


 モモは別に頭が悪いわけではない。

 話に理があれば、それはきちんと理解できるのだ。


 問題は、その理解に感情が付いてこないことだが、それは時間をかけて矯正していくしかないだろう。


「そして言うまでもないことだが、その悪人の依頼を受けて私利私欲のために手を汚す俺たちも、もちろん悪人だ」

「……」


 モモはまた俯いた。

 理解はできるが、理解したくない。

 そんな表情だ。

 自分が悪人であると認めることに、抵抗があるのだ。


「そして俺たちは悪人なのだから、相手が善人であろうが殺すことに何の問題もないし、躊躇する必要もない」


 悪人が悪事を働くことは当然。

 悪人が人を殺しても何の問題もない。

 なぜなら悪人なのだから。


 そうした暗殺者にとって都合のよい理屈を、クロネコはモモに吹き込んでいく。


「暗殺者は紛れもなく悪人であり、俺たちがやっていることはどう言い繕ってもただの悪事だ」

「……」

「今は理屈として理解できていればいい」

「……はい、師匠」


 モモは困ったような笑みを浮かべた。

 クロネコの言っていることは理解できるが、納得ができない。

 いや、厳密には納得したくない。


 モモはもちろん、自分の仕事が所詮は人殺しであることをわかっている。

 ただ、わかってはいても、人を殺すことに忌避感がある。

 人殺しはよくないという誰もが持っている強い倫理観を、彼女もまた持ち合わせているのだ。


 だから彼女は、人を殺すときにいちいち理由を探す。

 自分の殺しが何かの役に立っている、何か善いことに繋がっているという理由がほしいのだ。


 その点、こうした部分を合理的に割り切っているクロネコはすごい。

 さすがは最強の暗殺者と呼ばれているだけのことはある。


 モモは素直にクロネコのことを尊敬していた。

 だから普通は先生と呼ぶところを、わざわざ師匠と呼んでいるのだ。


 彼についていけば、彼から暗殺者の技術や心得を学べれば、自分もきっと一流になれる。

 そうして大金を稼ぐことができる。

 モモはそう信じていた。


「長居をしすぎた。本来は、暗殺を終えた現場からはすぐに立ち去らねばならない」

「はい、師匠!」


 クロネコは窓から飛び降りた。

 ここは2階だというのに、着地の際に一切の音を立てない。

 まるで猫のようにしなやかだ。


 何をどうすればあんな身のこなしができるのか……。

 モモは羨望の目で、クロネコの背中を追った。


「早く来い」

「は、はいっ」


 モモも慌てて窓から飛び降りた。

 彼女は小柄で軽いが、それでも着地の際に音がした。


「足音を立てるな」

「は、はいぃ……」


 クロネコのことは尊敬しているが、この師匠はきっとスパルタだ。

 モモはこれからの日々が過酷なものになることを予感した。


「もっと身を低くしろ。もたもたするな。急げ。慎重にだ」

「ひぃぃ……」


 がんばろう。

 がんばれなかったらごめんなさい。

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