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暗殺100人できるかな 第二部  作者: 湯のみ
第2章 ― 爵位編 ―
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静かな人

「クロネコくん」

「はい、ヒツジ先生」


 少年のクロネコが、師であるヒツジ先生を見上げている。


 彼女はいつものように、穏やかな微笑みを浮かべている。


「いいですか、クロネコくん。暗殺者は静かでなければいけません」

「でも先生。動けば音は出ます」


 クロネコが反論すると、ヒツジ先生はにこりとした。


「よく聞いていてください」


 ヒツジ先生は訓練用の木製のナイフを振るった。

 滑らかで、それでいて鋭い。

 しかし風切り音は一切なく、とても静かだ。


「……どうやるんですか?」


 目を見張るクロネコに、ヒツジ先生は人差し指を唇に添えて微笑んだ。


「訓練次第です。がんばりましょう」




「クロネコくん」

「はい、ヒツジ先生」

「初めて人を殺した感想はどうですか?」

「特に何も」


 特に何もだ。

 薄々気づいてはいたが、自分には人を殺すことに対する嫌悪感や忌避感といったものが欠落しているらしい。

 人間としておかしいと理解はしている。


「クロネコくん。あなたは狂っています」


 そうだろう。

 殺人という禁忌を躊躇なく冒せる自分は、きっと狂っている。


 そんなことを考えていると、ヒツジ先生は穏やかに笑んだ。


「暗殺者にとって、それは才能です。誇ってください」

「……。はい」


 本来、否定されるべきものを肯定してもらえた。

 この仕事を続ける限り、自分は狂っていてもよいのだ。

 そう思った。




「クロネコくん」

「はい、ヒツジ先生」

「戦闘訓練をしましょう」


 クロネコは首を傾げた。


「先生。暗殺者は戦える必要はありません」

「はい、その通りです」


 ヒツジ先生は穏やかな表情でにこにこしている。

 自分で考えてみろということだ。


「……憲兵に捕まりそうなときに、倒して逃げられるからですか?」

「それもあります」


 ヒツジ先生はゆったりと頷く。


「クロネコくんの言う通り、暗殺者が戦える必要はありません」

「はい」

「ですが戦うことができれば、選択肢が増えます」

「……ええと、例えば、暗殺対象が強い護衛に守られているときとか?」


 ヒツジ先生はまた、ゆったりと頷く。


「戦えなければ、機を窺って慎重に暗殺する必要がありますが、戦うという選択肢が取れれば、強引に突破することも可能になります」

「確かに」

「敵に囲まれたときにも、相手を倒して逃走することができます」

「はい」


 ヒツジ先生は人差し指を立てる。


「選択肢を増やす努力をしてください。それはいつでも、あなたの助けになります」




「クロネコくん」

「はい、ヒツジ先生」

「あなたは充分に戦えるようになったので、先生の必殺技を授けます」

「必殺技?」


 クロネコの目が輝く。

 必殺技と聞いて心が躍らないはずがない。


 ヒツジ先生は訓練用の木製のナイフを、両手に持つ。


「実際に受けて覚えてください」

「はい」


 ヒツジ先生はナイフを繰り出す。

 凡庸な速度だったので、クロネコは何なくそれを受け止める。


 だが二撃目のナイフが、クロネコの脇腹に突き刺さる。

 木製といえど痛い。

 クロネコはえずいて蹲りそうになった。


 そこに三撃目のナイフが、クロネコの喉にぴたりと添えられる。


「……」

「わかりましたか?」

「は、はい」


 クロネコは痛みに顔をしかめながら、頷く。


「一撃目はフェイントです。相手はこれを受け止めます」

「はい」


 もちろんこのフェイントで決まるほど格下の相手なら、それ以上を考える必要はない。


「二撃目で脇腹を抉ってください。これが本命です」

「本命は三撃目では?」

「いいえ。二撃目が決まれば、ほぼ自動的に三撃目も決まります」

「なるほど」


 脇腹を抉れば、相手は痛みで動きが止まる。

 それに腹部への攻撃は相手のガードを下げる効果もある。


 ガードを下げさせてから喉への攻撃というのは、実に理に適っている。


「三撃目はトドメです。十中八九決まりますが、仮に決まらなくても相手はすでに重傷ですので、倒せます」

「はい」


 理解を見せるクロネコに、ヒツジ先生は穏やかに微笑む。


「二刀の扱いに熟達すれば、戦闘のプロである騎士とも正面から戦えるようになります」

「はい」


 ヒツジ先生は、「ですが」と人差し指を唇に当てる。


「暗殺者の本領は、あくまで暗殺です。戦闘ができることに驕っては早死にしますので、忘れないでください」

「わかりました」


 素直に頷くクロネコに、ヒツジ先生はゆったりとした笑みを浮かべた。




「いたたたた……」

「ヒツジ先生、大丈夫ですか?」

「み、見事です……」


 ヒツジ先生は腰をさすりながら立ち上がる。


「まさか一本取られるとは思いませんでした」

「今のは明らかにマグレです」

「マグレが起きれば、私から一本取れるほどに成長したということです」


 ヒツジ先生はクロネコの頭に手を乗せると、柔らかく撫でた。


「クロネコくん、見事です」

「……ありがとうございます」


 クロネコは気恥ずかしかったが、まあいいかと思った。


 ヒツジ先生は物腰こそ柔らかいが、褒めてくれることは滅多にない。

 褒めるに値する水準が高いのだ。


 だから子供扱いされていると思う反面、そんな彼女に褒められることが誇らしくもあった。


「クロネコくん。あなたは天才ではありません」

「はい」


 知っている。

 世の中には何もせず最強になれる天才がごく稀にいるが、自分はそうではない。


「ですがあなたは、努力が着実に血肉となるタイプの人です」

「はい」


 そうだろうか。

 自分ではわからない。

 しかし他ならぬヒツジ先生が言うなら、そうなのだろう。


「毎日の研鑽を欠かさないでください。その積み重ねがあなたの将来の姿です」

「わかりました」


 ヒツジ先生の言うことは信用できる。

 ならば日々の鍛練を欠かすまい。


「いずれ私を超えてください」

「がんばります」


 クロネコの答えに、ヒツジ先生はにっこりとした。




「……ヒツジ先生が、死んだ?」


 ギルドマスターの報告に、クロネコは耳を疑った。


 彼の師であるヒツジ先生は、この暗殺者ギルドでも一、二を争うほどの腕を誇る。

 ”静かな人”の異名を取る彼女は、ギルド内でも畏怖と尊敬の対象だった。


「仕事中に行方不明になっちまってな。で、仕事はそのまま失敗だ」


 ギルドマスターがため息をつく。


「仮に失敗したとしても、ヒツジほどの奴が、生きているのに連絡もよこさねえとは考えにくい。捜索も出したが見つからねえ」

「でも、死体が見つかっていないなら」


 クロネコの反論を、ギルドマスターが手で遮る。


「お前が認めたくねえ気持ちもわかるがな。いつまでも捜索を続けるわけにもいかねえ」


 それはそうだ。

 捜索にだって人手と金がかかる。


 リソースが限られている暗殺者ギルドにとって、とりわけ長期間人手を割かれるのは痛い。

 これでもよく探したほうなのだ。


「俺の判断でヒツジは死亡したものとする。万が一連絡があれば、そのときまた復帰させればいい」


 それもその通りだ。

 生きていれば、暗殺者ギルドに連絡を寄越さないはずがない。


 クロネコは胸中の不満を押し込めて、頷いた。


「お前にゃ期待してるぜ、クロネコ。何といってもあの”静かな人”の最後の弟子だ。せいぜい稼いでくれよ」

「……言われるまでもない」


 他ならぬヒツジ先生から、何年にも渡って指導を受けたのだ。

 ならばこの暗殺者ギルドの稼ぎ頭になるくらい、造作もないことだ。

 いや、そうならねばならない。


 ヒツジ先生の教えは、身体の隅々にまで行き渡っている。

 後は毎日の反復訓練だ。

 これからは独学になるが、何の問題もない。




 それでもクロネコは、しばらくは待った。

 ヒツジ先生ほどの暗殺者が死んだとは、どうしても信じられなかった。


 しかし結局、ヒツジ先生は帰ってこなかった。


 クロネコも理解せざるを得なかった

 ”静かな人”は死んだのだ。

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